【連載】Get the glory 第2回 宮沢大志

スキー

昨季世界選手権に出場し、全日本選手権のリレーでの早大の男女アベック優勝にも貢献するなど国内外を問わずチームを引っ張る宮沢大志(スポ4=新潟・十日町)。最高学年、そしてオリンピックイヤーを迎える今季の意気込みを語っていただいた。

※この取材は7月16日に行ったものです。

我慢のシーズン

笑顔で話す宮沢

――昨シーズンを振り返るとどのようなシーズンでしたか

昨シーズンは結果が出なかったですね。非常に悔しいシーズンでした。勝手に我慢のシーズンだったかなって。良いレースは1レースくらいしかできなかったですね。

――世界選手権の成績はどのように思われますか

最低限はクリアできましたけど、やっぱり自分がイメージしていたものを超えることはできなかったですね。

――世界選手権ではリレーのメンバーにも選ばれましたが

日の丸を背負ってリレーのメンバーとして走るっていうのはずっと憧れていたポジションだったので、そこで走れたというのは非常に楽しかったですね。プレッシャーっていうのもありましたが。結果的に前回大会を上回れなかったのですが、個人的には3位で帰ってくることができて、非常に自分の自信になったかなと思います。

――全日本選手権ではリレーで早大が男女アベック優勝をされましたが

うれしいというよりは、優勝して当たり前なメンバーではあったと思うので、その中でなかなか自分自身の調子もあまり良くなかったので、それに関しては楽しさとかそういうものよりもプレッシャーの方が大きかったですね。周りからの期待が大きくて、出れば勝つだろうと早大は言われていたので、そう言われながら勝つ難しさも国内のレースではあるので。あと自分自身だけのレースではないのですごく難しかったですね。

――世界の試合と国内での試合ではやはり意識は違うのですか

そうですね。結局国内ではチャレンジすることっていうのはほとんどないようなものなので。海外に行けばやっぱり自分より上の選手がたくさんいる中で、自分自身はチャレンジ精神でできるのですが、国内となると追われる立場というのが強いので、そういった中で自分自身のベストを尽くして勝てるって言われながらも勝っていかなきゃいけないっていうレースは非常に難しいと思います。

――昨シーズンで一番印象に残ったレースは何かありますか

世界選手権はやっぱり華があったので印象には残っているのですが、一番悔しかったっていう意味で印象に残っているのはワールドカップ(W杯)の初戦のスプリントで35位だったんですけど、それが一番印象というかずっと目に焼き付いているレースですね。

――そのレースは調整がうまくいかなかったりしたんですか

調整はちょっと仕上がるのが遅いかなっていう感じだったのですが、試合には間に合ったかなっていう感じで、そこで30位以内には入ってそこから勢いをつけていきたかったんですけど、そこでつまづいてしまって、なかなかスタートダッシュが決まらなかったって感じでした。

――昨年見えた課題はどのようなものでしたか

全体的に足りないのは足りないのですが、スプリントを中心にきょねん周らせてもらっていて、レースの中での経験っていう、ただスタートしてゴールまで一生懸命頑張ればいいっていうのではなくて、その中でも駆け引きがあって、その駆け引きは経験を積まないと分からないなっていう。きょねんも同じことを言っていると思うのですが、改めて実践を戦ってみて感じた部分はそこですね。

――ことしもディスタンスよりスプリントに力を入れるのでしょうか

そうですね。まずはスプリントでW杯30位以内にコンスタントに入れるようになってからディスタンスの方にも力をつけていってどっちもできるという風にはしたいと思います。

「のびのびやらせてもらっています(笑)」

――スキー競技を始めたきっかけは

最初は地元が雪国ということもあって、まず授業でクロスカントリーが小学校からあるのですが、小学校1、2年はアルペンスキーをやっていて、3年生くらいから親の友人の紹介でクロスカントリーをやってみないかって言われて、やってみたら友達も5、6人やっていたんですけど、面白くって、大会に出てたまたま勝っちゃって。でも小学校3年から4年に上がるときにスキークラブの先生がいなくなってしまって、そのスキークラブがなくなってしまって、どうするってなった時にまったく違う区域の小学校のスキークラブに入って、そこはスキーで遊ばせておくって感じだったので、成績は出なくて。そういう感じでずっとやっていました。きっかけは親ですね。

――小学校からかなり本格的にやっていたのですか

いや。土日は普通に練習して、大会があったら大会に出てって感じで。そんなに本格的にはやっていないです。

――中学高校でもスキーを続けた理由は

単純に悔しかったからですかね。小学校でずっと勝てなくって、勝ちたいと思ったから中学でも続けたし、中学で色んな人に勝ったりしても中学生って段階では高校生も大学生もいるし、上には上がいて。そういった中でもっともっと強くなりたいって思って、高校入ったらもうスキー一本って決めて。そういうのがあって中高はずっと続けてきたのかなと。あのころは真面目だったし(笑)。

――今は真面目じゃないのですか(笑)

いまは良い感じに真面目です(笑)。

――早稲田大学を選んだ理由は

選手が強かったっていうのが。大学界で圧倒的に強かったのがワセダだったので、それが一番の理由ですね。中学のスキー部は2、3人とかでずっとやっていて、高校は人数はいたのですが先輩もあまり強くない中で、自分が入ってしまえば自分がエースみたいな感じでずっとやっていて。そういうものじゃなくて、次にいくのであればやっぱり強いチームに入って、強い選手の中で自分がどこまでチーム内でいけるか試したくてワセダを選びました。

――入ってみてワセダに対する印象は変わりましたか

ワセダの外にいる時はやっぱり早稲田大学ってすごい壁を感じるというか、悪い意味の壁じゃなくて良い意味の壁を感じていたのですが、入ってしまえばワセダはワセダなんですけど、自分のいるところなので別にそれをすごいと思うこともないし、これが当たり前の環境になってしまっているので、入ってしまったらワセダとか関係なしに自分のチームで、自分のチームにはって名前がついているけれど自分のチームであることには変わりないので。別にワセダという意識とかはないですね。

――ワセダの選手などで特に影響を受けたひとなどはいますか

入って2、3、4年がいて、自分より長く競技を続けているだけあって、色んなことに対して一生懸命というか、細かいところにも気を使って競技に臨んでいるんですよね。そういうのを見てやっぱり自分自身まだまだだなっていう部分もありました。でも負けたくはないなと。それをうまく利用できたかなって思います。全部凝ることが良いってわけではないので、色んな先輩方がいてその全員が正解ってわけではないので、先輩方がいて自分がうまく育っているのかなと。成功例も失敗例も見て、先輩方から学ぶことが多かったかなって思います。特にこの人がっていうのはないですけど。

――ワセダのスキー部はどのような存在ですか

簡単に言ったら家族みたいな感じですよね。規模的に見ると確かにOBとかもいっぱいいるのですが、そういうのを全部取っ払って普段一緒に暮らしていて、朝起きてずっと同じ建物に居て、別に気を遣うわけでもないし。いて当たり前の存在だし、志が一つになってまとまっている集団なのですごく居心地も良いし、自分にとっては本当に良い環境でやらせてもらっているなって。だからここを離れるのは少しさみしいですけどね。

――寮生活の良い点と悪い点は何かありますか

4年なので何もしなくても生活できちゃうのが(笑)。掃除もしなくていいし、共同生活なので気を遣う部分もありますけど、ご飯も行けばできているし。それなりの決まりもあるのですが、非常にのびのびやらせてもらっています。

――下級生の頃は大変だったりしたのですか

そうですね。大変でしたね。でもそれがあるから今があるので、そういうのを後輩が感じてくれるようにしたいですけど、なかなか難しいですね。

――掃除の担当は1年生ですか

1年生です。掃除と食事は1年生です。

――オフにはどのようなことをされているのですか

出かけていますね。この前海に行ってきましたし。結構ぐうたらする方が好きなのですが、ベッドの上でごろごろしているだけとか映画をずっと見ているとかの方が好きなんですよ。体が休まるし。結局出かけちゃうと疲れるんですよね(笑)。それに都内を歩いているとすごくぶつかってくるんですよね。避けなきゃいけなくて、それがもう疲れてしまって。歩くのが下手なのかもしれないですね(笑)。

――買い物などはどこに行くんですか

買い物はきょねんは原宿渋谷間を結構歩いたりしていたんですけど、ことしはもう服にお金かけなくてもいいかなって(笑)。年取ったなあと。おしゃれはしたいんですけど、安いものでおしゃれしようかなあと思い始めて、ばれなければ近場でいいかなと。遠出するのも嫌だし。

「オリンピックっていう名前は大きい」

圧巻の走りを見せた

――クロスカントリーの魅力は何だと思いますか

今回僕が世界選手権に出てそれをきっかけに初めてクロスカントリーを見てくれた人が多くて、そういう人はただ単純に面白いっていう風に言ってくれて。難しいルールもないし一斉スタートすれば一番最初にゴールした人が1位なわけで。僕としての魅力は限界まで人間が追い込んでいるのが面白いなと。他の競技も追い込んでいますけど、それ以上に激しい競技なので。本当にすごいレースを一回見てもらうと感動するというか、人間離れした動きとかもあるので、そういうのを見てもらうと面白いなって思うのですが、なかなか日本に情報が入ってこないので。

――クロスカントリーがまだ日本であまり普及していないことで何か苦労などはあったりしますか

一番の今の苦労としてはやっぱりメジャー競技じゃないので、就職先がなかなか決まらないというのがリアルな悩みですね。そこまで就活に力を入れているわけではないのですが、就職は今はまだ決まっていないですし、社会人の実業団であるとか、安定して競技を続けられる環境ができている競技ではないのが現状なので。そういうものがあれば成績を出せば自然とその先の階段ができていくと思うのですが、そこが大学まででストップしているというのがメジャーではない競技の選手からしたシビアな悩みというか。それはやっぱり選手だけの目線なのですが、選手としてはそういうところが自分の悩みも含めて一番メジャーではないっていうのがきつく競技に表れている感じがしますね。

――スキーを始めてから一番嬉しかったことと辛かったことは

一番嬉しかったことは中学校の頃、初めて全国大会を決めた時ですね。それはなかなか超えないですね。純粋にうれしかったですね。初めてうれし泣きしたレースなので。中学2年生の時なんですけど、なかなか全国大会に出られるような中学校じゃなかったので、自分の2個上の先輩が0.1秒くらいの差で全国大会を逃したりしていて、そういうのも見てきていたんですよね。そういうプレッシャーも感じながら、いけるかいけないかギリギリのラインに自分がいたのですが、コースを走っている時に、コーチが死にそうなくらい応援してきて、その時順位的に全国大会いける順位で、とにかく頑張ってゴールして結局15位までいけて8位だったんですけど、その時が一番うれしかったですね。辛かったことはきょねんの練習ですね。1回だけなのですが、全日本のトップの選手と2人で、7時間ほぼノンストップで登山をして。ちょっと泣きそうになりました。初めて練習後に吐きました。その後バーベキューで肉の塊とか出てきてすごく楽しみにしていたのに、体調悪くて一人端っこでパンと水食べながらそれを見ていたのが一番辛かったです。

――全日本のチームでトップの選手から学ぶのはどういった部分ですか

おなじスプリント競技をやっている32歳の選手がいるのですが、その人はおそらく今年で引退すると思うんですけど。その人は第一人者って言われていてW杯最高4位になっている選手なのですが、やっぱりその人から今年中に吸収できるだけすべて吸収しつくして引退してもらおうかなと思っています(笑)。

――その人に対しては特別な思いがあるのですか

そうですね。特別な思いというよりは自分より経験が豊富なので、尊敬とかではなく盗みたいという気持ちですかね。

――今シーズンはオリンピックやユニバーシアードなどもありますが、シーズンに向けて今どんな練習をされていますか

春の測定結果を見て、まだまだ全身持久力の面で足りない部分があるというか、基盤となるものがまだ小さすぎてまだこれじゃ戦えないなと思っているので、基盤となる大切な要素を大きくして、そこにプラスアルファでもっと細かい大切なもの自分に取り入れていって、自分が目指している大会に向けてやっていきたいと思っています。

――基盤になるものというのは

トレーニングのバリエーションとしては全体的に含まれているのですが、長い時間でのトレーニングでそれに耐えられる体作りっていうのをやっていきたいですね。

――ことしの勝負どころはどこだと思いますか

これから一番耐えなきゃいけないところは、これからの遠征ですね。そこからの練習は本当に今まで以上に質の高い練習を積んでいかないと、ことしはたぶんダメだと思うので、そこを大切にして、やっと練習一本に集中できる環境に行けるのでそこだけを大切にしてやっていきたいです。

――イタリア遠征では具体的にどのような練習をされる予定ですか

イタリアでは登山であったり起伏を使った練習がメインになると思います。その中にローラースキーなどを行ったりすると思います。いずれにしても標高が高くて、それにプラスで上り坂が多い練習が多いのでそこは少し苦手なので、うまくクリアして、そこからドイツでスキーをしに行くので夏にローラースキーでやった技術を雪上でどれくらい発揮できるのかという確認をしたいと思っています。

――5月ごろにソチオリンピックのカンファレンス合宿に参加されたと思いますが

その時はワセダ卒の桜井美馬(平24年スポ卒=現東海東京証券)さんや上村愛子(北野建設)さんとグループが一緒で非常に仲良くしていただいて。特に競技のことを話したりはしなかったんですけど。なかなか接することのない競技の方や、年齢も離れている方とはあまりお話しする機会がないのですが、そういった中でたわいもない会話ができたことが自分にとって楽しかったなと。仲良くなる合宿だったので(笑)。

――そこで日の丸に対する思いは強まりましたか

強まりましたね。選手村が一緒になるかはまだ分からないのですが、また場所を移して同じメンバーで同じような話ができれば楽しいオリンピックになるかなと思って。絶対行きたいと思いましたね。

――シーズンに向けてどういったところを強化したいと思っていますか

シーズンが始まってしまえば、あっという間に過ぎていって、あっという間にオリンピックになってしまうので。一番大切にしたいのは今から10月までの期間をどのようにして過ごすか。そこでどれだけのものを自分の手ごたえとして感じて、いざW杯が始まった時にどれだけ自分の中に自信を持ってレースに臨めるかっていうのがすごくきょねんの反省として課題だと思ったので、11月29日が初戦なのですが初戦のスタート位置に立った時に、下を向いている自分がいたらそのシーズンはうまくいかないと思うので、そのときにもっと前向いて自分自身に自信を持ってスタートに立てるようにこれからそうすれば良いかっていうのを考えて練習していきたいなと思います。

――世界選手権とオリンピックに対する気持ちに違いはあったりするのでしょうか

やっぱりオリンピックっていう名前は大きいですよね。世界選手権って言っても普通の人はピンとこないと思うのですが、オリンピックって言うとすごいってなるので。ハードルは高くないハードルだと思うのですが、一般的に見たらオリンピックっていうハードルはすごく高いんですよね。自分がそれに巻き込まれないようにして、世界選手権もオリンピックもやっていることは変わらないので。ただ世間から見る世界選手権とオリンピックの差っていうのはすごく大きいと思うんですよね。その差を自分自身で感じないように、世界選手権と気持ちは変わらずオリンピックに臨んでいけたらと思うので。自分の中でオリンピックの価値観を大きくし過ぎないように。ビビらないようにというか。

――オリンピックへの思いはそこまで強いというわけではないのですか

そうですね。世界選手権もすごく出たかったのでそれ以上にというわけではないです。それよりもW杯で自分の滑りをしたいという気持ちがあって、それができればオリンピックは自然とついてくるので。オリンピックを目指すのではなくて、オリンピックは後からついてくるもので、まずはオリンピックの前にやるべきものをやりたいので。オリンピックっていう大きな塊を自分の上に乗せないようにして、競技をしていきたいというか。

――ことしの目標と今後の目標を教えて下さい

ことしはやっぱりオリンピックで一つでも多く入賞、運が良ければ表彰台って感じで。そのレベルを大学生の部活の中で味わいたいなって。それを達成した上で今後に目標も見えてくると思うので。今後の目標としては自分の競技の集大成として考えているのは次のオリンピック。ピョンチャンオリンピックで自分自身が最高に輝ける場所はどこかっていうのが今年次第で決まると思うので。ことしの目標をまず目指して、そうしたら今後も目標が明確になると思うので。ことしを頑張りたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 荒巻美奈、辻玲乃)

「進化」という言葉を選んでくださいました

◆宮沢大志(みやざわ・ひろゆき)

1991(平成3)年10月12日生まれ。クロスカントリー競技。全日本ナショナルチームランクC。新潟・十日町高出身。スポーツ科学部4年。
地元である新潟県十日町市の応援を「ものすごい」と語っていた宮沢選手。その応援を力に変えて地元初のオリンピック選手になってくれること間違いなしです!