【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第2回 宮地真知香/庭球

庭球女子

『この一球』の精神で

 全日本大学対抗王座決定試合(王座)で男女アベック10連覇の快挙を達成した早大庭球部。その常勝軍団を1年間女子主将として支え続けてきたのが宮地真知香(社=福岡・折尾愛真)だ。個人戦でも団体戦でも活躍を見せた4年間だったが、「レギュラーとして試合に出ることはもちろん、主将になるとは思ってもみなかった」という。真摯(しんし)な姿勢でテニスと向き合い、背中でチームを引っ張ってきた宮地が歩んできたテニス人生を振り返る。

 テニスとの出会いは小学校2年生の時、近くのテニスコートに足を運んだのが最初だった。そこからは人に教わったり、市営のコートを借りて練習したり、相手がいない時には壁打ちをする日々が続く。雨の日は近くの関門トンネルでランニングをするなど黙々とトレーニングに励んだ。大学進学にあたり、大きな転機が訪れる。周囲の人々から関東で一番強い大学でテニスをやってみてはどうかと勧められたのだ。悩んだ末、伝統があり、圧倒的な強さを誇る早大庭球部の門をたたく決意を固めた。

女子主将としてチームを率いた宮地

 上京してきた宮地にとって、満員電車や人混みなど都会の生活は苦ではなかった。それ以上にテニスの環境の違いに驚きを隠しきれなかった。中学や高校から親元を離れ、強豪校でテニス漬けの毎日を送ってきた選手や設備の整ったきれいなコート。同年代でテニスをやっている人がいない地元とはあらゆる面で対照的だった。「何が何だか分からないまま練習して、試合に出ていた」と戸惑いながら1年目のシーズンを終える。2年目はケガで別メニューをこなしながらも、関東学生トーナメントと関東学生選手権の女子シングルスでそれぞれタイトルを獲得。普段緊張するタイプではないという宮地は、独特の緊張感が漂う王座でもその雰囲気にのまれることはなかった。シングルスで勝ち星を挙げ、連覇に貢献した。ハードコートで暑さとの戦いでもある全日本学生選手権では3年次にシングルスでベスト4と健闘。その年の王座の一週間前、土橋登志久監督(平元教卒=福岡・柳川)から「行動でチームを引っ張っていってほしい」と次期主将に指名された。責任と自覚が求められるポジションであり、その苦労は計り知れないものがある。「主将をやりたくはなかったが、自分が一生懸命やってコートの外でもちゃんとした姿勢でいよう」とチームを率いていく覚悟を決めた。

 就職活動や海外遠征などで多忙をきわめる中、ほかの4年生の存在は大きかった。それぞれが役割を担い、チームを支える。練習に参加できない時にはほかの同期が率先してチームを引っ張ってくれた。「実力はあるが、団体戦に向けてみんなの照準を合わせるのが一番大変だった」と語った宮地。まとまった瞬間は目に見えるものではないだけに、難しさを感じたという。関東大学リーグ戦(リーグ)では慶大にまさかの敗北。早慶対抗試合の連勝記録は32で止まり、先輩たちが築き上げてきた連覇が途絶えた。試合後、OBから選手たちにある言葉が投げかけられた――「本当に勝てない相手なのか」。必死になってできていただろうかとふと疑問を抱いた。「最後だからやるしかない」という思いのもと、何度もミーティングを開き、ギアを入れ替えて練習に励んだ。迎えた王座当日、「みんなリーグの時とは別人のように試合ができていた」とチームにこれまで以上の一体感が生まれた。決勝では慶大にリベンジを果たし、10連覇を達成。アベックでは11連覇目を飾り、新たな1ページを歴史に刻んだ。「試合後の同期や後輩からの『ありがとう。』の一言がすべてだったと思う」。チームメートから掛けられた感謝や労いの言葉こそがこの一年間の宮地の努力を物語っていたに違いない。主将になって良かったと心から思えた最高の瞬間だった。

 早大庭球部には『この一球』というスローガンがある。字義のごとく、目の前の一球一球を大切にするという精神だ。「テニスはそれがすべて。日頃も同じで小さなことも一つ一つ大事にしていく積み重ねで大きくなっていくという意味では、これから生きていくうえでも役立つと思う」と宮地は言う。そしてまた「見てくれている人は必ずいるし、結果はどうであれそこに至る過程が大事」と、真面目に取り組むことの大切さを学んだ4年間でもあった。部員全員が目の前の一球に対して、決しておごり高ぶることなく謙虚に、そして真面目に、テニスと向き合い続けているところに覇者たるゆえんがあるのかもしれない。『この一球』の精神は次世代へと確かに受け継がれていく。

(記事 佐藤亜利紗、写真 山本葵氏)