万里一空
「自分が自信をもってやってきたと言える唯一のもの」。中学で出会ってから10年間、堂脇周平(文構=城北埼玉)のそばには常に少林寺拳法があった。競技を始めたときから目指していた全国制覇の夢を自らの代で叶えることはできなかったが、大学生活4年間を少林寺拳法に捧げたことに後悔はない。早大を1年間主将として率いた拳士が得たものとは。
堂脇が少林寺を始めたきっかけは「全国大会に出場してみたい」という想いからであった。堂脇の通っていた城北埼玉高校は全国大会に出場経験のある強豪校であり、全国制覇という目標も現実的であった。しかしながら、中学・高校と合わせて6年間かけても全国制覇の夢はかなわなかった。諦めきれなかった想いを遂げるため、当時全国2連覇を達成していた早大少林寺拳法部への入部を決意した。大学の練習は、量や質が高校のころとは比べ物にならないくらい高く、入部して1年間はついていくのに必死だった。毎日ヘトヘトになるまで練習をして、何度もやめることを考えたという。その努力が結果として表れたのが、全日本学生大会だ。立合評価法・中量級の部で3位になるなど出場した3部門で入賞を果たし、その存在感を示した。
全日本学生大会立合評価法・中量級の部で連覇を果たした堂脇
下級生のうちは自らの技術向上を主に考え、ひたむきに努力を続けていた堂脇であったが、3年生になると部の準幹部として後輩の育成に目を向けるようになった。自分自身が先輩たちから教わってきたことをどのように後輩たちに伝えていくかと悩むこともあったという。後輩の育成と自己成長を両立させていく中で結果も出し続けた。第50回少林寺拳法学生大会では団体と立合評価法・中量級の部で1位となり、悲願の全国制覇を果たした。この大会で4年生は引退し、自身の代が最上級生となると、周りからの信頼も厚かった堂脇が主将となった。「1人1人が自分で考えて行動できるチーム」を目指して、後輩を指導するときにも彼ら自身に考えさせるようさまざまな工夫をしながら指導にあたった。
堂脇が主将になって迎えた初の対外試合は、入学してから2年連続で敗北していた早慶戦だった。「先輩たちが敗れて悔しがる姿を見てきただけに絶対に勝ってやろう」と強い気持ちで挑み、見事勝利をおさめ、悲願の早慶戦優勝を果たした。堂脇の目には嬉し涙があふれた。それからも主将として、個人だけでなく少林寺拳法部を全国制覇に導くために鍛錬を続け、迎えた自身最後の大会。4年間の集大成として臨んだ第51回少林寺拳法全日本学生大会では、立合評価法・中量級の部で連覇を果たし、早稲田拳士の力を結果で示した。団体の部では惜しくも2位に終わり連覇は逃したが、後輩たちが多くの賞を獲得し、1年間主将として率いてきたチームの成長を実感できたことがなによりの誇りとなった。
『万里一空』。目標、目的などやるべきこと見失わずに励み続けること。まさに堂脇の競技人生を表しているこの言葉が1年間少林寺拳法部のスローガンであった。同期の仲間を『戦友』、同期を含めた部員達を『家族』と称して話してくれた堂脇の姿には少林寺拳法部、そして青春の10年間を共に歩んだ少林寺拳法という競技に対する大きな愛を感じた。
(記事 涌井統矢、写真 木村綾愛)