【連載】Jリーガー特集!J1ヴィッセル神戸・松澤香輝

ア式蹴球男子

 ワセダのゴールマウスを守り続けた『守護神』、GK松澤香輝副将(スポ4=千葉・流通経大柏)がついにプロの世界へと足を踏み入れた。新天地に選んだのはJ1に所属するヴィッセル神戸。ラストイヤーには副将も務めこれまでチームをけん引してきた男に、ア式蹴球部での4年間を振り返っていただくと共に、今後の目標などについて伺った。

※この取材は2月24日に行われたものです。

「練習から試合のような感覚です」

神戸での生活を語る松澤

――入団が決まるまでに神戸を訪れたことはありましたか

入団前に練習に参加したんですけど、それまでは一度もありませんでした。

――神戸での生活は慣れましたか

基本的に寮で生活することが多くて、外出もそこまで出かけたりもしないので。慣れたと思います。

――寮は練習場である、いぶきの森球技場の近くなのですか

そうですね、自転車で5分くらいの距離にあります。

――一人暮らしで苦労することはありますか

特にないですね。ただやっぱり車がないと不便だなと思うことが多いので、車が欲しいですね。

――選手と一緒に出かけたりはしますか

選手と出かけることも多いです。そのときにおいしいお店を紹介してもらったりしています。

――ヴィッセル神戸に入団することになった経緯をお願いします

11月末にヴィッセル神戸の練習に参加することになって、2週間弱練習参加しました。そこでの評価もあって12月末に正式にオファーをいただき、入団が決まったという流れです。

――以前ワセダでの入団会見の際、急に練習参加が決まったとお話されていましたが

ア式蹴球部のOBであるDF奥井君(諒、平24スポ卒=大阪・履正社)と連絡をとる機会があって自身の進路の話などをしました。そうしたら、その後すぐに練習参加の話が決まったので急ではありましたね。

――そのときの心境はいかがでしたか

練習参加の話をいただいたときは、ちょうど気仙沼のボランティアに行っていました。そんなとき明後日から練習参加が決まったという話を受けて、楽しみと準備してなかったっていう気持ちも両方ありましたけど、すごくうれしかった。

――プロ入りが決定したときは、期待と不安のどちらが大きかったでしょうか

期待の方が大きかったと思いますけど、トレーニングを積んでいく中で大学では通用してきたことがプロの世界では全く通用しないってところもあるので、プロの世界の厳しさっていうのは感じています。それでも、その中で自分が成長していけるとは思っているので、自分自身に期待していくしかないのかなと思います。

――具体的にはどういった部分で通用したりしなかったりというのを感じますか

単純にシュートのスピードが全然違いますね。なので、取れたと思ったシュートが取れなかったりとか、1対1で自分の逆を突かれたりタイミングを外すっていうのもうまいので難しさは感じています。修正してもそれでも決めてくるので、試行錯誤しながらやっていますし、大学生と比べて全てにおいてレベルが高いなと感じます。

――先ほど、奥井選手のお話がありましたが、ほかにもFW渡邉千真選手(平21スポ卒=長崎・国見)などア式蹴球部のOBが在籍しているということで、やっぱり気持ち的に楽になる部分はありましたか

奥井君がヴィッセル神戸にいることが自分の中で助かるじゃないですけど、大きかったと思います。自分が1年生のときに4年生でヴィッセル神戸に行った選手なので在籍期間も長いですし、分からないことはいろいろ教えてもらっていて、サッカー以外の部分でもプロとしてどういった生活をしていけばいいのかとか、アドバイスをいただいています。千真さんとはまだなかなかお話しする機会がなくて、一緒に行動する機会も少ないですね。

――おすすめのお店とかはありますか

たじま屋っていう焼肉屋があって、そこへは自分の入団が決まった時奥井君に連れて行ってもらったんですけど、すごいおいしかったです。

――鹿児島でトレーニングキャンプがあったそうですが、どんなことをされたのでしょうか

キャンプでは筋トレやフィジカルトレーニング、厳しいゴールキーパートレーニングをしました。ただ、対外試合やチームの紅白戦があった中で、自分はそれには出られなかったので出られない間に別でしっかりとトレーニングをしていました。

――そのキャンプで仲良くなった選手はいらっしゃいますか

同部屋がMF森岡亮太君だったので、キャンプを機に距離が縮まったかなと。キャンプが終わっても練習後にアドバイスをくれたりと、別のところでもコミュニケーションを取れているので、仲良くなれたと思います。

――同部屋だと一緒にご飯を食べたりするのですか

常に行動を共にする感じですね。一緒にご飯を食べに行って終わったら一緒に帰って、風呂にも一緒に行ったりします。亮太君からサッカーについての話をいろいろと聞くこともできました。

――きょうはキーパーが最後まで残って練習されていましたが、いつも遅くまで練習されているのでしょうか

そうですね。キーパーは基本的には一番長く練習するポジションというか、練習が終わるのが一番遅いです。練習強度もかなり高いので、毎日きつい練習ですね。

――きょうの練習の手応えはいかがですか

自分の中ではできないプレー、できるプレーっていうのが明確になった練習だったと思います。練習が始まった時に比べたら、体の使い方だったりキャッチングの技術だったりっていうのは自分の中では少しずつ高められているのかなと、きょうの練習で実感しました。

――GK陣からアドバイスを受けることもありますか

練習のセット間で全員からアドバイスをいただいています。GK山本海人さんは、アドバイスをくれたり良いところを褒めてくれたりして、そういったところをしっかり聞いて学んでいます。GK吉丸(絢梓)も年下の選手なんですけど、寮が一緒なのでキーパーについての話をよくしたりしますね。

――プロと大学生ではどういったところに一番の違いを感じますか

松澤 ワセダの練習の中でも一人一人が100パーセントの力で取り組むっていうのはありましたけど、(プロは)単純に結果が求められる世界だと思うので、練習から試合のような感覚ですね。大学でもミスに対して許されていたわけではないですけど、やはりプロのほうが緊張感やアピールしなければっていう気持ちは強いなと思います。

――きょうの練習からも良い緊張感が伝わってきましたが

キーパートレーニング1つ1つにしても緊張感の中でやっていますし、自分より実力が上の人に対しても向かっていかなければならないので、そういった人たち以上のプレーを見せていかないといけないな、と感じながらやっていました。

――練習後、自主練でキックの練習をしていましたが

グラウンドが使える時間っていうのも限られているので、自主練の時間というのがあまりなくて。あの時間では少しやりましたけど、大学の時と比べて自主練の量も少ないですし、キックは自分の強みでもあるのでこれからも継続して練習していきたいなと思っています。

――練習の質というのは大学の時と比べていかがですか

大学の時もキーパーコーチはいましたけど、練習に来られる回数も少なかったのでほとんど自分たちでメニューを考えてやっていましたし、キーパーコーチが常にいるかいないのかでは大きく違うなと感じます。特にアレックスGKコーチは、厳しいトレーニングを毎日一番長くやるので、常に緊張感を持って取り組めています。

「人間的に大きく成長できた4年間」

弱点だったキックを克服し、いまでは逆に自身の最大の武器になった

――ここからはワセダでの4年間についてお伺いいたします。まずア式蹴球部に入部することになった経緯を教えてください

高校3年生のインターハイが終わった夏、ワセダの山下渉太GKコーチが流通経大柏の練習を見に来られて、オファーをいただきました。それまでは付属校だったので流通経大に進むのかなと思っていたんですけど、ほかの大学に行きたいっていう気持ちもあったのでワセダに進むことを決めました。

――流通経大柏時では上下関係など苦労することも多かったと聞きましたが、ワセダへ進学してそういった部分ではどういうふうに感じましたか

ギャップとかは感じませんでしたし、高校で学んだことは大学でも生かせたのかなと思っています。実際、上下関係の部分でもあいさつはしっかりしなければいけないっていうことも学んだので、ワセダに進んでも1年生のときから先輩に対しての接し方っていうのは、評価されたというか、受け入れてもらえました。

――4年目は副将を務めることになりましたが、意識の面で変わったことはありましたか

チームを引っ張る立場になって、最上級生として下級生の見本となるようなプレーだったり振る舞いだったり、そういったことが求められるとは感じていたので、その意識や自覚をしっかり持って取り組んでいました。

――副将を務める上でプレッシャーは感じていましたか

もちろん感じていましたし、4年生としてけん引することは当たり前でさらに結果が求められるので、結果を出すためにチームを前進させなくてはいけないとは常に考えていました。結果的には、無冠だったしうまくいかなかったんですけど、サッカー面で選手を変化させるという働きかけは、副将として少しはできたんじゃないかなと思います。

――4年間で全日本大学選手権(インカレ)優勝と無冠のどちらも経験して、4年目は勝てない辛さなどはありましたか

4年間で初めて総理大臣杯の出場権を逃して、全国に出られなかった悔しさというか屈辱というか、夏に全国大会がないっていうのが自分の中で整理できませんでした。負けた時はすごく責任を感じましたし、自分が2年生の時の活躍と比較したときに自分の出来というか、そういう部分が足りなかったというか。「あの時はあんなに勝てて、なんで自分たちは勝てないんだろう」とか、葛藤したり悩んだりすることが多かったと思います。

――4年生での話し合いも多かったということですが、どんな話し合いがあったのでしょうか

4年生のときは、自分たちが変わらなければ後輩はついてこないという危機感でやっていました。ただ、本当にチームがまとまったのはインカレの時くらいだと思いますし、それまでは学年ばらばらだったなという感じです。特に4年生の中でミスが何度も起きてしまって、サッカーでというよりはピッチ外でのミスが多かったので、下級生でついてくる選手も少なかったですし、ついてきているっていう感覚が4年生にあまりなかったので、こうしたことを話し合っていました。

――4年間で最も印象に残っている年はありますか

印象に残ったのは2年目ですね。その時公式戦は全てスタメンで出場できて、自分自身の成長を実感できた年でもありますし、個人のタイトルやチームのタイトル、インカレ優勝っていうのは自分の中で大きく成長できたきっかけだったのかなと思います。そういった意味では印象に残っていますが、ただ4年目もかなりの悔しさを味わったので、同じくらいですかね。

――プロ入りを意識し始めたのはいつごろからですか

入学した時から常にプロに進むことだけを考えてやっていましたけど、自分の中でプロになることを強く意識したのはジェフユナイテッド千葉のJFA・Jリーグ特別指定選手に選ばれたときですね。2年生の夏なんですけど、そこでプロの選手と一緒に生活してトレーニングをしていく中で、プロ意識っていうのは強くなりましたし、自分はこの中で戦っていくんだっていう意識が芽生えたので、それがきっかけです。

――そのときにはどんなことを学べましたか

食事もそうですし、体のケアだったり練習に入る前の準備だったりを学べたと思います。

――プロに進むことを考えた時に、4年目はタイトルを手にすることができずアピールの場も少なかったのではないでしょうか

総理大臣杯に出られなかったということで、一番のアピールの場面を失ってしまったと自分の中では思っていました。全国のいろいろなクラブのスカウトが見に来られる大会だったので、そこに出られなかったのは大きかったかなと。チームが勝てないと単純に個人も評価されないので、そういう意味では難しかったですね。

――焦りとかもありましたか

もちろんありました。ヴィッセル神戸からのオファーも最後のほうでしたし、それまではそういった話がなかったので、もしかしたら(プロ入りが)決まらないんじゃないかという気持ちもありました。

――後輩で活躍に期待している選手はいらっしゃいますか

ヒロ(FW山内寛史、商2=東京・ 国学院久我山)ですね。去年の前期は試合には出ていましたけど思うようなプレーができていなかったですし、本人もそう感じていたと思います。ただ後期に入って劇的に変わった選手で、いまはチームを引っ張る絶対的な存在になっているんじゃないかなと。あとはGK岸波(卓志、社2=東京・早実)とGK後藤(雅明、スポ2=東京・国学院久我山)なんですけど、2人とも良さがあって。岸波は常に練習から100パーセントでやって必死にうまくなろうっていう気持ちでやっていますし、後藤はサイズ的な部分で将来的にプロになる可能性を持っているので、切磋琢磨(せっさたくま)してやっていってほしいですし、どちらかの選手が試合に出てほしいなという気持ちはあります。

――山内選手はどういった点で変わったと感じていましたか

特に変わったのはゴールへの意識ですね。ものすごく強くなったなと。ことしは得点ランキング上位、もしくは得点王になるっていう意識を持ってプレーしていってほしいなと思います。

――ア式蹴球部での4年間はどんな4年間でしたか

人間的に大きく成長できた4年間だったのかなと思います。プレーヤーとしてはもちろん、精神的な部分で大きく変われたのかなと思っていますし、精神的に強くなれました。2年目でタイトルをとって、3年目は試合に出ながらも自分の思うようなプレーができず、4年目になったときは最上級生としてチームを勝利に導けなかった責任を感じて、そういう成功と苦労があったからこそ、どうやったらチームを勝たせられるのかを常に考えるようにもなりました。普段の生活からチームが変わるための行動とはどういうことなのかっていうのをすごく考えて、精神的に大人になれた4年間だったと思います。

――その精神的な成長にはやはり古賀聡監督(平4教卒=東京・早実)の存在が大きいのでしょうか

間違いなく大きかったですし、古賀さんがいなかったらいまの自分はないと思っています。

上を目指す姿勢

厳しいトレーニングを積む松澤

――ここからはJリーグのお話に移りたいと思います。2015年のシーズンはヴィッセル神戸も20周年という節目を迎え、これまで以上にチームも一体感を増しているのではないでしょうか

そうですね。監督もネルシーニョ監督が就任されて、ことしこそはタイトルを獲得するという強い気持ちを持ってチームが練習に取り組んでいます。その目標のために一人一人が全力になっていると思うので、さらにチームがまとまって強くなって開幕戦に向かっていきたいなと思います。

――練習中の雰囲気はいかがですか

練習中から緊張感があって、意識を高くして取り組んでいると思いますし、そういった中で自分がプレーできているのは良いことだと思います。

――松澤選手は4番手としてチームに迎えられたということで、そういった位置からスタメン争いに参加していくことについてはいかがですか

自分自身の実力は分析できていると思いますし、まだまだ試合に出ている選手に比べたら実力不足は感じるので、だからこそ練習の中から自分が成長するために高い意識を持たなければいけないと思っています。それにルーキーらしく、ほかの選手に元気や勢いを与えなければいけないと思うので、もちろん試合に出ることも常に目標としてありますけど、自分の置かれている立場からなにができるかっていうのを考えて取り組んでいく必要があるのかなと思います。

――自身に足りていない部分と、戦える部分というのはどういったところだと考えていますか

足りていないところはシュートを止める力だと思っています。自分はサイズがないので、そういったところをどう補っていくのかっていうのを考えていかなければいけません。一方で、キックという部分ではほかの選手とも競り合えると思っているので、それをどこでどう生かすのかっていうのを考えて、試合に出られたらそこをアピールしていきたいなと思っています。

――先ほどネルシーニョ監督が新しく就任されたという話がありましたが、ネルシーニョ監督からこれからどういったチームを築いていきたいなどのお話はありましたか

戦術どうこうというよりは、とにかくタイトル獲得のために戦っていこうと。規律を重んじる方です。

――規律を重んじるとはどういったことでしょうか

チームとしてのルールがあるというわけではないのですが、遠征へ行くにしても出発から解散まではまとまっていくというか、そういったチームのまとまりを生むための考えを常に持っている方だと思います。

――開幕戦を目前に控え、自身の心境はいかがですか

開幕戦に向けて自分が試合に出ることは諦めてはいけないと思いますし、上を目指してやっていかなくてはいけないと思います。その中でこれから練習試合もありますし、チームとしても個人としてもアピールしなければいけないと思うので、開幕戦に向けてできるかぎりの準備をしていきたいと思います。

――開幕節で対戦する柏レイソルの印象は

ネルシーニョ監督がずっと指揮していたチームっていうイメージと、近年いろいろなタイトルを手にしていますし、すごく力のあるチームという印象です。

――開幕戦はホーム開催ということで、さらに負けられないといったプレッシャーがあると思うのですがいかがですか

良いスタートを切るためには勝利が必要だと思いますし、多くのサポーターのためにも勝たなければいけないなと思います。

――サポーターとの交流はありましたか

練習終わりに、ファン・サポーターの方へサインを書かせてもらったりはしました。あと『神戸讃歌』というのがあって、2006年にJ2に降格した時にサポーターの方たちがヴィッセル神戸を勇気付けるために作ってくれた歌で、キックオフ前と勝った後の試合後にサポーターの方が歌ってくれるんですけど、それが聞けると思って楽しみで期待しています。

――最後に、今シーズンに向けての意気込みを聞かせてください

今シーズン、タイトル獲得のためにチームも活動していますので、その目標に向けた良いスタートを切れるように自分自身も成長して、開幕戦に臨めるよう頑張っていきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 佐藤凌輔)

かっこいいサインとチームの目標を色紙に書いていただきました

◆松澤香輝(まつざわ・こうき)

1992年(平4)4月3日生まれ。182センチ、80キロ。千葉・流通経大柏高出身。スポーツ科学部4年。以前早スポの特集で「焼肉ランチ」にハマっていると話していた松澤選手。神戸に来てもそれは変わらずマイブームだそう。神戸のおいしいお肉を食べて、さらにパワーアップしてくれること間違いなし!