日本を沸かせたノルディック複合団体戦、28年ぶりのメダル獲得。それを支えた、団体メンバー入りを果たせなかった唯一の日本代表選手、谷地宙(スポ3=岩手・盛岡中央)の存在も忘れてはならない。谷地は個人ノーマルヒルに出場し、ジャンプで5位につけたものの後半のクロスカントリーで失速。30位という結果に終わった。しかしこの大舞台を経験し、先輩たちの偉業を目に焼き付けた21歳の、これからのノルディック界を引っ張っていく自覚は十分。谷地は2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ大会での金メダル獲得を目指す。
※この取材は2月21日に行われたものです。
次なるステージへ
初めての五輪の舞台で、納得の飛躍をした谷地
――初めてのオリンピックお疲れ様でした
ありがとうございます。
――ノルディック複合個人ノーマルヒルのみ出場され、ジャンプでは5位につけ、最終順位は30位となりました。ジャンプのあとにガッツポーズも見られましたが、思い通りの飛躍ができましたか
ノーマルヒルに関しては練習からずっといいジャンプが続いていて、本番でも実力を存分に発揮していいジャンプができたので、ガッツポーズが出ましたね。
――先頭と1分4秒差で、W杯総合首位のランパルター選手と共にスタート。どういうレースを思い描いて臨みましたか、結果を振り返ってどう感じていますか
総合首位の選手なので、クロスカントリーの力もすごくあるっていうところで、離されるだろうなとは思っていました。それでもいい位置につけられていたので、せっかくの五輪で守りに入ってもしょうがないなということで、攻めて(W杯)総合首位のランパルター選手にもついていって、どこまで粘れるかって思ったんですけど。やっぱり思ったより速かったりとか、あとは標高が高かったり、あとはコースがきつかったりというところで結果的に体力を最初の方で使い切ってしまって、どんどん落ちてしまったという感じですね。
――SNSでは「楽しみながら競技できました。ノルディック複合の面白さと難しさを改めて感じました」と投稿されていました。楽しかったという思いについて聞かせてください
楽しさはやっぱりありましたね、初めての舞台でしたし。選手村での生活だったり、オリンピックの雰囲気だったりとか、そういうことも含めて楽しむことができたんじゃないかなと思います。
――オリンピックという舞台で戦う意義、価値はなんですか
もともと競技を始めた理由がオリンピックっていうところで、もちろん五輪出場だけではなくて金メダル獲得が最終目標ではあるんですけど、やっぱり始めたときから意識していた舞台だったので、そういうところに自分の価値があるんじゃないかなと思います。
――まわりの方から声はかけられましたか
オリンピックが内定してから、競技始まってから、競技終わってから、すごいたくさんメッセージもらって反響はすごいなと感じました。五輪というところで注目度はいちばん高いなと感じました。
――谷地選手から見た団体戦の感想を教えてください。また、メンバー入りを果たせなかった中での日本チームの銅メダルですが、谷地選手にしかわからない景色は何が見えましたか
銅メダルを獲得できたポイントとしては、やっぱり僕はジャンプでトップ集団に近いところでスタートできたところだと思うんですけど、あとはクロスカントリーの走りがみんなしっかり粘れていて、最終走者の山本涼太(令2スポ卒=現長野日野自動車)選手に渡せたというところはすごく大きいかなと思います。団体戦は僕はコースの中にいたのでゴールの瞬間は見ることができなかったんですけど、痺れた瞬間と言われると難しいですけど、あとから映像みてやっぱり最後のラストスパートはさすがだなというか、そこはすごい盛り上がったんじゃないかなと思いましたね。いろんな感情があって、もちろん一緒に頑張ってきた仲間、チームメイトだったのですごく嬉しかったですし、それこそ28年ぶりのメダル獲得というところで嬉しさもありましたし、感動ももちろんありましたし。そういう中でもやっぱり悔しいなという気持ちがいちばん大きいですね。
――コース内では声かけをされていたのですか
そうですね。コースの中にコーチングゾーンっていうのがあって、30メートルくらいなんですけど、いろんなところにコーチングゾーンがあるんですけど。選手に声をかけていましたね。声かけはそのときそのとき違いますけど、戦略を伝えたりだとかあとは選手を鼓舞するように「わーっ」ってしゃべりかけたりする感じですね(笑)。
――渡部暁斗(平23スポ卒=現北野建設)さんから団体戦のビンドゥンドゥンのぬいぐるみを貰ったと拝見しました。どんな言葉をかけられましたか
競技終わった後の表彰式のときにもらったんですけど、「あげるよ」って言われました(笑)。いろいろそのとき忙しくて、写真の撮影とかもあったので。もらってそのまま写真撮影だったので、特に長い言葉はもらわなかったですけど。でも言葉にしなくてもわかるというか、「次はお前だぞ」って言われたような感じがしました。
――他のメンバーにかけられた言葉で印象的だったものはありますか
山本涼太選手には「次は金メダル獲ろう」と声をかけてもらいました。
――他のメンバーは全員早稲田の卒業生でしたが、「チーム早稲田」という意識はありましたか
もちろんありましたね。いまトップチームはほぼ早稲田ですし、早稲田スキー部、OBということで本当にこうチーム感というか、ひとつにまとまって、まあ年齢は結構離れているんですけど、そういった中でもチーム力を感じながら競技できました。競技以外でも、私生活からチーム早稲田でできたんじゃないかと思います。
――同期の廣瀬崚(スポ3=富山・雄山)選手や先輩の山本涼太選手の存在は特に支えになっていましたか
やっぱり同期とか先輩が同じオリンピックの舞台に立っているのは本当に刺激になりましたし、あまり競技見れなかったんですけど、映像で見ることができたときにはやっぱり「自分も頑張ろう」っていうふうに思いましたね。
――三ケ田(みかた)礼一氏の「人は思い描いた人生を歩むことができる」という言葉で、中学1年生のときにスキージャンプ転向され、クロスカントリースキーもする複合の選手になられました。思い描いているこれからの人生図を教えてください。
競技に関しては次のミラノ・コルティナダンペッツォ大会(ミラノ五輪)で金メダルを獲得するということがひとつ大きな目標かなと思います。
――ブログ、SNSでもよく情報発信されていますが、何をいちばん伝えたいですか
ブログやSNS全体、競技でもそうなんですけど、「夢を持つことはすごいいいことなんだよ」っていうのがひとつ。あとは挑戦することの素晴らしさというんですかね、挑戦するのはすごい楽しいし、かっこいいことなんだよっていうことをいろんな人に伝えたいと思っていて。というのも、よくこう…何世代っていうんでしたっけ(笑)わからないですけど、自分で「できないや」ってなって、やらない世代って言われるじゃないですか。そういうのが広まるよりかはやっぱり、挑戦って大きいものでも小さいものでも変わらないと思うので、自分がやってみたいなと思っていることに関して、挑戦できる人が増えたらいいなと思っています。
――次世代のノルディックスキー界を担う選手として意気込みをお願いします
そうですね(笑)。今回はこう先輩たちに抜かれて、五輪やW杯も競技していましたけど、次は僕が先頭に立って引っ張っていく立場だと思うので、自覚と責任を持ってやっていきたいなというふうに思います。
――先ほど目標にミラノ五輪での金メダルを掲げていましたが、2026年の自分にひとことお願いします
目標達成おめでとう、ですね。
――最後に、早稲田に持ち帰りたい教訓はありますか
難しいなあそれは(笑)。オリンピックを通じてですよね…教訓か。やっぱりこういろんな目標を持っている仲間だと思うんですけど、それぞれがそれぞれを応援しながら、競技が違いライバル関係でももちろんあるんですけど、それでもチームとして強くなっていくためには人をこう下げて自分をあげるのではなくて、お互い応援しあいながら強くなっていくというのがひとつのチームなのかなというのを伝えたいですね。
――ありがとうございました!
(取材・編集 槌田花 写真提供 共同通信社)
◆谷地宙(やち・そら)
2000(平12)年5月4日生まれ。168センチ。岩手・盛岡中央高出身。スポーツ科学部3年。2022年北京五輪、ノルディック複合個人ノーマルヒル出場で30位(飛躍:103.5メートル/116.9ポイント/5位、距離:28分38秒6/30位)ブログやツイッターなどでも自身を発信されています。ぜひチェックしてみてください!