【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第20回 田中太郎/男子サッカー

ア式蹴球男子

『人間力』

 90分間絶え間なく走り続け、どんな相手からも勇敢にボールを奪いにいく。ア式蹴球部が目指すサッカーには、全員のハードワークが不可欠だ。この理想のスタイルを語る上で、田中太郎(商=静岡・藤枝東)の存在は欠かせない。右サイドで精力的にアップダウンを繰り返し、力の限りピッチを駆け回る。その献身性が幾度となくチームを救い、勇気づけた。そんな田中の活躍もあり、今季チームは悲願の関東大学リーグ戦(リーグ戦)優勝を達成した。ついに成し遂げた、関東制覇という最大の目標。しかし、田中がこの歓喜の瞬間を迎えるまでには、さまざまな苦難や葛藤があった。

 高校時代、名門・藤枝東高校の一員として、毎日血のにじむような努力を重ねる。その反動もあり、早大進学を機に部活動からは引退しようと決めていた。だが、ぬぐい切れないサッカーへの思いと両親の言葉が、田中を入部へと突き動かす。「自分なんかがア式ではやっていけないと思っていたのですが、両親に『とりあえず一回やってみろ』と言われて、それで気持ちが変わりましたね」。

度重なるケガからカムバックを果たし、輝きを放った田中

 入部後、すぐさまチームにフィットした田中は、公式戦でも結果を出した。1年次のリーグ戦では第2節でデビューを果たし、いきなり初アシストを記録。遠征にもメンバーとして帯同するなど、まさに順風満帆な滑り出しだった。しかし、2年次の夏、練習中に太ももの肉離れを発症してしまう。約1ヶ月間のリハビリを経て戦列に復帰したが、ケガをする前のようなプレーができない。その後も太ももと足首の負傷を繰り返し、気づけば3年次も含めた約1年半を、ほとんど満足なプレーができないまま終えてしまっていた。

 ア式蹴球部の一員として臨む最後の一年。これ以上ケガに振り回されるわけにはいかないという危機感。そこに最上級生としての責任や、常に勝利を手にしなければならないというプレッシャーが積み重なり、田中に重くのしかかる。「最後の一年間はほんとにサッカーを楽しめなかったですね。一日中ずっと勝つためのことを考えていましたし、毎試合勝たなければ意味がないという思いでプレーしていました」。サッカーだけでなく、自分自身との戦いでもあった。だからこそ、19年ぶりの関東制覇が決まった瞬間、喜びだけではない、さまざまな感情がこみ上げてきた。「うれしいというよりもほっとしましたね。これでやっと肩の荷が下りたなって」。

 その後の全日本大学選手権では、惜しくも準々決勝で敗れた。だが、田中は全く後悔していない。それは最後の一年間、やれるだけのことをやり、完全燃焼することができたからだ。多くの人々から、多くのことを学び、自分のものにできた4年間。特に古賀聡監督(平4教卒=東京・早実)との出会いは、田中にとって特別なものとなった。「この4年間で一番大切だとわかったことは、古賀監督に教わった『人間力』です。ひとりの人間として、しっかり自立できるかどうか。人間的魅力を持てるかどうか。こういったことの大切さを改めて知ることができました」。田中は充実感あふれる表情でそう述懐した。それは田中が培った『人間力』が伝わってきた瞬間でもあった。

(記事 栗村智弘、写真 桝田大暉)