勝利至上主義
『勝つこと』。それは、中平賢郷(スポ4=青森・東奥義塾)の人生の中で最も大切なことであった。高校3年間、そして大学に入学してからもその考え方は変わらない。そんな中平だが、現役最後のレースとなった今年のインカレの回転の2本目だけ、違った思いでレースに臨んだという。
高校3年間はスキーだけに集中していた。限りなく不可能に近い『インターハイ優勝』という夢を追い、すべてを犠牲にしてスキーに真摯に向き合ってきた。そんな中平のエネルギーの源となっていたのは、曲がった考え方、異常なほどの『勝利至上主義』であった。他人は結果で評価する――。勝つことに意味がある――。そう信じてやまない中平は、スキー本来の楽しさを見失っていた。
それでも、その時は訪れた。高校3年次に青森県の大鰐温泉スキー場で行われたインターハイで、中平はその夢を実現したのだ。悲願の優勝。「正直嫌いだった」というスキーに向き合い続けた3年間の努力が、結果となって現れた瞬間だった。誰もが『喜び』や『達成感』であふれたのだと思うだろう。しかし、中平の感想は違ったものであった。「すべてを犠牲にしてやってきて、表彰台の上から見えた景色は、あまりにもつまらないものだった」。追い求めてきた勝利の価値は、中平の想像よりも低かった。それでも、早大入学後もその歪んだ『勝利至上主義』は変わらなかったという。
大学1年目の全日本学生選手権(インカレ)では4位入賞を果たし、6年ぶりとなるチームの総合優勝に大きく貢献した。2年次のインカレでは8位入賞とまずまずの順位に滑り込んだが、この時点で中平は『引退』の2文字を考えるようになる。そして、それに追い打ちをかけるような出来事が中平を襲った。3年次のシーズン序盤でのレース中、中平はコース外のクレバスに落ちてしまい、足をけがをしてしまったのだ。内側側副靭帯損傷。そこから中平は痛みや恐怖心と向き合いながらスキーを続けることになる。2年連続で入賞を達成していたインカレでも、途中棄権が2つと無念の結果に終わった。『勝てない』ことにいら立ち、他人に八つ当たりをしてしまったこともあったという。そんな中平にとって、大学卒業後もスキーを続けるという選択肢は、もはや頭にはなかった。
競技を続けないと決めてからは、モチベーションの低下に悩まされたという中平。そんな中平を刺激したのは、同期の存在であった。「自分の夢に向かって練習する同期を見て、『負けていられないな』というのがあった」と振り返るように、中平の勝利に対する欲望を奮い立たせたのは、紛れもなく同期の存在であった。
現役生活最後となるレースを終え、胴上げされる中平
そして挑んだ今年のインカレ。スーパー大回転と大回転では思うような結果を残せずに回転を迎えることとなった。1本目は30位。「アスリートとして立つのか、楽しめればいい、という一般人的感覚で立つのか、その踏ん切りがつかないままスタートしてしまった」というように、現役最後の戦いとなるこのレースでも『勝つこと』を追い求めるべきか、中平は迷っていた。しかし、この結果こそが中平を吹っ切れさせることになる。入賞が絶望的になってしまった2本目は、『楽しもう』と割り切ってスタートラインに向かうことができた。そして、大歓声に包まれて滑り降りた中平のタイムは、全体でも2番目の好タイムであった。
自分のことを「エゴイストで、自己中心的」だと分析している中平。勝利を追い求めるあまり、孤独を感じることも少なくなかったという。それでも、今年のインカレで聞こえてきたのは、仲間たちからの大声援であった。「スタートに立つのは1人だけど、そこにたどりつくプロセスは1人じゃない」。多くの人は結果で判断する。だからこそ中平は『勝つこと』にこだわってきた。それなのに、中平の耳に届いてきたのは、それまでの過程を共に歩んできた仲間たちからの応援であった。勝ち負けだけではない、大切な存在の価値に気付いた瞬間。それは、「初めてスキーをやってて良かったと思えた」瞬間でもあった。
みんな、応援してくれてありがとう。本当に楽しかった――。
一足早く山を下りた。そして、中平は新たなスタートを切る。
「仕事は見えない誰かのためにある」。卒業後は農業関係の仕事に就くという中平もその例外ではない。お客さんに安全な野菜を届けること。海外の人々に日本の農作物の良さを知ってもらうこと。それらの仕事は確実に誰かの幸せに変わっている。「自己中心的に生きてきた分、今度は誰かのために生きていきたい」。そんな中平の些細な思いは、きっと誰かに届くはずだ。
(記事、写真 山田流之介)