【連載】『Go for the win』第6回 尾形峻主将

スキー

 今季40人を超える部員をまとめ、チームを引っ張ってきた尾形峻主将(スポ4=群馬・嬬恋)。4年生として最後となる全日本学生選手権(インカレ)には並々ならぬ思いを抱いている。ことしこそ、目標の男女アベック総合優勝へ――。インカレを前に、チームへの思いやインカレへの意気込みを語っていただいた。

※この取材は10月4日に行われたものです。

「オンとオフの切り替えはしっかりしています」

丁寧に質問に答える尾形主将

――夏の合宿ではどのようなトレーニングをされましたか

全体合宿前にクロスカントリー部門、アルペン部門、ジャンプ、コンバインド部門の3つに分かれて1~2週間ほど練習をしまして、全体合宿が9月の19日に集合で20日から4日間行われました。まずはじめの3日間は部門の続きというかたちで部門練習を行いました。その間は全体での練習というわけではないのですが、生活を宿で一緒にして。練習は分かれて専門的な練習を行って、残りの2日間で全体練習をしました。23日は全体登山でインカレが行われる野沢温泉のスキー場で登山をしました。登山とインターバルであったりマラソンを行うのが毎年恒例なのですが、今回も昨年度と一緒の登山とインターバルというかたちでした。インターバルはきれいなトラックではなくて山の中でトレイルランニングみたいな起伏の激しい中でのトレーニングでした。

――登山は厳しい練習と聞きましたが、今年度はいかがでしたか

今年度は前回ほど登山をする山の標高が高くなかったので、登山が得意な人とか苦手な人で3つ、4つグループくらいに分かれて、その集団で登りました。一番登れるグループは山頂まで行って、逆側まで下ってまた戻ってくるという往復のかたちでやっていました。下りもいろいろなコースがあるので、登ってきたところとは違うコースを行ってみたり、各自グループごとに強度を考えて登っていました。毎年時間制限をしていて3時間で帰ってこれるように、その中で強度を考えています。普通の人が考えるような登山ではなくて、ほぼトレイルランニングで走って登って走って下ってという感じでしたね。

――登山が得意なのはクロスカントリーの選手が多いのですか

クロスカントリーが何名かと、あとアルペンも数名も入っていたり、ジャンプ、コンバインドが入っていたりという感じです。

――アルペン部門の合宿ではどのような練習を行いましたか

普段の所沢を拠点とした練習ではできないことをやっていっているのですが、昨年度と同様にピスラボという岐阜県のウイングヒルズというスキー場で行いました。人工芝というか固めのメッシュのような地面に水をまいてあって雪がなくても滑れるんですけど、自分で使っているスキー板とスキーブーツを履いて、そこで実際に雪上練習に近い練習ができたので、遠征に行けない分陸上で雪上に近いかたちで練習することができました。アルペンはもちろん陸上トレーニングも大切なのですが、1日でも多く自分の使っている板に乗ることが重要だと思うので、そういう部分で良い練習になりました。

――スキーの道具へのこだわりはありますか

強い選手はスキーの板とかをサービスマンの人に整備を頼むのですが、僕は中学のころから全部自分で行っています。大会のときのスタート前のワックスとかも自分で塗ったりしています。自分でやることが多いです。

――普段の練習ではどのようなことを行っていますか

いまは遠征に行っている人が多いので、部門練習というかたちではなくて個人での練習になっているのですが、前期は週に4回ぐらい集まって、体力の向上のために走り込みだったりウエイトトレーニングをやっていました。その中で、つけた筋肉を動かすコーディネーショントレーニングを基本としてやっています。

――練習のメニューはどなたが考えているのですか

基本はアルペンチーフの長沢祐(スポ4=北海道・滝川)がつくっているのですが、長沢も授業などもあってすべての部門の練習に出られるわけではないので、出られないところは僕がその分見ていたりします。基本的には長沢がテーマだったり主となるものを決めて、それをかみ砕いてやっています。「木曜日だったら○○がキャプテン」みたいなかたちで、曜日ごとにキャプテンを置いてやっています。

――オンとオフの切り替えが重要だと倉田秀道監督(昭59社卒=東京・早実)はおっしゃっていましたが、いかがですか

周りの部活や友達からも、スキー部はにぎやかだって言われているんですけど、練習とか大会とか自分の競技をやるときになると、それまでにぎやかでもいざ始まるとみんな目つきが怖いぐらいに変わりますね。球技をやったりするんですけど、本気になりすぎてちょっとぶつかり合ってしまうこともあります。その面でオンとオフの切り替えはしっかりしていますね。

――ソチ五輪をご覧になっていていかがでしたか

楽しいですよね。ウィンタースポーツは結構マイナーな部分が多くてソチ五輪とかでしか地上波でも放映されないので、マイナーなスポーツでも世間が注目してくれる五輪とかになると夜中まで寝ないで起きて見ちゃいますね。知っている選手とかも出ていたので、みんな見ていましたね。

――早大スキー部のОBであったり現役の選手が出ている姿を見ていかがでしたか

身近な選手が出ているということはすごく大きいことだなと思って感化されたというか、自分ももっと頑張らないといけないなと感じました。自分が全然そこにたどり着けないという悔しさもあり、差も感じました。

――目標としている選手はいますか

これといった人はいないです。選手ごとの良いところはすごいなと尊敬していますし、見習うべきだと思っています。

「本当に嫌いでした」

――スキーを始めたきっかけは何ですか

両親ともにスキーのインストラクターを志賀高原の方でやっていて、いわゆるスキー一家だったので、物心が付く前にはスキーに乗っていました。3歳から始めました。実家も群馬県のみなかみ町という雪国なので、車で3、4分ぐらいのところにスキー場があって。両親がスキーをやっていたというのが大きいですね。初めはやらされていたという感じでした。

――スキーは小さい頃から好きでしたか

本当に嫌いでした。最初は何でこんなことをやらされているんだという感じでした。保育園に行く前の1時間ぐらいで毎日滑らされていたんですけど、苦痛でしかなかったですね。起きて「いくぞ」って連れていかれてから保育園に行くという感じでした。

――スキーが楽しくなったのはいつごろからですか

小学校の高学年ぐらいですかね。そこまで引っ張っていましたね。小学校の3、4年生くらいまでは本当に小さくて横に広かったですし、走るのも嫌いだったので(笑)。成績も出なくて、周りの子にも置いていかれていました。でも、成長期がきて身長が1年で15センチとか伸びたときに、パッと成績も出るようになって、身体能力も上がりました。走るのも速くなって、勝つことを覚えると楽しくなるようになりましたね。そこでスキーの面白さにもどっぷり浸かれました。

――競技スキーを本格的にやっていこうと決めたのはいつでしたか

競技は保育園の時からやっていたのですが、スキーを好きになってからは、スキー選手としてやっていこうと思っていました。よくある感じで作文とかにも「スキー選手になる、オリンピックで滑る」みたいなことを書いていましたね。

――早大への進学を決めたのはなぜですか

ただただかっこいいと思ったからです。「ワセダって名前かっこいい」、「ワセダに通っているってかっこいい」っていうのが最初の素直な気持ちでした。恭介さんは中学の頃から知っていて中学、高校とお話をさせてもらったり一緒にランニングをさせてもらったりしていたので、そういう速い先輩がいたこともあってワセダに決めました。高校1年生のころぐらいからもうワセダに行こうかなと思っていて、そこ以外の大学にはあまり興味はありませんでした。ワセダに行くかスキーをやめるかという感じでしたね。

――実際に早大スキー部での生活が始まっていかがでしたか

寮生活とかも初めてで、辛い部分もあったのですが先輩方が偉大というかすごい人ばかりだったので、良い刺激になりました。

――早大スキー部の良いところはどのようなところですか

個性豊かなところですかね。裏を返せば個性が豊かすぎて悪いというのもあるんですけどね。よくみんなぶつかり合っていますね。

――アルペン競技の魅力はどのようなところだと思われますか

見ている人でもかっこいいというのもあるのですが、緊迫感もあって「こんなところを滑るんだ」っていうすごさが伝わると思います。僕たちが見ていてもトップ選手の滑りは「こんなことができるのか」っていうのがありますし、自分で滑っていても、種目に寄ってもスピード感が違うんです。そのハラハラ感がたまらないですね。

――印象に残っている大学でのレースは何ですか

前回のインカレですね。1年目に前十字靭帯を断裂して出られなくて、2年目もその復帰後のインカレだったんですけど良い成績が残せなくて。3年目でやっと入賞できたことは大きいですね。ポイントを取れたことがうれしかったです。

――ご自身の滑りの強みは何ですか

強みというか、気持ちの面になるのですが急斜面になればなるほど、突っ込んでいけるというのがあります。難しいコースになればなるほど逆に突っ込んでいけます。そこに滑りが合えばいいんですけど、合わなかったらミスしてしまったりしますね。あと、そこまで緊張しないです。ほどよい緊張で、逆に毎回楽しい気持ちで臨んでいます。

「絶対勝つ」

前回のインカレで念願の入賞を果たした尾形主将

――今季のチームの雰囲気はいかがですか

チームの雰囲気は全然悪くないと思います。個性がすごく豊かなのですが、一人一人がちゃんと雪上までのプランだったり練習や生活面でのプランをしっかり考えてできているので。誰一人周りに流されて一緒にやるというのがなくて、自分がどうしたら勝てるか、どうしたらスキーで成績を出せるかというのを考えて行動できていると思うので雰囲気はすごく良いと思います。

――主将に指名されたときはどのような心境でしたか

本当にびっくりしました。自分が選ばれるとは思っていなかったので、1、2カ月は何で自分が選ばれたのかずっと考えていましたね。「やるぞ」という気持ちに主将はならないといけないと思うのですが、選ばれたので「やるぞ」ってなるために、何で主将に選ばれたのか理由を知りたかったので前主将や監督に聞いたりしていました。

――河野恭介前主将(平26スポ卒=現野沢温泉SC)からはどのようなお話がありましたか

僕らの代で周りから信頼されているという部分でお前しかいないと言われました。監督も同じような感じでした。練習であったり、僕はやるところはやる、しっかりできると言われましたね。河野さんからは「主将とはこうあるべきだ」というのはないと言われて、「お前らしくやればいい」と言われました。「いままでの様子を見て選んだから、そのままでいい」と言われました。いままで通りしっかりやればみんな付いてきてくれるだろうし、というのは周りが言ってくれましたね。

――主将としての決意が固まったのはいつごろでしたか

集合日が3月の後半なんですけど、自分の中ではそのあたりで決まりましたね。それまではどうしようとか、どうやってまとめていけばいいんだろうと考えていました。いま部員数が一番くらいに多いらしいので、大所帯をどうまとめるか、みんながみんな同じような性格ではなくて個性が豊かすぎるぐらい多様なので、それをどうまとめていくか考えていました。そういうことを考えているうちにやる気が一気に出ました。

――今年度の「勝つ」というスローガンにはどのような思いが込められていますか

今年度で宮内先生(孝知教授、昭43教卒=埼玉・浦和、スポーツ科学学術院)も最後ということもあるのですが、ここ近年男女どちらかが優勝というかたちで男女総合優勝はできていなくて、どちらか片方が2番になってしまっていて。それでいて昨年度五輪に出ていらっしゃったりW杯で活躍しているような先輩方が多かったので、今年度は周りの方からも「大丈夫か」、「勝てるのか」って言われているので、そういうときだからこそ勝つというのは大きいと思っています。みんなの気持ちもインカレで男女アベック優勝に向かっていますし、OBの方にも毎年言われてはいるのですが「ことしこそは」と言われているので、成し遂げたいですね。

――スローガンは尾形主将が決めたのですか

基本的に毎年4年生の中で一人ずつ理由を言いながら意見を出し合って、「こういうのもあるよね、こういう意味もあるよね」っていうのを言い合って固まっていくという感じです。案は他にもいろいろあったんですけど、シンプルでいいじゃないかということでこれになりました。

――主将として、各部門のチーフとはよくお話をされますか

よくします。少しのときも、何かしら問題があるときでも絶対に合宿前とかもしっかり話して決めます。今回の全体合宿も僕が全部決めるのではなくて、チーフと主将、主務で集まって今季はどういうのをテーマにしてやるのかというのを話しました。

――4年生として最後のインカレとなりますが

スローガンでも出しているのですが、ことしは絶対勝つというそれだけですね。笑って卒業しようっていう。同期が少ないので、1~3年生が多くて4年生が少ない中でまとめるのは大変なんですけどね。少ない分、何かあったら話し合うというのができています。

――今後強化していきたいのはどのような部分ですか

課題は個々あると思うので、新しい課題も出てくると思いますがそれをどう考えて練習するかというところですね。あとは、アルペンだったらとにかく1日でも早く乗ってその課題に対してどう直していけるかというところですかね。

――4年生として後輩に伝えていきたいことはありますか

とにかく自分を曲げないでほしいなというのがありますね。周りに流されないでほしいです。周りに批判されるようなことはしない方が良いと思うんですけど、少し煙たがられたりしても、自分が決めたこと、正しいことであれば自分の決めた方向に真っすぐ突き進んでほしいなと思います。世界で活躍している選手は変わっている人が多いと思うので、そういうことだと思っています。

――早大スキー部は尾形主将にとってどのような存在ですか

愛すべき場所だと思います。ここ(早大スキー部の寮)にいるだけで落ち着きます。家で寝るよりも、ここで寝た方がよく寝られます。ここは第二の実家ですね。

――チームとしてことしのインカレはどのような大会にしたいですか

チームとしては全員が男女アベック優勝を必ず成し遂げるというのを目標に心に置いてもらいたいです。でもレースになれば個々の戦いになります。チーム内でもライバルというかたちになるので、お互いに高め合っていければと思います。最後のインカレなので、絶対に笑って良い泣きができるようにレースに臨みたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 副島美沙子)

色紙には迷うことなく、今年度のスローガンである「勝」という文字を記しました

◆尾形峻(おがた・しゅん)

1992(平4)年4月4日生まれ。群馬・嬬恋高出身。スポーツ科学部4年。大学の合格が決まった時は声が出ないほどびっくりしたという尾形主将。インタビューでも言葉の端々からワセダへの強い思いが感じられました。ワセダを背負う最後のインカレでの滑りに期待です!