汗と涙の『結』晶
「こんなに(チームを)離れがたくなるとは思ってもみませんでしたね」。そう言って中條結衣(スポ=JFAアカデミー福島)は屈託のない笑顔を見せる。しかし、他人と比較して見つかる課題への焦りに加えて、相次ぐけがに不甲斐なさを感じる日々は、決して楽なものではなかった。それでも、副将としてア式蹴球部女子(ア女)を支える経験から得たものは何か。自分の居場所を求めて手探りでもがいていた中條が、他人の居場所を築きあげる存在にまで成長したこれまでの軌跡を追う。
小学校2年生でサッカーに出会った中條は、瞬く間に無心でボールを追いかける魅力にとりつかれた。そこで、地元で全国レベルの選手が集まるJFAアカデミー福島へ入部。中学校では基礎を繰り返し練習し、高校では戦術面を重視した練習を積み重ねた。この6年間で中條は、チームメイト個人の特徴を生かして補い合う戦い方や、意思疎通の重要性を学ぶ。そしてより高いレベルの環境を求めて、大学進学を決断。ア女の練習に参加した際の雰囲気に惹かれて自己推薦入試に挑戦し、早大入学を果たした。
得点を喜ぶ中條(中央)。みんなで得点を称えるのがア女スタイル
期待に胸を膨らませてア女に加入した中條だったが、下級生時代は「挫折でしかなかった」と振り返る。今までの指導者に指示されことだけをこなすサッカーから、チームには何が 必要なのかを自分で考えるサッカーをしなければならなかった。だが、そこに正解はない。「実力がものをいう世界とはこういうことか」と何度も心が折れそうになる日々。けがでの離脱をうらやましく思い、練習に行きたくないと思うほど追い詰められた。それでも仲間の努力をする背中や、同じ競技者の目線から親身に相談にのってくれた学科の友人たちに鼓舞される。そしてなによりも、『サッカーが好きだ』という変わらない気持ちが中條を突き動かした。
4年生になると主将の高瀬はな(スポ=ジェフユナイテッド市原・レディース千葉U18)に副将を任される。今まで自分のことで精一杯だった中條だが、チームのことを第一に考えるようになった。真面目な主将とムードメーカーの自分。意思疎通がしやすい雰囲気をつくるために、積極的に下級生の意見に耳を傾けた。メンバーの貢献を称え、落ち込んでいればそっと寄り添う。その結果意見交換の好循環が生まれ、関東女子リーグ戦11連覇を達成するなど、チームのパフォーマンスは向上。個人としても、弛(たゆ)まぬ努力で主力選手としてチームを牽引した。苦悩があったからこそ自分を見失わずに努力を続け、ボランチやセンターバックとしてア女の屋台骨を担う存在に成長した中條。集大成の全日本大学女子サッカー選手権大会は準優勝に終わり、「はなを日本一にする」夢は惜しくも叶わずに引退を迎えることとなった。だが、「最後はみんな同じ方向を向いて頑張ってくることができた」と手ごたえも口にした。
最も印象に残った試合を聞くと、間髪入れずに「早慶戦」だと答えが返ってきた。勝利の喜びよりも、普段試合に出ることができない4年生と共にピッチに立つことができた喜びの方が大きかったという。ア女の一員として過ごした4年間を通して、『苦楽を共にした同期』というかけがえのない存在を得た。あえてア女と一定の距離を保ち、自らの居場所を探していた中條はもういない。周りを気遣って、誰かの居場所を築きあげる副将の姿がそこにあった。卒業後はサッカーから離れることも視野に入れたが、なでしこ2部のニッパツ横浜FCシーガルズでサッカーを続ける。今まで十数年続けてきたサッカーを辞めて後悔しないのかと自問自答し、もう一つ上のレベルでプレーすることを決断するに至った。どんな困難にも打ち克つ強さを身に着けた中條の汗と涙の『結』晶は、新たな舞台でも輝きを放つだろう。
(記事 手代木慶、写真 永池隼人)