【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第61回 佐藤友樹/スキー

スキー

追求心が見せたもの

 スキーという競技は個人種目だ。しかしチームで支えあったからこそ生まれる強さがある。スキー部は特にチームという意識が大きい。ことし、その柱を担ってきたのは佐藤友樹(スポ=新潟・十日町)だった。世界を舞台に活躍する選手が多いスキー部に憧れて入部し、徐々に結果を残し始めた佐藤友。主将になったとき、チームは全日本学生選手権(インカレ)で過去4年間、男子総合優勝に一歩手が届かないところにいた。「常に変化し続ける進化し続けるチームになってほしい」。そんな思いを込めて、掲げたチームのスローガンは『変革』。『変革』を求め、佐藤友が走り続けた日々とは。

 憧れの場所での生活も現実はそんなに甘くなかった。1年生のときに出場した世界ジュニア選手権では惨敗。「どこか自分は大丈夫だ、これだけできていればいいだろうというので勝手に満足していた」。佐藤友は過去の自分との決別を決意する。一人で練習していたところを先輩と共に練習をするなど、常に変化を意識。その結果2年生のときに多くの好成績を残し、ナショナルチームにも選ばれ飛躍を遂げた。迎えたラストシーズン。主将に選出された佐藤友が一番意識したことは、より人の意見に耳を傾けることだ。「違う視点で物事を考えている人の意見を聞くことで競技や私生活においてプラスになる場面が多い」。結果を残して背中で引っ張り、かつ締めるところは締める。だからこそチームの誰からも信頼される存在となっていった。

最後のインカレで主将としての意地を見せた佐藤友

 最後の大舞台。「ことしはチャンスがある」と決意を胸に臨んだが、インカレ2日前に胃腸炎複合の風邪と診断されてしまう。完全な調子が戻らないまま迎えた初戦の30キロクラシカル。途中棄権もあり得る状態であったが、吹雪のなか懸命に走り続け10位入賞を果たす。体調不良のなかでの入賞、ただ佐藤友は悔しさをにじませた。「雰囲気を良くするという意味でも自分の入賞というのはすごく重要になってくる」と主将としての責任を自覚する。また、日を追うごとに、思うように得点が稼げず男子総合優勝の夢は遠ざかっていく。「自分のベストを尽くすことが結果としてチームのためになる」と仲間に伝え、臨んだ10キロフリー。自身の優勝を含め3人が入賞。チームの雰囲気を変えたのはやはりこの男だった。

 最終種目の男子4×10キロリレー。アンカーを務めた佐藤友には1位と14秒差で回ってくる。日大、東海大と繰り広げられるデッドヒート。ゴールの瞬間、大きく一歩を踏み出し、東海大をかわして2位となった。最後に見せたのは、主将としての意地。「これで大学でのスキーが終わると思い、達成感と寂しさが入り混じった不思議な気持ちでした」。涙と笑顔のフィニッシュだった。

 インカレを終えても「まだやり尽したという気持ちがないのでスキーをやめるという選択肢はない」と語る。4年間で培われた向上心はいまだ健在だ。常に変化を求め、上を目指していく姿勢が結果に結ばれると感じた日々。この経験は未来でどのように生かされるのだろうか。

(記事 加藤佑紀乃、写真 松富リサ)