【連載】『平成30年度卒業記念特集』第58回 柳澤紗希/女子サッカー

ア式蹴球女子

けがを乗り越えて

 「自分と向き合う時間多かった。客観的に自分を見れるようになった」と柳澤紗希前副将(スポ=浦和レッズレディースユース)はア式蹴球部女子部(ア女)での四年間をこう振り返る。けがに苦しみ、思うようにプレーできない時期が多かったが、精度の高いキックと中盤での献身的な守備でチームの勝利に貢献。そして4年生では副将を務め、常にチームのことを考えてきた。

 父親の影響で小さい時からサッカーボールで遊んでいたという柳澤。小学校3年生時に幼稚園の男友達から地元のスクールに誘われ、本格的にサッカーを始めた。はじめはチームになじめず苦労したというが、「シンプルにサッカーが楽しかった」と日に日にサッカーに没頭。試合でも多くのゴールを決めるなど実力を伸ばし、小学校6年生ではトレセンにも選考された。そしてこのトレセンをきっかけに、柳澤はジュニアユースチームのセレクションを受け、見事浦和レッズレディースジュニアユースに合格。よりハイレベルな環境でサッカーに打ち込むこととなった。しかし、ジュニアユースでは中学校3年生時に、ユースでは高校3年生時に膝前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまう。それでも、けがをする前より上達することをモチベーションにしっかりとリハビリに取り組んだ。「つらいことが多かったが、この六年間がなかったらうまくなっていないし、ベースとなるプレースタイルを確立できていなかった」と柳澤は振り返る。そして高校3年生の夏、トップチームに昇格できないことが通達されると、「浦和レッズレディースユースよりも強いところに行きたい」と早大でサッカーを続けることを決めた。

精度の高いキックで多くの好機を演出してきた

  1年生時、柳澤は膝前十字靭帯断裂の影響で、同期が先輩たちを差し置いてリーグ戦で活躍する中、なかなか全体練習にすら参加できなかった。しかし10月頃に復帰をすると、育成リーグで爆発的な活躍見せる。するとその活躍が評価され、皇后杯本選から徐々にベンチメンバー入りを果たした。背番号が6に変更となった2年生では、関東リーグでスタメン出場を果たすなど幸先のいいスタートを切ったが徐々に出場機会を失ってしまう。さらに腰の分離症で1か月間の安静を余儀なくされ、関東大学女子リーグ戦(関カレ)にはほとんど出場することができなかった。しかしこれまで二度も大けがを経験している柳澤は決して腐ることなく、このけがの期間で日常生活の姿勢から見直し、自分にフィットした練習を行うなど自分の身体としっかりと向き合った。3年生からはMF村上真帆(スポ3=東京・十文字)とポジションを争うこととなったが、村上が1年生ながら結果を残していたこともあり、柳澤はなかなか出場機会に恵まれず、腐りかけてしまう。しかし、そんな柳澤を救ったのはOG山本摩也(平27スポ卒)の言葉だった。「チャンスは不平等かもしれないけど、与えられたチャンスの中で結果を残すにはそれまでの準備の仕方が全部結果として表れる」。柳澤は自分と境遇が似た山本からの言葉で腐ることをやめ、自分の調子を落とさないように努めたという。そしてア女で生き残るためには人の真似では生き残れないと、自分の特徴である『頭を使った周りを活かすプレー』を磨くことに徹し、ベンチからチームメイトのプレーを見て様々なことを吸収していった。すると皇后杯のINAC神戸レオネッサ、ノジマステラ神奈川相模原戦では途中出場ながら存在感を発揮。この二試合をきっかけに柳澤は1ボランチのポジションに抜擢され、全日本大学女子選手権(インカレ)3連覇に貢献した。

 そして迎えた4年生。柳澤は主将である熊谷から副将に任命された。しかし、インカレ4連覇を目指す大事なシーズンにも関わらず、序盤にまたもけがで離脱をしてしまう。自分の身体のことだけで手一杯になってしまう時もあったが、柳澤は副将としてチームのことを考え、献身的に行動することを心がけた。そして戦線復帰を果たすと、チームに喝を入れるなどリーダーシップを発揮し、関東女子リーグ10連覇の偉業を達成。持ち前の精度の高いキックに加えて、セットプレーのキッカーや強化してきた守備での存在感が光った。また関カレなどチームの連携がかみ合わない期間には、中盤として攻撃陣、守備陣それぞれの意見を聞きながら、チームバランスを保つことを意識した。そしてついに迎えたインカレ。柳澤は準々決勝でFKから決勝ゴールを決めるなど四年間の集大成となるこの大会で躍動する。決勝では中1日という厳しいコンディションの中、身体を投げ出してでも最後の最後までチームのためにボールを追いかけた。結果日体大に敗れ、4連覇を達成することはできなかったが、柳澤は「やり切った」とこれまでやってきたことを出し尽くし、ア女での四年間を終えた。

 卒業後は浦和レッズレディースでサッカーを続ける柳澤。一部のチームに入ることは考えてなかったというが、ユース時代に一緒にプレーしていた選手が多く所属していることもあり、思い切ってハイレベルな環境への挑戦を決めた。周りの選手のレベルが高く、試合に出場することが一層難しくなるだろう。それでも「(試合に)出れないのは当たり前。どう自分が変化していくか成長していくかが勝負」と冷静に自分の現状を分析する。これまでどんなカベにぶつかっても、自分と向き合いそれを乗り越えてきた柳澤。きっとプロの世界でも『頭を使った周りを活かすプレー』で躍動してくれることだろう。

(記事 永池隼人、写真 下長根沙羅氏)