インカレ直前特集「奮励努力」。最終回は、若林魁主将(スポ4=岐阜農林)、橋本侑京(スポ3=東京・足立新田)、そして佐藤太一(社3=大分・楊志館)の上級生トリオだ。昨年の悔しさを知る彼らは、このインカレで勝つために1年間努力してきた。そんな彼らには、インカレに向けての決意はもちろんのこと、普段の私生活や過去の先輩とのエピソードなどを明るく語ってもらった。
※この取材は10月13日に行われたものです。
「一回一回の稽古を大切に」(若林)
笑顔で明るい若林主将
――よろしくお願いします。最初に、メンバー紹介をお願いします。まずは主将から、後輩のお二人を紹介していただけますか
若林 3年生の橋本侑京です。ムードメーカー的な役割をしてくれて、相撲の実力もあり、頼りがいがあります。ちょっと褒めすぎかもしれませんが(笑)。まだ幼いというか、やんちゃな部分もあります。一緒にいて本当に面白い存在ですね。佐藤太一は、寮で同部屋になって3年目になるので、身近な存在です。後輩というより同期のような感じで、タメ口も使ってくるし(笑)。先輩と思っていないような感じがあります。でも練習の時には真面目にやります。この二人は、部内でも身近に感じる二人です。
――では、後輩のお二人から、主将を紹介してください
橋本 若林魁『主将』です。選手としては同期がおらず、つらい時もあると思うのですが、一人でも頑張ってチームをまとめてくれている先輩です。日常生活でもとても良くしてくれていて、よく3人で出かけたり遊びに行ったりします。本当に、僕が生意気なだけかもしれませんが、先輩というよりは『仲良し』という感じで、過ごしています。
佐藤 はい、若林魁『主将』です。
若林 要らんやろ、それ(笑)。
佐藤 自分は同部屋なので、一緒にいる時間がとても長いです。仲良くしてもらっていますね。いつも「メシ食いに行くか」とか、声をかけてくれます。とても身近に感じる存在です。主将として、あと少しなのですが、頑張ってもらいたいです(笑)。
若林・佐藤 誰?(笑)
――若林選手は、まもなく4年間の相撲部での生活が終わりますが、実感はありますか
若林 そうですね。監督(室伏渉監督、平7人卒=東京・明大中野)からも「俺が稽古を見られるのもあと何回だ」とか言われていて、引退が近づいているんだなと感じます。その中で、一回一回の稽古を大切にしないといけないなと感じています。
――寂しさはないですか
若林 寂しさというよりは、今できることをやろうという気持ちです。今、寂しさを感じるということはないですね。
――後輩のお二人は、引退が近づく若林さんへの思い、寂しさなどはありますか
佐藤 寂しさか…(笑)。自分は、今は感じてませんね。インカレになったら感じるかもしれません。今、あと「何回だ」という感じの、しみじみとした稽古はしてません。
橋本 毎回号泣していられないしな(笑)。
――では、相撲の話から離れて、いろいろな話をお聞きしたいと思います。みなさん、授業はいかがですか。4年生になると、もう少ないでしょうか
若林 授業は今はもうないですね。教育実習演習があるだけです。
――普段、授業も稽古もないときはどういった過ごし方をされてますか
若林 友達と遊んだり、部員とご飯に行ったりということが多いですね。あとは体を休めて。体のケアですね。
――意識が高いのですね
若林 やはり、最後なのでね。
橋本 本当に?(笑)
若林 まあ、ちょくちょく遊びに行きます(笑)。
――3年生のお二人は、授業などどうですか
橋本 自分は教職科目を取っています。春学期は楽していたのですが、秋学期は結構授業が詰まっていますね。学校が始まってからは、平日の夜は練習なので、遊びに行く機会は少なくなりました。でも、友達にも会えるし、学校が始まるのは嫌いではないので、楽しくやっています。
佐藤 自分も楽しく学校に行っています。
――若林さんは、将来の進路については
若林 僕は、地元の岐阜に帰って、教員になります。最初は高校ではないのですが、将来的には、母校で相撲部を持って、ここに選手を送れたらいいなと思っています。
――3年生のお二人は、将来のビジョンはありますか
佐藤 模索中ですね。こういうことしたいというのは定まってないです。
橋本 模索中ですね(笑)。
――では、岐阜の話も出ましたが、それぞれのふるさと自慢をお聞きしたいです
若林 岐阜は、予想通りかもしれませんが、自然が豊かです(笑)。でも、田舎すぎるわけではないです。きょう、植田ヘッドコーチ(力康、平22スポ卒)が来ていたのですが、岐阜が特集されているテレビを見て、「意外と岐阜栄えてるじゃん。行ってみたくなった」と言っていました。思った以上に住みやすく、なんでもあるところだと思います。これから大分の自慢をすると思いますが、大分よりは絶対に栄えています(笑)。
――大分の佐藤さんから反論はありますか
佐藤 比べるまでもないというか、大分は大分の良さがあるので(笑)。負けてるつもりはないですが。大分も自然が豊かで、何もないところは何もないです。でも、大分駅付近はかなり栄えています。宇佐大会があって部員のみんなも行ったことがあり、結構いいところだと言っていました。あとは、温泉が多いですね。自分は家が別府なので、温泉は毎日行けるような距離にあります。友達と遊びに行くときは、温泉です。「温泉行こうぜ」という感じです。
若林 遊びで温泉って、ちょっとな。おじさんや(笑)。
佐藤 サウナで語るみたいな。
――男の付き合いですね
佐藤 サウナに行って、ご飯食べに行って、酒を飲むという感じです。
若林・橋本 ジジイや(笑)。
――橋本さんはいかがですか
橋本 東京なので、「栄えている」という基準なら、比べるのは申し訳ないですが(笑)。僕は東京都荒川区の出身で、下町の方にあたります。東京なのでお店はたくさんあり、商店街もあります。東京はビジネスマンが多くて馴染みづらい、仲良くなりづらいというイメージもあると思うのですが、下町なので、近所のおばちゃんもいるし、良くしてくれる接骨院の先生もいて、本当にみんなが優しくしてくれるいい街だと思います!
「ライバルは侑京」(佐藤)
いじられ役に徹した佐藤
――昨年の対談では、若林さんと谷本さん(将也、平30スポ卒=鳥取城北)が同じグループでした。その時に、若林さんと同級生の二人が、現在大相撲で活躍していて、中学・高校ではライバル関係にあったとお聞きしました
若林 全然そんなことない(笑)。違うんですよ。
橋本 『3強』な(笑)。
――そのあたり、詳しくうかがいたいのですが
橋本 『3強』話を!
若林 ライバルなんて言ったらみんなに笑われるぐらいで、力の差は当時からあります。佐藤貴信の貴景勝(埼玉栄、貴乃花部屋→千賀ノ浦部屋)と、打越奎也の阿武咲(青森・三本木農中退、阿武松部屋)は、同期で、中学・高校では試合でも一緒にやったことのある存在です。本当に目標とする、この人に勝てれば優勝できるんじゃないかという強敵で、カベでした。今は離れすぎて、勝負しようとも思わないですが。
橋本 インターハイの前評判みたいなものがあって。打越は中退したのでいなかったんですが、佐藤貴信がやはり一番で、佐藤と、今は東洋大にいる西野(倫理、石川・金沢市工)あたりが中心で、「追う若林」でした(笑)。調べれば出てきますよ。「追う若林」ってしっかり書いてあります。
若林 そんなことないんですよ。多分書かれたのも1回だけです。岐阜出身の新聞記者が書いたんだと思います(笑)。
橋本 「追う若林」だからなあ。
――では、現在は、ライバル視している人はいますか
若林 ライバル視している人は特にいないですが、自分より上だなという人はたくさんいるので、少しでも多く勝ちたいなというのはありますね。
――3年生のお二人は、ライバルだと思う人、「この人には勝ちたい」という人はいますか
若林 (佐藤に)それこそ侑京じゃないの?
佐藤 侑京は、確かにそうですね。高校では、同級生とほぼ二人で稽古をしていて。大学でも同じように二人なので、二人でライバル意識を持ってやっている感じはあります。
橋本 僕は高校の時に、東京都代表で国体に出て、団体戦で3位になりました。それが、何十年ぶりぐらいに3位に入ったメンバーです。そのメンバーは、いろいろな高校の混成チームで、今も他の大学で相撲をやっています。そのチームメイトとは、今でも試合をやるとなったら意識はしますね。東京でチームを組んで、一緒にやってきたので。刺激にもなります。
――若林さんと橋本さんは、スポーツ科学部ですね。早スポでは他の部活も取材していますが、他の部に所属していて、仲が良くて、活躍している人はいますか
若林 一番身近なのはバスケットボールですね。ゼミ生にも結構いて、特に長谷川暢(スポ4=秋田・能代工)は、一緒にゼミに行くし、授業も取っています。彼はプロに行くので、すごいなあと刺激になります。あとはバレーボール部にも知り合いがいて、バレー部にもVリーグに行く人がいます。仲の良い人が本当にプロというか、極める道に行くので、すごいなあと思います。
橋本 僕も結構いろんな友達がいます。一番仲が良いのは柔道部で、佐藤竜(スポ3=東京・修徳)とかは強いなあと思います。他にもいろいろな部活と関わりがあります。ラグビー部の齋藤直人(スポ3=神奈川・桐蔭学園)は、授業も一緒に取っているのですが、W杯のメンバーにも選ばれるかもしれないと言われています。あとは、レスリングの山﨑弥十朗(スポ3=埼玉栄)とか、同じ寮でやっているのですが、すごいなと思いますね。食事とかもストイックですし。その3人以外にも仲が良い人はいっぱいいるんですが、強い人は何事にもストイックだなあと。食事とか、サプリメントとか、トレーニングメニューも、話を聞いていてすごいなあと思います。それを少しでも取り入れようかなとは思っています。
――佐藤さんは社会科学部ですが
佐藤 友達はいます(笑)。ただ、部活生となるとしぼられますね。社学はそんなにいないので。でも、柔道部は本当に仲良しですね。一般の友達はたくさんいます。みんな頭が良いですね。
――昨年は、4年生が多くいました。今日も鬼谷智之コーチ(平30スポ卒=愛知・愛工大名電)の姿がありますが、卒業されてからも交流はありますか
若林 時間を作ってくれて、結構顔を出してくれますね。「調子どうだ」とか、気を遣ってくれます。それは頼りになるというか、嬉しいです。安心した気持ちになりますね。
佐藤 鬼谷先輩は、個別にご飯に行ってくれたりしていて、コーチだなという感じがします。
――相撲の話もされるんですか
佐藤 いや、ご飯の時はあまりしないですね。「いっぱい食べろよ」という感じで。
――橋本さんはいかがですか
橋本 鬼谷コーチと本田先輩は、近いのでよく来てくれてます。あと、堀越先輩は昔から知り合いなので、たまに会いますね。市川先輩は長野、谷本先輩は鳥取にいて、あんまり来ることはできないのですが、試合前は連絡してくれることもあって、嬉しいなと思います。電話をしても気さくに出てくれるし、本当に良い先輩たちだと思います。
――その4年生がごっそり抜けて迎えた今年でしたが、試合など振り返って、ここまでいかがでしょうか
佐藤 僕は昨年まではあまり団体戦での出番はなく、今年に入って一気に出番が増えました。東日本学生選手権では全然勝てませんでした。そこから、少しは勝てるようになってきたので、そういう面では少しは成長できているのかなと思います。チームとしては、やはり昨年と比べると、人数的にも戦力的にも…というところは言われると思います。インカレでは、個人でも団体でももう少し結果を出せればいいなと思います。
――佐藤選手は今年に入って体つきの変化を感じます。相撲でも力強さが出ていると思いますが、トレーニングの内容に変化はあるのですか
佐藤 以前は形式的に、ベンチプレス、スクワットというだけだったのですが、今は何が足りないかを考えながらしていますね。体幹のトレーニングも多くしています。
――成果が出ているんですね
佐藤 私は出ていると思います。
若林・橋本 (笑)。
佐藤 なんで笑ってるんですか。本当に思います。
若林 良いと思う。出とる、出とる。
橋本 素晴らしい。良いですねえ。
佐藤 最近、バカにしてくるんですよ(笑)。これからも頑張ります。
――では、橋本さん、若林さんもお願いします
橋本 そうですね、4年生が五人抜けたので、チーム作りという点から始めました。(昨年の)4年生は全員インパクトがあり、相撲の実力でも、チーム作りでもインパクトがあった人たちでした。今年は4年生が若林先輩一人しかいないので、僕ら三人で頑張ってチーム作りをしようというところから始めました。今は、やっとチームとしてまとまってきたのかなと思います。個人的には、昨年はまだ2年生で、先輩たちもいて、気楽な立場で試合に臨んでいましたが、人数が減って、自分がしっかり1点を取らないと、団体戦としては話にならないなというポジションになってきました。気負いすぎず1試合1試合集中して、試合の入りから意識して取り組んでいます。
若林 五人の先輩方は実力があったので、五人抜けて戦力が低くなったというのはもちろんあります。ただ、それよりも、頼もしさというか、メンタルの面で支えられていたのだなというのは感じますね。すごく声出しもしてくれていたし、1点取ってくれるしということで、本当に大きな存在だったなというのは感じました。僕は、4年生になって、プレッシャーをすごく感じて、そのプレッシャーと戦いながらの試合というのは今まで以上に疲労を感じるし、実力が発揮できないこともあります。苦しい思いもしたんですが、徐々に慣れてきているかなというのはあります。インカレに向けて、今はケガもあるのですが、そういうところともうまく向き合って、インカレで頑張りたいなと思います。
――橋本さん、若林さんはケガを抱えながらの試合があったと思います。苦しい時期もあったと思いますが、どのような気持ちで乗り越えてきましたか
橋本 僕は、今年は指をケガしましたが、ケガをした中でも試合には出ていました。ケガをしたのは自分の弱みや、心の油断があったからだと思います。ただ、試合に出るってなったら、試合に出られない人もいるので、チームに迷惑をかけないためにも、一からしっかりやって、ケガをしてもそれを補えるように頑張ってきました。
若林 僕は小さいケガが多かったですね。今も腰をケガしています。今までは、ケガをしても甘く見ていたところがあって、治療をおろそかにしている部分がありました。ただ、4年生になって、責任もあるので、治療に専念するという自覚も、ここにきて出てきたかなと思います。
橋本 (佐藤に)ケガなし!
若林 いいことだ。
佐藤 日頃から、ストレッチをしているので(笑)。そういうところが良かったかなと思います。
「昨年負けて気づいた、インカレは特別な試合」(橋本)
試合とは違い、穏やかな表情の橋本
――先ほど、マネージャーの方の対談をさせていただきました。マネージャーのお二人は、選手の方々にとってどういった存在ですか
若林 これはいくらでもしゃべれるな。
橋本 3時間ぐらいかかるかも(笑)。
佐藤 献身的にサポートしてくれていて、すごく感謝しています。土日とか、一番遊びたい時間だと思うので。日曜日も朝早く来てくれて、帰るのは3時、4時になるので、ほぼ1日遊べなくなってしまうんですが、それでも毎週来てくれます。そういうところは感謝して、自分たちも頑張らなくちゃいけないなと思います。他の部活のように、水を出す、声出しをするという風に競技に関わっているわけではなく、ご飯を作って提供するという特殊な仕事なのですが、こうして来ていただいているので、感謝しています。
橋本 縁の下の力持ちというか、お母さん的というか。相撲という競技柄、競技自体に関わることは少ないと思うのですが、ご飯を作ってくれたり、僕らが試合に出ている時に、僕らの知らないところで、応援しに来ていただいた方の相手をしてもらったり、マネージャーは様々な仕事がある中で、よくしてくれています。今となっては、合宿なども含めて、いなくてはならない存在だと思います。本当に、お母さんのような『無償の愛』を感じております(笑)。
佐藤 ご飯は最近すごいですね。毎回うまいです。
若林 レベルアップがすごいです。お店を出せるレベルですね。トレーナーの吉田晃仁さんも、「マネージャーさんが作る、栄養バランスのとれた食事があるから、ここまで体を追い込める」とよくおっしゃっています。バランスも考えてくれてますね。
佐藤 しかも、食材は自分たちで決めていなくて。ここに来て、ここにある食材でメニューを決めるという感じで。ここに来てから、稽古が終わる2時間の間に、何を作るか考えています。それでクオリティーの高いご飯を出してくれるので、本当にすごいですね。あとは、話も聞いてくれるし。侑京も、すぐ話すんですよ、悩みとか。
若林 本当にお母さんみたいな感じだよね。やっぱり男ばっかりだとむさ苦しいので。
橋本 ここらへんに相談しても、何もいい意見が出ないので(笑)。乙女心がないのでね。しょうもない会話で終わってしまいます(笑)。
若林 マネージャーがいてくれると大きいですね。
――今までで、印象に残っている遠征地や、合宿などはありますか
橋本 僕は1年生の時、初めて行った合宿ですね。鬼谷先輩の地元の土佐清水(高知県)に行きました。大学に入って初めての合宿だったので、どんな感じかな、と思っていました。試合の合間ということもあって練習は軽めにしていたのですが。僕らはまだ未成年だったので、お酒を飲まなかったのですが、当時4年生の先輩が暴走しまして(笑)。当時3年生の鬼谷先輩の代も元気があったので、すごくて。とてつもないところに来てしまったな、と思いました。これがワセダか、と(笑)。でも試合では切り替えていたので、ONとOFFを切り替えられるチームなんだなと思いましたね。
――宇和島大会(4月29日)と宇佐大会(5月3日)の間の合宿ですね。その移動は、フェリーで行くのですか
佐藤 そうですね。フェリーで行って、そこから電車でした。
若林 合宿か、やっぱり土佐清水が印象強いな。衝撃的で(笑)。
――土佐清水では、どのようなところに泊まられたのですか
橋本 鬼谷先輩の知り合いの方の民宿でしたね。本当にご飯もおいしかったです。
――若林さんはいかがですか
若林 僕が1年生の時までの恒例で、湯河原(神奈川県)の、監督の知り合いの方のところで合宿をしていました。僕が2年生になってからは、赤沢(静岡県)でトレーニングをすることになったので、今となっては思い出深いですね。いろいろトレーニングのコースがあって。朝6時から何百段の階段をダッシュする、みたいな(笑)。今思うと、監督の車でたまにそこを通るのですが、「あれもう1回やりたいな」とか言っていて。懐かしいなと思いますね。
橋本 1年生の時の合宿が一番印象に残りますよね。その後は、だんだん慣れてくると思うので。
――若林さんは、相撲を何年も続けてこられた中で、このインカレで一つの区切りということになるのでしょうか
若林 社会人になっても、少しだけ続けます。今ほど毎日はやらないですが、練習ができる時に、できるところに顔を出します。教員の大会もあるので。若いので、大会に出なきゃいけません(笑)。でも、本格的にやるのは一区切りになるかなと思います。
――ここまで長く相撲を続けてこられた要因は、何だと思いますか
若林 僕の場合は、相撲が好きというのももちろんありますが、周りに恵まれたなと思います。小学校のクラブチームから始めたのですが、指導者の方々が、僕にとって本当に尊敬できる方ばかりで。また、高校に入って、大学に入っても、他の学校に比べると、僕に合っている監督でした。指導者との出会いには恵まれましたね。あとは、今、二人もいますが、仲間に恵まれました。相撲が好きというよりも、そっちの方が大きいですね。周りには本当に感謝しています。いいこと言うやろ、たまには(笑)。
――今の言葉を聞いて、後輩のお二人はどうですか
佐藤 その通りだと思います(笑)。
橋本 僕は、もう泣きそうです!
若林 うそつけ!(笑)
――来たるインカレへ向けて、意気込みをお願いします
佐藤 (部員たちは)ケガもあるので、状況は厳しいといえば厳しいんですが、そう言われながらリーグ戦もなんとか1部残留ができました。チームの士気は落ちていないと思います。このまま、あと1ヶ月もないですが、できる限り自分も含めて個人で追い込んで、やっていきたいです。1点1点、やることをやれば、勝てないチームではないと思うので。頑張っていきたいと思います。
橋本 僕は、大学入学してからは、自分で言うのもなんですが、高校時代より成績が出て、試合にも勝てるようになってきました。ただ、今3年目で、一番悔しかった試合はいつかと聞かれると、昨年のインカレで、2ー2の大将戦を落としてしまったことです。本当にその時は悔しくて、当時4年生の人たちにも申し訳ないという気持ちがありました。先輩たちを送り出せなかったなという気持ちが強かったです。インカレというのは、昨年負けて、改めて特別な試合なんだなと思いました。今年のインカレでは先鋒で出るんですが、自分がやってきたものを全て出して、チームに流れを作って、1点を取りたいなと思っています。
若林 インカレがこのチームの最後の試合でもあり、僕のワセダとしての最後の試合にもなります。1年前に立てた『全国ベスト4』という目標は、全力を出し切れば、必ず達成できると信じています。やるべきことは、それぞれわかっています。あとはそこで、声出しだったり気配りであったり、主将としてやるべきことをしっかりとやって、目標を達成できるように、全力で頑張っていきたいと思います。
――最後にお聞きしたいのですが、昨年の対談で、インカレで好成績が出たら監督や主将を胴上げしよう、というお話をうかがいました。ただ、皆さん結構体重があります。しっかりと持ち上がるのでしょうか
橋本 監督は、大きいですけどね(笑)。
佐藤 大きいけど、まあ。
若林 全員で囲んだら、1人15キロぐらいか。余裕ですね(笑)。
橋本 準備は万端です(笑)
――では、その姿を楽しみにしております。ありがとうございました!
(取材・編集 元田蒼)
仲の良すぎる3人
◆若林魁(わかばやし・かい)
1996(平8)年7月3日生まれ。180センチ、100キロ。岐阜農林高出身。スポーツ科学部4年。唯一の4年生として1年間チームを引っ張ってきた主将。後輩の面倒見もよく、明るい性格です。全国学生個人体重別選手権では3位入賞を果たすなど、実力も十分。チーム始動時に掲げた「インカレベスト4」の目標を達成して、有終の美を飾れるか。期待です!
◆橋本侑京(はしもと・ゆきひろ)
1998(平10)年1月8日生まれ。178センチ、125キロ。東京・足立新田高出身。スポーツ科学部3年。気迫あふれる相撲でチームに白星をもたらす早大相撲部のエース。強豪校の選手とも互角以上に渡り合える力を持っています。大将として臨んだ昨年のインカレで悔し涙を流しているだけに、ことしにかける思いは人一倍。闘志がみなぎっています!
◆佐藤太一(さとう・たいち)
1998(平10)1月14日生まれ。167センチ、100キロ。大分・楊志館高出身。社会科学部3年。巨体にも正面からぶつかるガッツあふれる佐藤は、要所で勝負強さを発揮。ことしは体も一回り大きくなり、自信がつきました。初めてメンバー入りするインカレでは、盟友・橋本とともに、最高のかたちで若林先輩を送り出してほしいところです!