「同志」
「スキー部の仲間に出会えたことは僕の人生の財産です」。はっきりとした言葉でそう語るのはチームの主将、岡村慧胤(スポ=長野・白馬高校)だった。決して楽な道のりではなかったが、それ以上に得たものがあった。これまでのスキー人生を振り返る。
親戚の影響で幼い頃からクロスカントリーに馴染みのあった岡村。両親の勧めで小学5年生の時長野県の冬期スポーツ育成事業に参加し、本格的に競技を始めた。3年間寮で生活した高校時代は、ほとんどの時間をスキーに費やしたという。そしてスポーツをレベルの高い環境で学び、それを競技に活かしたいという思いで早大スポーツ科学部を受験。全国でも有数のトップレベルの選手が集うスキー部に対する挑戦心とともに、入学を決めた。しかし、現実は甘くなかった。「自己推薦で運良く入学できたという感じで、実力も周りの学生に比べたら下の方だった」と自分でも思っていた。それを強く実感したのが1年時のインカレ。岡村は個人種目がままならぬ結果となり、リレーメンバーに選出されなかった。一方、早大はリレー種目で優勝。仲間の華々しい活躍に対する感動と自分の弱さに対する悔しさが同時に押し寄せた。多くのことを貪欲に吸収し、他の部員に一歩でも近づけるよう食らいつき、練習する日々が続いた。
真剣な表情でゴールヘと突き進む岡村
体力と持久力の両方が必要なクロスカントリー。日々の練習から身体を追い込むものが多く、ランニングやローラースキーで3時間近く走り続ける日もあった。どんな炎天下の日でも行われ、その一つ一つが本当に苦しかった。そんな中、支えとなったのが同種目の仲間達だった。「同じ練習をして同じ苦しみを味わって、励まし合いながら互いに高め合えて本当に大きかったと思う」。家族よりも長い時間を過ごし、苦楽を共にする仲間の存在は岡村の中で日増しに大きくなった。
そんな中3年時のインカレ期間中、先輩や監督の話し合いの末に新主将に任命された。「まさか自分が任されるとは思ってもみなかった」という。強い後輩も入ってくる中で、自分がうまく選手達をひっぱっていけるのかという不安も抱えていた。そんな矢先に新型コロナウイルスが流行。部員は7月ころまで各実家での活動を強いられた。部として今できることは何か。コーチと部員全員が違う場にいる中、どのように連携を図るか。慣れないZOOMでやりとりをしながら、主将として試行錯誤する日々が始まった。予期せぬ状況を受け入れられず、「何でこうなってしまったのだろう」と思い悩む時期もあった。それでも離ればなれになった仲間をなんとかつなぎ止めるべく、しっかりと部全体に目を向けるようになっていった。ただがむしゃらに、自分の競技のことだけを考えていた頃の岡村ではなくなっていた。
4年時のインカレは中止となったが、その代替大会が開催された。岡村にとってはそれが最後の大会だった。今シーズンは思うような成績が出ておらず、結果は惨敗。しかし、最後のレースを終えて後悔よりも全てを出し切った感覚が上回った。サポートをくれた全ての人、家族、そしてスキー部の仲間達に感謝を述べた。「特にスキー部の仲間とは四年間濃い時間を過ごしてきて、本当に特別な存在になった。自分にとって大切な『同志』」と思いを語った。過酷な練習や予期せぬコロナ禍など、4年間多くの試練と向き合ってきた岡村。その一つ一つを、仲間と乗り越えてきた。互いを思いやり、互いを強くする。主将の語り口からは、早大スキー部のそんな絆の強さが垣間見えた。
卒業後は小売業で、これまでの人生を共にした山とスキーに別の形で関わっていく。後輩に対しては、「とにかく四年間一生懸命勉強も部活動も最後までやり抜いてほしい。どんな状況になっても臨機応変に対応して、学生生活をどうにかしてうまく充実させてもらいたいなと。一つも悔いを残さないように、本当に全力で謳歌してもらいたい」と思いを語る。早大で得た「同志」との思い出を胸に、新たなスタートを切る。
(記事 齊藤 里和、写真 早大スキー部提供)