【連載】『平成29年度卒業記念特集』第5回 細沼千紗/庭球

庭球女子

楽しむ気持ちを原動力に

 「楽しいって気持ちが原動力になるんです」。細沼千紗(スポ=東京・富士見丘)の4年間はこの一言に集約されている。団体戦で無類の強さを誇り、早大に数々の勝利をもたらした細沼。常に試合を楽しみ、伸び伸びとプレーができていた3年目までとは裏腹に、主将のプレッシャーに押しつぶされそうになり、楽しさを見失った時期もあった。それでも苦しんだ末、待っていたのは全日本大学対抗王座決定試合(王座)での12連覇。どん底を経験した細沼が最後に強くあれたのは、笑顔で楽しくプレーできたこと、そして信頼できる大好きな仲間の存在があったからだ。

 「日本一のチームでもまれて強くなりたい」。早大進学を決めたのはそんな気持ちからだった。入学当時の早大は王座8連覇中とまさに学生テニス界の女王。高校時代、団体戦で日本一を経験した細沼は、さらなるレベルアップのために大学でも日本一のチームに飛び込んだ。全国から精鋭たちが集まる中で、1年目からダブルスを中心に団体戦にも抜てきされる。強い先輩たちに引っ張られながら伸び伸びとプレーできていたことで、早大に多くの白星を持ち帰った。試合を楽しむという持ち味を存分に発揮できたのが3年生の時だ。個人戦でも結果を残せるようになったと同時に、団体戦では1年間全ての試合で単複共に出場し、全勝。王座連覇の大きな原動力となった。ここで細沼に芽生えたのは「このチームを引っ張っていくのは私なんだ」という自覚。その気持ちから細沼は主将として、ラストイヤーを迎えることとなる。

 しかし最後の一年は苦難の連続だった。新体制始動後、最初の大会である全日本学生室内選手権で単複共にタイトルを逃すと、ここからなかなか勝てなくなった。個人戦では早いうちに敗退。団体戦の一つ、春の早慶対抗試合でも自分だけが黒星を喫した。「自分で自分にプレッシャーをかけてしまった」。早大庭球部の主将。その肩書きは想像以上に重くのしかかり、試合を楽しむ術を見失っていた。何とか打開策を見つけようと模索したが、全日本学生選手権(インカレ)では自分だけでなく他の部員の成績も振るわなかった。悪循環に陥り葛藤する毎日。部員や監督・コーチ陣からねぎらう言葉を掛けてもらうたびに申し訳なさが募った。インカレ後、4日間のオフを過ごし自分と向き合った細沼。「ここからは自分が大好きな団体戦。やるしかない」。王座出場すら危ないのではないか。そんな下馬評を覆すべく、団体戦シーズンへと挑んだ。

自分の手で日本一を決め、涙を流す細沼

 本気で勝ちたいという部員全員の強い思いの下、関東大学リーグを突破。王座では2試合を勝ち上がり、決勝戦は筑波大との一戦だった。ダブルスを2本とも奪い、シングルスに突入。細沼の相手は筑波大のエース森崎可南子だ。高校の後輩でもある森崎。「絶対に勝つ」。その気持ちだけで強敵に相対した。途中、苦しい局面もあったがそこで細沼を救ったのはチームメイトの応援だった。3年時から2年間ベンチコーチを務めた山添絵理(人4=千葉・渋谷教育幕張)をはじめ、多くの部員が勝利を信じコートサイドから見守る。チームメイトからの声援を力に変え、戦い抜いた細沼。自らの手で王座優勝を決めると、思わずコートにしゃがみ込んだ。「夢のようでした」。何もかもがうまくいかなかった一年間の苦労が一気によみがえり、全てが報われた瞬間だった。

 「『団体戦の女』だなと思いました」。王座後のインタビューでそう答えた細沼。4年間の団体戦での通算成績は61戦55勝と、恐るべき強さだった。なぜこれほどまでに強いのか。その理由を聞くと、「みんなでやることが大好きなんです」と答えてくれた。結果が伴わない時も支えになったのは、頼もしい先輩や自分についてきてくれる後輩、いつも声を掛けてくれる個性豊かな同期の存在だった。大切な仲間の存在が、細沼を笑顔にし、強くする。仲間と共に歩んだ充実の4年間を終え、今度は一人、プロの世界へと羽ばたく。大好きな団体戦の機会は少なくなるが、『笑顔で楽しむ』という信念は変わらない。日本一のチームでもまれて磨き上げた武器を手に、新たなステージでも細沼らしく挑み続ける。

(記事 吉田優、写真 熊木玲佳氏)