【連載】『平成29年度卒業記念特集』第54回 伊藤奨/レスリング

レクリング

真面目という個性

 自他共に認める真面目な性格。今年度レスリング部主将を務めた伊藤奨(スポ=長崎・島原)はどこまでもチームの勝利に貪欲だった。プレーヤーとして順調な成長曲線を描いた時、伸び悩みを感じた時、主将として葛藤を抱えながらもチームを支えた時。憧れのワセダで誰よりも真摯(しんし)にレスリングと向き合い続けた日々が、伊藤奨を大きく成長させた。

 地元・長崎でレスリングを始めた伊藤奨。同じクラブに所属していた先輩がワセダで主将を務めていたことから、中学生の頃から「ワセダに対する憧れはあった」というが、高校2年時までの実績はいま一つ。ワセダへの挑戦は半ば諦めて、国立大学への進学を検討していた。しかし3年時に転機が訪れる。JOC杯カデット選手権で2位になり出場を決めたアジアカデット選手権で3位に入った。国際大会で残したこの結果で自信をつけて、憧れのワセダへ挑戦する決意を固めた。

 念願かなってワセダに入学した伊藤奨。「1年生のときはなかなか自分のプレーができなかった」と初年度は苦しんだが、日々の鍛錬が実を結び急成長。入学当初目標に掲げていた「インカレ(全日本学生選手権)3位、全日本出場」という目標を2年目にして早くも達成した。天皇杯全日本選手権(天皇杯)では兄・伊藤優との兄弟対決も実現。充実した選手生活を送っていた。しかし、そんな中でも伊藤奨は『個性』という大きなカベにぶつかっていた。

 「自分でちょっとコンプレックスなんですよね」。元来、選手の個性を重視する早大。練習方法もユニークで、その個性を生かして世界の舞台へ羽ばたく選手も少なくない。だが伊藤奨は、基礎は固まっていたが、どんな相手からも確実にポイントを奪えるような絶対的な技がなかった。なんでも器用にこなせるが、自分だけの武器がない。そのことが伊藤奨の頭を悩ませ続けた。「何か一つを極めるというのはすごい難しいんだなと思いました」。好調だった2年時から一転、3年時は天皇杯の出場も逃し、伸び悩みを感じるシーズンとなった。

試合に勝利し、チームメートへ『W』サインを送る伊藤奨

 そして最終学年を迎え、主将に就任した伊藤奨。これまでも主将の経験はあったが、実績で上回る下級生たちがいる中でチームをまとめ上げることは苦悩も伴った。今も脳裏に焼き付いている試合がある。東日本学生リーグ戦の予選リーグ最終戦、相手は拓大。王座奪還を目指す早大にとって絶対に負けられない大一番だった。この試合の先陣を切った伊藤奨は見事に勝利を収めた。しかしその後、チームは接戦で逆転負けが続き、7人合計3-4で惜敗。悔しさがつのり、試合後伊藤奨は涙を流したという。相手との間に感じた、勝利への執念、団結力の差。その差を埋めるべく、伊藤奨は奔走した。選手一人一人の声に耳を傾け、自分の考えを相手に理解してもらうためにコミュニケーションの取り方も試行錯誤を重ねた。さらに、寮生活においては規律を徹底。マットの上でも、日々の生活においても先頭に立ってチームを引っ張ってきた。この一年、会場でプレーする仲間をひときわ熱を込めて応援する伊藤奨の姿を何度も目にした。

 「自分に特別(レスリングの)センスがあると思ったことはない」。そう語る伊藤奨だが、自分をより高みに押し上げようと誰よりも地道な鍛錬を継続できる、その真面目な性格こそが伊藤奨が有する個性であり、才能なのかもしれない。その姿勢は後輩たちの胸にも刻まれたことだろう。卒業後は大学院に進学するため、レスリング中心の生活は終わりを告げる。競技者としては一つの区切りとなるが、今後は勉学の道で自分だけの新たな個性を模索していく。ワセダで過ごす時間、苦楽を共にしてきたチームメートたち、レスリングというスポーツが伊藤奨にかけがえのないものを与えてくれた。「どんなときも頭の片隅にある。好きなんだろうなと思います、レスリング(笑)。なんらかのかたちで恩返しができれば」。たとえいつかマットを離れても、伊藤奨とレスリングの絆は永遠に続く。

(記事 皆川真仁、写真 太田萌枝氏)