【連載】『逆襲のホイッスル』 第6回 廣谷未宇×登内麗音×須田智博

ア式蹴球男子

 ア式蹴球部を背負って戦うのはピッチの11人だけではない。ピッチ外で選手を支える者がいてこそ、チームは1年間戦うことができる。今回は学生マネージャーである廣谷未宇(教4=千葉・麗澤)、登内麗音(人3=神奈川・横浜双葉)、そして学生トレーナーを務める須田智博(スポ2=静岡・浜松西)の3人にお話しを伺った。決して表には表れない、裏方の活動とは果たして――。

※この取材は12月2日に行われたものです。

日本一になるために自分たちで仕事をつくり出す

絶妙な掛け合いを見せた登内(左)と須田

――まずはそれぞれ自己紹介の方からお願いします

廣谷 教育学部4年でマネージャーチーフを務めています、廣谷未宇です。よろしくお願いします。

登内 人間科学部3年の登内麗音です。よろしくお願いします。

須田 スポーツ科学部2年の須田智博です。よろしくお願いします。

――それではそれぞれ部活動内での仕事内容についてお話いただけますか

登内 ここは未宇さん(廣谷)に任せます(笑)。

廣谷 具体的な話となると練習中はチームのサポートで、オーガナイズっていってグリッドを置いたりとか、ボトルを準備したりとかっていうことがメインになってきます。ピッチ外になると本当にいろんなことがあって。HPの更新だとか、試合であれば記録を付けたりします。でもこの仕事をやらなくちゃいけないっていうのはなくて、自分たちがチームの勝利のためにどうすればいいのかっていうのを考えて行動して、仕事を探してやっています。

登内 私も同じですね。

――学年ごとで違いはあったりしますか

廣谷 そんなにないよね。

登内 ことしはほとんど二人だけでやっていたので、二人で補い合ってやっていた感じですね。

――須田さんはどんなことをされているのですか

須田 トレーナーも結構いろんな種類の仕事があるんですけど、ざっくり言えば、トレーニング前にテーピングを貼ったり、ケガしている選手もいるのでそういったケガをケアしたり、トレーニング初めにはアジリティっていう動作とかダッシュ系の練習があるのでトレーナーが担当しています。アジリティは自分でメニューを考えたり、時々フィジカルコーチの方も来てくださるのでその方から聞いた話を吸収して考えたりしてます。練習中や試合中に怪我人が出たときはそこで手当をしたりだとか、練習後にリハビリを見たり練習後のケアをしてって感じですかね。またコーチと連携を取り選手の状態が悪かったらコーチの方にも伝えますし、コーチの方からもトレーニング内容でトレーナーに相談とかあったら話して決めたりします。

――学生スタッフ同士でミーティングとかは毎週あったりはするんですか

廣谷 ことしは全体としてはミーティングをがっつりやるっていうよりは、日々個人個人でコミュニケーションを取るって感じですかね。

須田 時々不定期でやりますよね。

廣谷 時々ね。稲西寮でやったりとか、教室棟でやったりします。

――どういった内容の話をされるんですか

廣谷 最近で言えば、いま関東リーグ(関東大学リーグ戦)が終わってインカレ(全日本大学選手権)に向けてやってく中で再確認というか、自分たちがどういう風にやっていこうっていうのを再認識します。あとはいままでの反省だったりを全員で共有してって感じですかね。

――それぞれア式蹴球部に入部したきっかけというのは

廣谷 私は元々スポーツが好きというのと、人を支えるっていうのが昔から好きな方だったのでどこか漠然とサッカー部のマネージャーをしようと考えてました。中高は違う部活に所属してたんですけど、大学ではサッカーに真剣に取り組んでいる人たちの傍でやっていきたいなと思ってました。

――入学した時からア式蹴球部の方に入部しようと考えていたのですね

廣谷 そうですね。ワセダのサッカー部に入ろうと思ってたから受験したのもあったので。特にア式蹴球部の伝統に惹かれて入る人もいると思うんですけど、私はどっちかというとそうではなくて、直感的に入りたいなと思ってました。ワセダに入りたいというのも大きかったので。それでサッカー部に入る、という流れになりました。

――須田さんと登内さんはどういった理由で入部したのですか

登内 双子の姉がいまして応援部の方に所属しているんですけど、私は一年浪人しているので姉が一年生の時に応援部でやっている姿を家で見たり話を聞いて、とにかく大学に入ったらワセダの体育学部に入りたいなと思ってました。ア式蹴球部に入ろうと思ったきっかけは、3、4月にいろんな部活を見たり姉から話を聞いたりする中で、ア式のマネージャーの先輩から「日本一になるために自分たちで仕事をつくり出す」というお話を伺って、それで直感的に決めました。

須田 中学まではサッカーをやってて高校からボート部の方に移ったんですけど、高校1年の時にケガをしてしまって、それでも部員としてもやっていましたけどその中で選手のケガを見たり支える立場に変わっていって、その中でトレーナーやりたいなと思いました。志望校もトレーナーをやりたいということでワセダに決めて入学して、サッカーでトレーナーをやりたいなと思って来たのが始まりなんですけど、実際来てみてすごい厳しい環境だなとは感じました。ただすごく自分の成長にもつながるし、こんな世界もあるんだなというか、言ってしまえば高校の時にいた環境とは正反対でした。仕事関係とかも厳しいですし高校時代の雰囲気とは全然違かったんですけど、でもここで過ごせば自分の目標でもあるプロの世界でトレーナーになるってことにもつながりますし、この学生生活も有意に過ごせるのかなって思って入ろうと思いました。

――高校時代はサッカーを続けようとは思わなかったのですか

須田 中学で下手だったので(笑)。やりたかったんですけど…。

登内 下手なんだ。

廣谷 下手なんだね。

一同 (笑)。

須田 やりたかったんですよ!ただレベル的に心配だなと思いまして、その時サッカーをやりたいけどちょっと続けられるか心配だなって人の行き場がボート部でした。

廣谷 ボートも大変じゃない?

登内 でもほら、ボート漕がないポジションの人だから。

須田 それはケガしてからです(笑)。

登内 司令塔だもんね(笑)。

須田 ちゃんと成績残しましたよ。

廣谷 だそうです(笑)。

――大学でボート部に入ろうとは思わなかったのですか

須田 ケガをしててもできるポジションは一応与えられていてやりたいなとは思ったんですけど、活動場所が戸田で合宿所に入らなきゃいけないと聞いて、学校も1、2時間かかるので親に猛反対されてしまい、「頼むから4年で卒業してくれ」と言われたのでそれで諦めました。

――廣谷さんは高校時代は何をされていたのですか

廣谷 私は演劇部でした(笑)。

須田 初めて知った(笑)。

登内 だからよく声通るんですよ(笑)。

――運動部のマネージャーとかは考えてなかったのですか

廣谷 中学に入る時にサッカー部のマネージャーも考えてたんですけど、単純に募集が無かったっていうのと、兄が演劇をやってたので面白そうだなと思い入部して、中高一貫校だったのでそのままやりました。部長をやったりなんだりして6年間在籍してました(笑)。

――サッカーに興味を持ち始めたのはいつごろからですか

廣谷 サッカーは中学入って、2007年のアジアカップで羽生(羽生直剛)がPKを外したのがかなり印象的だったのが始まりというか、すごく大きかったです。元々野球とかテニスとかジャンル問わず見ていたんですけど、その試合から(サッカーの)とりこになりました。

――登内さんは何か部活はされてましたか

登内 私は中高バレーボールをやっていて、中学までは体操もやってました。駅伝の大会に出たこともあります。

廣谷 平均台?

須田 なんでそこで最初に平均台なの(笑)。

廣谷 なんとなくイメージで(笑)。

登内 でも平均台もやってました(笑)。

廣谷 体操は知らなかったな。

登内 日産スタジアムの中のスクールでやったりしてたんですよ。

――サッカーにはいつから関わり始めたのですか

登内 サッカーはお恥ずかしい話、ここ(ア式蹴球部)にくるまで詳しくは分かりませんでした(笑)。

廣谷 練習生の時はオフサイドも分かんなかったもんね。

須田 11人とかも知らなかったんですよね?

登内 それはさすがに知ってたよ!なんか大げさに言われますけどそこまでじゃないですよ(笑)。両親がマリノスファンだったので身近にサッカーはありました。

――入部した時は不安とかありませんでしたか

登内 とにかく入部するのに必死で、不安とかはありませんでした。

――入部する際にセレクションはあったりするのですか

廣谷 セレクションというわけではないのですが、年々変わってきてはいるんですけど、基本的に私の代の時から主将と主務と面接をして、その後仮入部して、仮入部中の取り組みの姿勢や人間性を評価してもらってっていうかたちですね。

登内 未宇さんは8月に本入部でしたよね?

廣谷 そうだね。麗音は10月だっけ?

登内 私は10月です。

須田 僕は7月です。

――トレーナーも同じようなかたちで入るのですか

須田 そうですね。でもトレーナーだとプラスして勉強だったりも課されて、そのテストの出来とか取り組みっていうのも評価されてますね。

――トレーナーの仮入部期間っていうのはどんなことをされるのですか

須田 トレーナーは仮入部期間は基本的には選手の体は触らせてくれなくて、筋肉の名前を覚えたりとか体のケガの見方を覚えて、先輩の方から大丈夫ってなって初めて触らせてもらえるっていう感じです。仮入部期間はほとんど触ることなく、勉強をひたすらしたり、先輩がやってるのを見て学んだりっていう感じですね。

――勉強はきつくなかったですか

須田 きつかったですね(笑)。学校の授業と被るとこもあったりしたんですけど、大変ではありました。

――ワセダにはサークルもありますが、その中でも部に入ろうと思った理由は

登内 私はそもそもサークルっていう選択肢が頭になかったです。

須田 僕もそんななかったです。

廣谷 なかったことはないですけど、(ア式蹴球部に)入るって決めてたので。

――教育学部だと周りにサークルで活動している人も多いのではないですか

廣谷 多いですね。楽しそうです(笑)。

登内 そう?

廣谷 うんまあ、なんだかんだね。ただ周りの人がサークルを見て回る時期からもうア式への見学とか始まってたので、そんなサークル見て回ることとかはなかったです。それこそさっき登内が言った通り、入りたい一心でしたので。

登内 もうあの時期はその一心だけです。

須田 僕も部活をやる方が将来の夢にもつながるなと思ってたので、サークルでやろうという気持ちも一瞬ありましたけど、それよりも部活でやりたいという気持ちの方が強かったです。

――マネージャーやトレーナーの方だからこそ話せるア式のエピソードなどはありますか

登内 なんだろうな。

廣谷 いっぱいあるよね。トレーナーとかもたくさんあるんじゃない?

登内 ケアル(ケアルーム)があるもんね。

廣谷 ケアルはもうたくさんの選手がたまる…いや、ケアをする場所なので(笑)。たくさん交流もあるかと思います。

登内 いろいろ話とか聞いたりするでしょ。

須田 あ、感動的なのならあります。

廣谷 お、じゃあそれいっとこ。

須田 いま岡山でプレーしてる片山さん(FW片山瑛一、平26スポ卒=現J2・ファジアーノ岡山)が昨年の5月かくらいに膝のケガをしてリハビリしてたんですけど、それがなかなか治らなくて、手術しないで頑張ってリハビリしてたんですけど良くはならなくて。結局手術ってなったんですけどそれでもなかなか治らなかったんですね。5月の公式戦からずっと試合に出れなくて、結局リーグ戦も終わってインカレを迎えてしまい、プロ入りもどうなるんだろうっていう状況でした。でも瑛一さんのリハビリに対する姿勢はすごく真面目で、他の選手と比べ物にならないほど熱心で最後までケアやリハビリをしてて、その姿がすごく自分の中で印象的でした。だから最後インカレでラスト15分ほどですけど出場したときは涙が出てきました。引退するとき話したいなと思って近づいたんですけど、近づいて顔を合わせたら涙が出てきてしまって。それを見て瑛一さんも泣きながら、「らいねん頑張れよ」って声掛けてくれたのがいまの力にもなっていますし思い入れがあります。最終的にプロになって本当にうれしかったです。

廣谷 いいね、感動的だね。

――ケガした選手というのはやはりメンタル的にも多少落ちてる部分はあると思いますが、どのように接していますか

須田 その時の境遇によりますね。基本的にはポジティブに考えていくように励ましだったり、「いまケガして得れるものもあるよ」っていう感じのことを言ってリハビリに向き合わせたりとかしてます。

――廣谷さんと登内さんはマネージャーをやっていて苦労したことはありますか

廣谷 日々(笑)。

廣谷 私はやっぱりなんだかんだことしの早慶サッカー定期戦(早慶サッカー)かな。

――定期戦にはどのようなかたちでマネージャーの方は関わっていらっしゃるのですか

廣谷 運営の一員としてですね。早慶委員会ってのがあるんですけど、そこで本部の方に入らせてもらいました。ことしは慶大が主幹事校だったので慶大がメインで話し合いながら決めていきます。きょねんまで私は話し合いに参加していなかったので、新しいことだったり、特にことしは等々力(等々力陸上競技場)に場所が変わって慶大の方の方が大変だったと思うんですけど、ワセダではどういう風にしていこうかって話し合うことは大変だったというか、新鮮でしたね。

――登内さんはらいねん早慶サッカーを主幹事校として迎えますね

登内 そうですね。ことしのリーグ戦の早慶戦(22節、●0-1)を集中応援日ということで選手主体でやったじゃないですか。中村(GK中村大志、法3=東京・早大学院)、私、川井(MF川井健吾、創理3=東京都市大付属)の3人で。負けちゃいましたけど、そこに向けて取り組んできた思いに熱いものがあったので、今度の早慶戦に向けてもいまから少し話し合いとかは始めたりしてます。今度主務になる恩田(DF恩田雄基、スポ3=埼玉・西武台)とかも含めて、今度はこうしていきたいね、ってことを話してます。

サークルでなく『部』として

大の仲良しである廣谷(左)と登内

――それではここからは少しプライベートな話に移りたいと思います。さきほども少しお話がありましたが、みなさんがワセダを目指した理由をお聞かせください

廣谷 私はやはり直感です、世の受験生からしたら怒られると思いますが(笑)。学力も高くて知名度もあってできることも大きいと思いましたし、ワセダのサッカー部っていうのを都(東京都リーグ)に降格した時の記事か何かで偶然見たんですよ。その時の印象が残ってて、漠然と自分がワセダのサッカー部に行きたいなと思ってました。他の大学ももちろん探しましたけど、自己推薦で合格できたワセダに行きました。

登内 私はそもそもはワセダが第一志望ではなかったです。ただ姉がワセダに入っていて。私たちは幼稚園から高校3年生までずっと一緒でしたが、浪人時代は実家を離れて一人で浪人時代を過ごしていて、自分たちは二人一緒にいる環境じゃなきゃ二人の力は発揮できないなと思ったんです(笑)。

廣谷 二人の力って(笑)。

一同 (笑)。

廣谷 大丈夫、続けて(笑)。

登内 たぶん姉もそう思ってるんですよね。二人でいる方が自分たちの良さを最大限発揮できると思っていたので、一緒の大学に入ろうと思いました。そんな変なこと言ってたかな(笑)?

廣谷 大丈夫、面白かったよ(笑)。

須田 僕はスポーツ科学部っていうのにこだわってて、トレーナーになりたいっていう思いがあったのでそれを目指して(大学を)探していったんですけど、国公立ってあんまりそういう学部が無くて。私立だと他には法大、順大という名の知れた大学があって、その中でワセダが一番偏差値が高かったっていうのもあったし、調べていく中でワセダには有名な先生方も多くいて、ここに入ることで一番多くのことを学べるんじゃないかなと思い入学しました。あと名門だったので。ギリギリで受かったんですけどね(笑)。

廣谷・登内 よく受かったね。

須田 本当にギリギリでしたよ。貧血起こしましたもん(笑)。

廣谷 えっ、テストで?

須田 そうなんですよ(笑)。

廣谷 緊張で?

須田 というよりも、問題が解けなさすぎて。やばいって思ってパニックになって、本当に目の前が真っ暗になりました(笑)。

廣谷 それ本当に受かって良かったね。

登内 運じゃないの(笑)?

須田 おかげさまでいまここにいられてます(笑)。

――普段学部ではみなさんどのようなことを学んでいますか

廣谷 私は教育心理学専攻に所属していて、1年生の時から学校心理学的な部分では障害のある子たちとの学校での接し方や、臨床心理学的な部分でアルツハイマー、統合失調症とかを学んでいってます。ゼミは臨床・スポーツ心理のゼミに入ってます。私は臨床心理の勉強が好きですね。障害に関することを学んだり、あと最近の話題だと危険ドラックとかも学んでます。

登内 私は健康福祉に関するロボットを作ってます。

須田 ロボット作ってんですか。

廣谷 話し始めたら1、2時間じゃ収まらないですよ(笑)。

須田 じゃあいいです(笑)。

一同(笑)。

須田 僕はスポーツ科学部の中でもトレーナーコースに入ってるので、トレーナーの勉強をしています。

――トレーナーの勉強はどういった内容ですか

須田 筋肉の名前を覚えたり、リハビリの見方だったり、あとは筋肉の構造とか、そういうことをやります。栄養についてもやります。

――コミュニケーションについても勉強なさるのですか

須田 取らなければいけない科目の中に英語だとか、コミュニケーションの科目もあるので、そこを取ったりはしますね。でもサブで取るみたいな感じです。

――須田さんは将来はトレーナーを目指しているのですか

須田 そうですね。いまはトレーナーで考えています。

――具体的に何をしたいという考えはありますか

須田 一番の理想はJリーグのトレーナーとしてやっていきたいなというのはあります。

――廣谷さんと登内さんは将来何をしたいですか

登内 私は具体的にはないのですが、ア式蹴球部を出てもいまと同じように常に日本一を目指していけるような、本気で打ち込める何かをしたいと思っています。

廣谷 私はやっぱり人を支えるのが好きだというのが根幹にあるなと思うので、社会に役立つことでもしていければいいなという感じです。あとは海外に行きたいです。

須田 仕事ですか?旅行ですか?

廣谷 どっちでもいいかな(笑)。

――どこに行きたいですか

廣谷 どこでもいいので、もちろん行ったことのないドイツとかフランスとかにも行ってみたいのですが、短期留学でオーストラリアとかに行っていたのでそこにもう一回行きたいですね。昔行ったときは高校生で気が付かなかったところとかあると思うので、そういうところはもう一回見たいなと思います。

――オフの日は何をされていますか

廣谷 伏見(東伏見)に来ています(笑)。基本的に伏見に来て何かしているか、授業もあるので(オフである)月曜日に授業を入れたりしています。

――東伏見に来て何をされているのですか

廣谷 日曜日の夜に連絡が来ていてすぐにしなければならない作業とかですね。

登内 ふらっと来ちゃうこともあるよね(笑)。

廣谷 私はふらっとは来ないけど(笑)。

登内 あ、来られないや(笑)。家が遠いんですよね。2時間くらいかかるんです。

――家はどこですか

廣谷 幕張のほうです。なかなかふらっと来られる距離ではないのですが、何かしらやることがあったりすると来たりします。それか家に帰って寝ます。そんな感じだよね。

登内 オフにこれをするということはないですね。私も授業がありますし。やらなければいけないことをやっていたら一日終わっちゃいます。ア式のこともそうだし、授業のこともそうだし。多分そのオフの日しか集中してやれる日がないので、オフの日にやらなければいけないことをためていることが多いですね。

須田 僕はそのときのマイブームで過ごし方が違います。映画見たいなと思って映画を見る週もあれば、一人暮らししたいなと考えてちょっと調べたりだとかしています。何もないときは本当に一日中ごろごろしているときもあります。

――最近のマイブームは

須田 最近はさっきも言った一人暮らししたいなと考えることですかね。

――それは家具を見に行ったりするのですか

須田 1年目に一人暮らしをしていて2年目に寮に移ったので、1年は一人暮らしを経験していました。前住んでいたのが所キャンのある小手指で部活から遠かったですし、大変だということもあり寮に移ったのですが、今度また一人暮らしをしたいなと思うようになってきてしまいました。

廣谷 わがままだな(笑)。

須田 言ってしまえばわがままです(笑)。

一同 (笑)。

廣谷 自分の気の持ちようだよ。一人暮らしも寮もそんなに変わらないでしょ。

須田 いや、変わります。

登内 何が違うの?

須田 寮の部屋って本当にベッドと机くらいしかないんですよ。

廣谷 お金のない一人暮らしだったらそんな感じだよ、多分。

――廣谷さんは一人暮らししてみようと思われなかったのですか

廣谷 相当思いました。でも家族の方から大学ももともと自宅から通える範囲で考えるようにとは言われていたので。

――部活があるときの帰りの時間はどのくらいになるのですか

廣谷 23時半とか。

登内 それ良い方じゃないですか?

廣谷 そうだね。でもまあ22時より前にはあまり帰らないですね。

須田 朝練とか何時に家を出るんですか?

廣谷  4時30分とか。

登内 夜の23時半に帰っての4時ですよね。

廣谷 1年生の仮入部のときには終電で帰って、朝始発で来て、練習見て、授業受けて、午後練来てっていうのは、本当に初めのころの何も分からないでいろいろ教えてもらっているときにはありましたね。私の場合は家族の協力があって成り立っていると思います。感謝でいっぱいです。

――あまり休みはないということでしたが、たまに学年単位で遊ぶことはあるのですか

廣谷 うちの学年はこの間、リーグ戦(関東大学リーグ戦)が終わったあとにお疲れ様会をやりました。

登内 みんなあったよね。うちらの学年もあったよ。

須田 僕らもありました。

――それは誰が主催するのですか

廣谷 うちは園田(MF園田慎一郎、社4=東京・早実)ですかね。

登内 うちは今度主務になる恩ちゃん(恩田)ですね。

須田 僕らは学年リーダーの純平(DF新井純平、スポ2=浦和レッズユース)ですね。

――先ほど入学当初はサークルに興味がなかったとおっしゃっていましたが、いまになってこのサークルに入ってみたかったなというサークルはありますか

廣谷 サークルに入っていたら人生が変わったというか、大学生活は大きく違ったのだろうなというのは友達がサークルの話などをしていたら思います。でもサークルに入っていればなということは考えたことはないです。

――もし入るとしたら何に入りますか

登内 私は入れないです、多分。そういうのに付いていけないと思います(笑)。

廣谷 何だろうね。ワセダならそれこそたくさんサークルあるからね。でも、ついていけないんだろうね。…私はたぶんバイトします(笑)。

――須田さんはいかがですか

須田 サークルに入って雰囲気を楽しむとか、飲み会したいとかそういうのはないのですが、最近サッカーの授業などがあって、いまは部活で見ている側ですけど実際ちょっと自分でプレーとかをするとフットサルなどをやりたいなと思うことはあります。その部分でサークルはちょっとやってみたいなという思いはあります。

――長期休暇のときなど集まってフットサルなどの試合をしますか

須田 あまりしないですね。それこそ高校がサッカー部ではないということもありますし、関東に来た元サッカー部もそんなに多くないので、あまりないですかね。

――お二人はボールを蹴ることはないのですか

登内 練習中にボールが転がってきたら蹴りますよ。

廣谷 私は1年生のときに古賀監督(古賀聡監督、平4教卒=東京・早実)のサッカーの授業を取っていました。水曜日の1限に仮入部中の私が監督とコーチと一緒にやっていました。

須田 サッカーのことを知ろうという感じですか?

廣谷 何かサッカーがやりたくて。体を動かすのが割と好きなので。

――授業のときはどのポジションでしたか

廣谷 一応女の子扱いしていただいてFWの方に入れてもらいました。女の子がゴールすると得点が2倍で、ヘディングだとさらに2倍なので4点でした(笑)。入れられなかったんですけど(笑)。

――選手たちを見ていてサッカーをやりたくなりますか

須田 思います。うまかったらやっていたかったなと。ここの人は本当にレベルが高いのでここまでは自分もなれなかったなと思うのですが、人並みにできたら高校でも大学でもサッカーをやっていたかったなとは思います。

廣谷 サッカーはやりたかったなとは思います。でも手遅れだな…(笑)。もっと小さいときにサッカーに興味を持ちたかったなというのはすごくあります。

――マネージャー同士、学生トレーナー同士他大学との交流はあるのですか

登内 慶大とは早慶戦で一緒に仕事をする関係で仲が良くなりますが、プラスして最近は専大や順大などとも一緒に仕事をしてきたので交流があります。やっぱり大学のサークルとかの友達とはまた違い、同じことに一生懸命になって打ち込んでいる仲間なので話が盛り上がります。3年目になってからですかね、そういう人脈が広がったのは。

廣谷 私はあんまりない(笑)。

須田 僕は2年になるまではほとんど他大学と交流はなくてワセダのトレーナーのつながりしかなかったです。でもサッカー連盟のほうでトレーナー講習会というのがときどきあって、そのあとに懇親会を開いていただいたときに、他の大学の学生トレーナーと初めてそこで出会ったり話したりするようになりました。そこから一緒にご飯に行ったり、試合があって対戦したときに話したりとか、そういう感じですかね。

廣谷 私は慶大のマネージャーとも結構仲が良いです。でも割と私は交友関係が狭いです(笑)。

――ワセダでは大会前などに千羽鶴のような願かけなどはしますか

廣谷・登内・須田 しないですね。

登内 そういう発想なかったのかな。

廣谷 ミサンガを作ろうかなという心持ちは1回あったけど、ちょっと無理だった(笑)。

一同 (笑)。

廣谷 スケジュール上編んでいる時間はなかった。

登内 チームとして何かやるとかはないよね。

廣谷 でもことしの前期はキャプテンマークにお守りが入っていました。

須田 知らなかったです、それ。

――それは誰がやろうと言ったのですか

廣谷 普段写真を撮ってくださる方がいるのですが、その方がア式優勝目指して頑張ってねということで東郷神社のお守りを買ってきてくださったんです。「関東とか連れていって」と言われたので、「じゃあ、キャプテンマークに縫おう」ということでやりました。ちゃんと汗だくになっても大丈夫なように取り外し可能にして内側に入れていました。でも後期からキャプテンマークが変わったので、いまは洋史(MF近藤洋史主将、スポ4=名古屋グランパスU―18)の部屋にあると思います(笑)。

――マネージャーや学生トレーナーの中でのあるあるはありますか

廣谷 何だろう。合宿中は頑張ってご飯を食べるとか。量が異常だから(笑)。選手と同じ量をマネージャーも食べるんですよ。

登内 出てくる量で食べるので。お腹いっぱいです。

廣谷 それと女子スタッフは毎年不仲説を流される(笑)。

登内 選手とかに「仲良くしろよ」って言われる(笑)。でもそう言われるけど、実際すごく仲が良いです。

廣谷 毎年不仲説出るよね(笑)。

登内 あと、割と家に帰ると人工芝が現れます(笑)。

一同 (笑)。

登内 教科書やスケジュール帳の間とかに(笑)。

須田 何でこんなところから出てくるのって(笑)。

廣谷 着替えているから絶対家にはいないはずなのに「あれ?人工芝だ!」ってなります。

須田 俺は冷蔵庫の中に人工芝が入っていることありますよ(笑)。

一同 (笑)。

――学生トレーナーはあるあるはありますか

須田 テーピングを選手に巻くのですが、そのテーピング代が選手持ちなんですよ。学生トレーナーとしては買ったやつをメモして管理して月終わりに請求というかたちにしているのですが、選手たちはトレーナーが倉庫からテーピングを持って来ようとすると「本当に買わせたがるよね」とか、「それでいくら懐に入るの?」とかそういういじりをされますね(笑)。

「全員で笑顔で終われるように」(廣谷)

3人にインカレへの思いを語っていただいた

――全日本大学選手権(インカレ)が近づいていますが、インカレに向けて特別に行っていることはありますか

登内 私は何かしているというわけではないのですが、未宇さんを始め4年生は自分と同じ年でもあり自分の同期と同じくらいの思い入れのある学年だったので、残り2週間の時間を悔いのないように、みんなに感謝の気持ちを伝えられるように大事に過ごしたいなと思っています。4年生には感謝しかないので、その思いを伝えられればなと思っています。

廣谷 何かうれしいな(笑)。

須田 リーグ戦となるとある程度登録されているメンバーが決まっていたのですが、多分まだインカレのメンバー登録が終わっていなくて。いま僕が担当しているのがBチームの選手なので、Bチームの選手からできるだけメンバーが出るようにコンディションを上げられないかなとか、ケガをしている選手がいたら何とかして痛みを減らせたらなというのも考えています。4年生もプレーできる残りの期間が迫っていて多少無理をしてプレーしている選手もいるのですが、その人もできるだけパフォーマンス出せたらなということで状態を小まめに確認するなど気にしてはいます。

――インカレが近づいている中でチームの雰囲気はどうですか

廣谷 やってやろうという気持ちは大きいし、一個一個に対する取り組みの姿勢はすごくエネルギーのあるものかなと思います。きっと勝利のためにまだまだできることはあると思うのですが。

――廣谷さんはこれで引退となりますが、いかがですか

須田 率直に寂しくなりますね。

廣谷 でも一番寂しいのは麗音ね(笑)。

登内 そう、私。本当に1年生のころから3年間未宇さんと一緒にやってきて、大変なことも辛いことも分かち合えるのがここだったのでやっぱり寂しくはなりますよね。

須田 一回、未宇さんが遠征から帰ってきて感動の再会みたいなのありませんでしたっけ?

廣谷 きょねん天皇杯と遠征が被っていたので私は金沢の遠征の方について行ったんですよ。天皇杯で負けた日に帰ってきたんですけど、それがすごく悔しかったのもあってか、バスから降りたら麗音が号泣で抱きついてくるというのはありました(笑)。

須田 確か帰ってくるの一緒に待っていたんですよね。そろそろ帰ってくるかなと待っていて、会ったら号泣でしたね。

登内 恥ずかしい(笑)。

――廣谷さんは引退が近づいていますが、4年生同士でそれについては考えることはありますか

廣谷 やっぱりみんなインカレに出たいですし、全員で出るのは人数的にも実際難しい部分はあると思うのですが、ピッチに立つのが全員4年であることがやっぱり4年生の中でも理想であり最大の目標ですし、私の中でもそれは見たいです。本当に頑張っている姿を見ると頑張ろうと思いますし、私が頑張ることで刺激じゃないですけど何かしら思ってもらえればなと思います。

――インカレで一番頑張ってほしい選手はいますか

登内 選ぶの難しいですね。

廣谷 難しいね。

須田 悩みますね。だけど同じ学年として学年リーダーの純平はすごく頑張ってほしいと思います。いま僕らの学年でも一人、将来主務という役目を託す人を選ばなければならないのですが、それもなかなか決まらない状態で。でもその中で純平は学年リーダーとしてすごく熱心になって考えてくれるし、先輩から誰よりも話を聞いたりして、人一倍僕らの学年のことを思っているし、チームのことも思っていて、その中でも前線で戦っているので、同期としても頑張ってほしいなと思っています。4年生だったら上形さん(FW上形洋介、スポ4=東京・早実)ですかね。3年のときに足の骨折をした時期があってそのケガをしてすぐの診察に僕がついて行ったんですよ。そのころにプロ入りも結構重要な時期になっていて、どうしようというようなメンタル的にもきているところがあって、それを乗り越えてのリーグ戦や早慶戦の活躍があると思うので、トレーナーとしても何かうれしいと感じるものはあります。インカレでも点を取って輝きを放ってきてほしいなと思います。

登内 本当に一人に絞るとしたら、最近ずっとケガをしていてリハビリを頑張っていた堀田(MF堀田稜、商3=浦和レッズユース)かなと思います。同期でもありますし、ずっとケガをしていたのでそこでも人一倍な努力でリハビリをしていたと感じますし、やっぱりインカレでは活躍してほしいと思います。ですが全員です。本当に選べません(笑)。

廣谷 私も4年生全員となってきてしまう中で選ぶとなって、三人までは絞れたのですが。

須田 では三人行きますか。

廣谷 理想も含めて、近藤洋史、貴司(MF近藤貴司、教4=三菱養和SCユース)、山下(MF山下翔平、商4=ヴィッセル神戸ユース)です。洋史は主将として頑張ってきていて色んな責任や伝統というものを背負っていました。1年から見ているので本当に成長したなって思う部分があります。本人も最後まで残って練習していたりとか見ているので最後にゴールを決めてほしいなと思います。後期なかなか決められていないので。近藤貴司はいま学科、専修も一緒で1年生のころから頑張っている姿を見てきた中で、後期の最後の方自身が活躍できなくて悩んでいる姿とかを見ていたのでインカレで決めてほしいなと思います。山下に関しては主務で悩んで働いて、洋史と同じ感じになってしまうのですが、そういう部分は近くで見てきていたのでAチームにはいないですが、夏の活躍だったりとかあったので、それを見るとやっぱりインカレの舞台に立って頑張ってほしいなと思います。

――最後にインカレに向けての意気込みをお願いします

須田 いまの代の最後の大会ということで、この代で言ったら集大成の大会だと思うので、自分もこの1年成長してきたと思いますし、いままで成長してきたことの証明するように、僕のできることを精いっぱいやって選手を支えていきますし、コンディションも高めていきたいです。先ほども話しましたが、Bチームからインカレに出る選手を出したいですし、集大成というかたちで、自分を含め、いま診ている選手を含め、出し切っていけたらなと思います。やっぱり出し切ることでらいねんが見えると思いますし、成長につながると思うので。

登内 先ほどもことしの4年生に対してすごく思い入れがあると話しましたが、ことしに関しては自分のシーズン最後という本当にそれくらいの気持ちで、悔いがないように2週間後を迎えたいなと思います。

廣谷 4年間取り組んできたことの私にとっても全てですし、同期の4年生にとっても全てだと思うので、もちろん部員全員が笑って終わることもそうですが、普段から見に来てくださっている方々とことしのア式蹴球部を一緒に喜んでもらう最大のチャンスであり、この機会を逃したらもうないと思うので、そこで全員で笑顔で終われるように頑張りたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 増山祐史、松本理沙)

裏方としての思いを綴っていただきました

◆廣谷未宇(ひろたに・みう)(※写真中央)

1992(平4)年5月7日生まれ。身長158センチ。千葉・麗澤高出身。最上級生の貫録でしょうか、取材中は終始落ち着いた様子で場を仕切っていました。日々苦労していたといいながらも笑顔で振り返るその姿からは、4年間で積み重なったア式蹴球部への思いがひしひしと伝わってきました。

◆登内麗音(とのうち・れいね)(※写真左)

1992年(平4)5月7日生まれ。身長163センチ。神奈川・横浜双葉高出身。人間科学部3年。廣谷さんと再会して涙を流すほどに仲の良いという登内さん。実は誕生日も全く同じ日でした!もはやその仲の良さは運命的なものがあるかもしれませんね。最高のかたちで先輩を送り出せるよう頑張ってください!

◆須田智博(すだ・ともひろ)(※写真右)

1994年(平6)7月20日生まれ。身長166センチ、体重55キロ。静岡・浜松西高出身。スポーツ科学部2年。取材中は先輩二人と常にいじり、いじられていた須田さん。あまりの掛け合いの面白さに対談も笑いの絶えないものとなりました。ただ目標はプロのトレーナーと語るなど将来の夢に真剣な一面も。いつかJリーグの舞台で『須田智博』の名前を見る日が来るかもしれません!