【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第19回 堀田稜/男子サッカー

ア式蹴球男子

誰よりも速く、ひたむきに

 全日本大学選手権(インカレ)準々決勝。顎のケガの影響で関東大学リーグ戦(リーグ戦)の終盤3試合に出場できず、優勝に貢献できたという実感はなかった。だからこそ、仲間への感謝の思いをプレーで示したかった。しかし無情にも試合終了の笛が鳴り響く。慣れないヘッドギアを着けたMF堀田稜(商=浦和レッズユース)は悔しさと共に最後のピッチを後にした。

 俊足を生かしたドリブルで存在感は十分。幾度となく左サイドを駆け上がりピッチを彩った。果たしてこの速さのルーツはどこにあるのか。そのヒントは少年時代に隠されていた。両親の勧めで5歳からサッカーを始めた堀田。「サッカー選手ってかっこいいな」。日韓ワールドカップを間近で見たことで、プロサッカー選手への憧れが芽生え始めた。小学生になると、県選抜や全日本選抜に選ばれるまでに成長。その活躍を評価され浦和レッズジュニアユースへの入団が決まる。だがこれだけでは満足していなかった。走力を鍛えたいと考えていた堀田は、中学の陸上部に入ることを志願。しかし顧問の先生にサッカーとの両立は厳しいと一度は断られてしまう。それでもある時助っ人として参加した駅伝大会で好走。するとその走りが認められ、「週5サッカー、週2陸上」という毎日が始まった。この中学時代の生活が、今の速さの礎となったのかもしれない。

 ワセダとの出会いは意外にも早かった。勉強も高いレベルのところに入りたいという思いがあった堀田は縁もあって早大学院高校の存在を知り、将来のことも見据えて付属校に入学。ユースチームの練習と高校生活を両立させた。2年目からは出場機会も増えたが、トップチーム昇格は厳しいと感じ、深く悩むことなく大学進学を選択した。しかし新天地で待ち受けていたのは、大きな試練だった。1年時の夏にケガに見舞われ、約一年間の戦線離脱を余儀なくされる。「自分からサッカーをとったら何が残るんだろう」。終わりの見えないリハビリ生活に最初は打ちひしがれていたが、徐々に考えを変えた。「これを克服すれば強くなれるんだ」。仲間に支えられ、そして何よりも自分を信じ続けた。今ではこの日々を「大学4年間の中で一番成長できた期間」と振り返る。

ア式蹴球部の左サイドはまさに堀田の独壇場であった

 大きな転機となった試合がある。ケガから復帰し、Aチームに定着し始めた3年時のリーグ戦第6節の明大戦だ。ワセダではたとえ前線の選手であろうと泥臭くボールを奪いにいくことが要求される。これは高校までのいわゆる『きれいなサッカー』とは180度違う戦術。最初は戸惑いもあったが、エンジを背負い戦っていく中で「勝利に対してひたむきに戦うこと」の美しさに気づかされた。その精神でこの試合もプレスをかけていくつもりだったが、前半終了間際にPA内でファウルを犯しPKを献上。後半にはまたもやPKを与えてしまう。チームも1-2で敗戦し、自分の守備の甘さを痛感した。「とりあえず何かをしなければいけない」。そう思った堀田は、帰ってからボールを蹴った。「あれだけ大きな失敗をしたことで吹っ切れました」。ひたむきなディフェンスの意識はこの経験を機に大きく変わった。

 「あの舞台に立つ可能性はもうないと思うと、ちょっと寂しいですね」。先日リオ五輪出場を決めたU―23日本代表の試合を見たという堀田の口から本音がこぼれた。プロサッカー選手になりたい思いがなかったと言えば嘘になる。しかし4年時の8月、一般企業に就職することを決めた。「同じ岐路に立たされた時に、自分のような選択をしてほしくない」。今のサッカー界はビジネスとしてお金を生む仕組みになっていないことも事実であり、それを実感した。今後は社会人チームでプレーを続けながら、サッカー界の発展のためにも尽力していく。

 ケガからの復帰が間に合わないとも言われていたインカレの舞台。それでも必死のリハビリで戻ってきた。エンジを背負うラストゲームは途中出場という短い時間。それでもあの39分間に、これまでの全てが詰まっていた。誰よりも速く、ひたむきに。ボールを追い続けたその姿はファンの心に焼き付いている。

(記事、写真 大森葵)