【連載】『結晶』第3回 村岡桃佳

スキー

 昨春、パラリンピアンとして初めてトップアスリート入試に合格し、早大スキー部に入部した村岡桃佳(スポ1=埼玉・正智深谷)。スキーと出会ってわずか数年で世界で戦うまでに成長した村岡が、大学4年間での目標、そして将来に向けた大きな夢を明かしてくれた。

※この取材は10月2日に行われたものです。

「人の温かさを知って、人間関係も広がった」

柔らかな表情で話をする村岡

――大学に入学してからおよそ半年、雰囲気には慣れましたか

 そうですね。ですがきょう2か月ぶりくらいに学校に来て、夏休み明けてこんなだったっかなという感じです(笑)。

――ワセダを選んだ理由を聞かせてください

 高校生の時から大学に進学することはずっと考えてきていて、どこにしようか悩んでいた時に、その中でもスキーを続けていきたいというのが第一にあって、その時点でスキーができる大学は限られてくるんですよね。冬の間は半年くらい不在になって、それで大学入って卒業できなかったら意味がないので。たまたま私の周りにワセダのOBやOGが多くて、「ワセダいいよ」という話をずっと聞いていたので、色々調べたりなどしてスキーができることを知りました。そこからはワセダを志すというか、調べていけばいくほど行ってみたいなという思いが強くなって、明確な理由というのはあまりないんですよね…。

――スキーのほかに大学でやってみたいことがあったのですか

 自分が障がい者スポーツをやってきて、障がい者スポーツと出会って本当に自分自身が変われることができて、出会えてよかったと思っています。卒業後も障がい者スポーツと携わっていきたいなと思っているので、その点で指導者であったりそれ以外でもスポーツについて学んでおけば指導する以外でも何かしらで役に立つのかなと。さらに自分自身の競技にも役に立つだろうなということで、スポーツについて学んでみたいと思いました。

――スキー部に入ってみてよかったと思うところを教えてください

 いままで上下関係というものを全然知らずにいて、いまナショナルチームにいても上下関係よりもみんなでという感じなんですよね。厳しい体育会系というわけでもなくて。初めての経験が多く、不安もけっこうありましたが、人の温かさを知ってまた人間関係も広がって、同年代の人と出会えてよかったです。

――お世話になっている先輩はいらっしゃいますか

 いますよ、深くは聞かないでくださいね(笑)。

――ことしの4年生はどんな印象ですか

 楽しいなと思います(笑)。4年生同士が本当に仲が良くて、面白くて優しいです。

――仲のいい同期の方はいますか

 一緒に入った山田優梨菜(スポ1=長野・白馬)ですね。仲良くさせてもらっています。

――普段の練習はどのようなことをされていますか

 自宅が県内ですが(学校から)とにかく遠くて…(笑)。通学でかなりの時間がとられてしまっているので、毎日欠かさず(練習)というわけにはいけないんですよね。週末の土日に部として練習している中に一緒にやらせてもらっています。

――練習中にはどのようなことを

 もともとスキー部についていたトレーナーさんに個人的に見てもらっていて、トレーナーさんと一緒に筋力アップだったり教わったりしています。

――アルペンのレースの中ではどのようなことを意識して臨んでいるのですか

 (レース中は)がむしゃらですね。滑る前のインスペクションの時間では、慎重に見ていって「ここはこう通っていく」とか、「この角度で」と細かくあったりはします。そこをしっかり通っていけばタイムに結び付くと考えているので、インスペクション通りに滑れるように頑張ってはいますがそうもいかないですね。

――実際怖さなどはいかがですか

 めちゃめちゃ怖いですよ(笑)。急でもありますし、健常者よりも目線が低いので体感スピードが速いんですよね。

――それぞれのレースでの難しさの違いはありますか

 回転(SL)、大回転(GS)は技術系の種目で、スーパー大回転(SG)と滑降はスピード系と区分されます。技術が足らなくてですね…(笑)。スピードに関していえば恐怖心との戦いもありますし、あとはスピードが上がってくるとターンが難しくなってきて、そのあたりの調節ですね。高速系になってくると旗と旗との間隔が広くなってくるので、次の旗が見えないこともあるので、そういうときはインスペクションでの「ここはこの角度で」と確認したことを忘れるとそのまま大ケガすることもありますね。その辺を全部意識しながら高速系を滑っている気はしますね。

――日本と海外ではどちらのほうが滑りやすいですか

 日本ですね。海外の雪は一概には言えないですが、滑っていて思ったように板が動かないというのがあって。あとは日本の雪は滑り慣れているというのはありますね。

――海外遠征の際に必ず持っていくものはありますか

 本持っていきます。ただ単に小説が好きで、東野圭吾が好きなんです。だいたい東野圭吾の本を2、3冊持っていきます。あとはカップラーメンです。海外の食事が飽きて(笑)。昼食が出なくて自由な時もあるので、めんどくさくて(笑)。

――本は移動中に読まれるのですか

 飛行機の中であったり、寝る前とかですね。

――試合前に必ずすることはありますか

 イメージトレーニングして、深呼吸して。あと私は癖なんですが、スタート地点に立って何回かジャンプして、なぜかゴーグルを直します(笑)。合っているんですが、どこか気持ち悪くてもう一度やってしまいます。なぜか気になるんでしょうね(笑)。

――緊張はされやすいですか

 緊張しやすくて、スタッフさんと話して和んでいます(笑)。

――昨年のソチパラ五輪のレース前はいかがでしたか

 たぶん緊張しすぎて、旗門不通過という思い出したくないミスをしてしまいました。いつもなら吐きそうなほど緊張するんですが、緊張の度合いを越したのかテンションがおかしくなってしまいました(笑)。いつもと違ったところであり、そのあとは逆にもうミスはできないと思って、吐くくらい緊張しました(笑)。手の震え、体の震えは止まらなかったですね。震えすぎて歯がガタガタし始めたりしました。

――レースが始まれば気持ちが集中するのですか

 スタート地点に立つと自然と緊張もなくなりますね。

「障がい者スポーツと出会って、世界が広がった」

将来への大きな目標を明かしてくれた

――スキーと出会ったきっかけは何でしたか

 もともと陸上をやっていて、陸上を通してできた車いすの友だちができました。その子にチェアスキーの体験会に誘われたのがきっかけでした。

――どこでスキーの練習をされることが多かったのですか

 長野県の菅平ですね。

――スキーと出会ってから数年で世界で活躍するまで成長できた要因は何だと考えていますか

 初めて海外のレースに出たのがソチの前の年なんですよ。ソチに出られるのがそれでギリギリで、まだまだの段階で行きました。あの時はいまでも思い出したくないくらいの滑りでした。その時に自分が不甲斐ないというか、技量のなさを痛感して、それと同時に海外の選手の滑りを見て、ソチへの思いも強くなりました。私は全然覚えていないんですが、その時一緒にいたチームメイトに聞くと、「頑張る」と言ってたみたいです。そこで火が付いた感じですね。

――ソチ五輪を迎えるまではまだ成長段階だったということですか

 ソチの年は出場権を取らないといけなくて、最初からナショナルチームのトップの選手と遠征に行かせてもらって、その方々いわく、一気にスキーがうまくなったと言われました。初めての海外のレースと同じ場所で滑る機会があって、そのときと比べると見違えるくらいに上達していたみたいです。その1、2年は大きかったですね。毎週末菅平に通っていました。

――これまでスキーを続けてきた中でつらいと思った時はありましたか

 寒いし、凍傷になるので毎回ですよ(笑)。なんでスキーやってるんだろうなと思う時もありますね。あまりよくない結果であったり、満足いかない滑りであったりすると、自分が不甲斐なくなって、「もういやだ」ってなります。それも一種の逃げというか、そのときだけですが。基本的には自分で全部抱え込むタイプなので、病んでしまうときもありますが、表には出さないようにしています(笑)。

――陸上のトレーニングはスキーと関連する部分はありますか

 もともと陸上をメインでやっていたので筋力は普通よりはありましたね。海外遠征でもチームのメンバーと同じメニューをこなさないといけないですが、体力勝負になってくるところもありましたが、普通にこなせたので、体力はあったと思います。

――他にやってみたいスポーツはあったりしますか

 私、バスケに挑戦したり色々やっていますが、テニスがからっきしダメで。お遊び程度にテニスをやったりしますが、球技が向かなくて。「スポーツ万能でしょ?」と周りからも言われますが全然です。自分で言うのもあれですが、努力型の人間なんですよ(笑)。バスケは手で直接なので、テニスはラケットにボールをあてないといけなくて、ものをつかうスポーツはダメですね。もっとテニスがうまくなりたいです(笑)。

――陸上とスキーはすばらしいです

 たまたまはまっただけですよ、もっと万能な人間になりたいです(笑)。

――陸上で何か目標は持って取り組んでいるのですか

 オフシーズンに練習したりしています。2020年の東京(五輪)に行きたいですね。(笑)

――周りからの期待も大きいと思いますが

 大学だけでなくて競技をやっていく上でプレッシャーはついてくるものだと思いますし、その分期待もしてもらえていると思うので、もちろんうれしいことではありますが、とにかくあがり症で抱え込むタイプなので「どうしたらいいの」というときもあります(笑)。負けず嫌いな性格が幸いなのか、自分自身で負けたくないなという気持ちがありますから。

――障がい者スポーツと出会ってみて変われたことはありますか

 私すごく人見知りで(笑)。いま質問してもらえているからしゃべれています。ぽんと同年代の知らない人の中に入れられたら絶対にしゃべれないですよ(笑)。できるだけ人の前に立ちたくなくて、こっそりといたいタイプで。よく言えば引っ込み思案で、障がい者スポーツに出会えて、世界が広がりました。いろんな人と出会う機会が広がりましたし、あとはスポーツをしていて楽しくて笑顔が増えたと思います。自分から前に出ていけるようになりました。

――パラ五輪の経験はいまにつながっていますか

 自信にもなったのかなと思います。それよりも、ソチの時はいっぱいいっぱいで、メダルを取るとかよりも自分のベストを尽くすというか、次へのステップ、スタート地点だと思っていました。ソチに出て、最後の種目が終わって、「終わった」と思って最後の日はそのままメダルセレモニーが行われて、上がっていく3つの国旗を見て泣きながら、あそこに立ちたいなと思いました。終わった安心感からの涙ですね。メダルへの思いが強くなりました。

――次の平昌への思いはいかがですか

 目標は表彰台に立つことですね。ソチでは最後の最後に満足のいく滑りができましたが、次はすべてでその時のベストが出せるようにしたいですね。

――最後に、今シーズンの目標を聞かせていただけますか

 今シーズンもヨーロッパカップやワールドカップがあるので、数多くのメダルを獲得できるようにしたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 井口裕太)

悩んだ末に書いてくださった一言です!

◆村岡 桃佳(むらおか・ももか)

1997年(平9)3月3日生まれ。埼玉・正智深谷高出身。スポーツ科学部1年。アルペン競技。スキー部の選手は冬を迎えると海外遠征が多くなります。村岡選手もその一人で、秋学期はなかなか授業に出席できないとのこと。「オンデマンドの授業をもっと増やしてほしいですね(笑)」と冬がシーズンの選手ならではの要望を明かしてくれました。