【連載】 『令和元年度卒業記念特集』第29回 吉田旭/ウエイトリフティング

ウエイトリフティング

個人よりも早稲田として

 1人でバーベルを引き上げ、その拳上重量を競い合うウエイトリフティング。一見個人で黙々とこなしているようにも見えるかもしれない。しかし、常にチームを思い、チームのために戦ってきた男がいる。その男の名は吉田旭(社=岐阜・中津)。「早大入学前は自分中心の性格だった」と語る吉田はいつしか個人戦よりも団体戦を重視するようになった。そんな吉田の4年間を振り返る。

 小学校では野球とバスケットボールを経験し、中学ではバスケットボール部に所属していた吉田がウエイトリフティングに出会ったのは高校1年生のときであった。自宅からの通いやすさと大学進学の観点から入学した中津高校で吉田はウエイトリフティング部を見つけ、筋肉をつけてかっこよくなりたいという思いから入部を決めた。練習は週6日で、他の部活が活動を停止するテスト期間も活動があるなど忙しい日々を送っていたが、練習場は広く、監督にも恵まれ環境は良かったと言う。5つ年上の高校の先輩が高校1年生の夏に練習に来た際に早大を勧められたことから早大を意識し、勉強と部活を両立することのできる早大への進学を決めた。しかし、高校3年のインターハイで挫折を味わうこととなる。一番大きな試合で良い結果を残そうと意気込んで挑んだが、競技人生で初めての失格をした。やめてしまおうとも考えたという吉田が、それでもウエイトリフティングを続ける決断をしたのは周りの存在があったからだ。インターハイ後、多くの人から励ましの言葉を掛けられ、「ウエイトリフティングが自分に色んな人との縁を与えてくれていたのだと実感できた」と吉田は語る。良い結果を残して周りの人に恩返しするためにも競技人生を続けることを決意した。

バーベルを拳上する吉田

  早大ウエイトリフティング部入部後の1年間は同期が少ないことによる雑用の多さと、周りとの実力差に苦しんだ。団体戦に出られないなど悔しい思いもした。しかし、だからこそ自分で考えて練習を増やすなど一生懸命に部活に取り組むことができた。高校よりもより主体性が求められる大学において、個人で考え、また仲間と一緒に目標に向かって努力した経験は吉田にとってかけがえのないものとなった。「一人で目立ったプレーをするよりも、みんなと力を合わせる方が、結果的には、何倍も大きな結果を残せるのだと学んだ」と吉田は語る。

 4年生になり、吉田は主将を務めることとなった。今までトップのような役割を担ったことはなく、不安もあった。しかし、吉田は主将として競技のみならず生活においてもお手本であろうとするなど、主将の役割とは何か考え努力し続けた。チームの目標を決める際には、所属する学生は変わってもチームは続いていくものだから、その1年についてのみ考えるのではなく、去年までのことを生かしつつ来年、再来年、またその先にもつなげることを意識した。吉田はいつしか個人よりもチームの結果を重視するようになる。そして迎えた全日本インカレ。吉田にとって競技人生最後の試合だ。目標としていた男子4位、女子優勝には一歩及ばない男子5位、女子準優勝という結果となったが、男子は前年より順位を1つ上げ、女子も1位との点差を詰めるなど内容は充実していた。個人としては失格も多く順風満帆とは言えない競技人生であったかもしれないが、チームの結果を重視してきた吉田にとっては良い競技人生の締めくくりとなった。

 大学卒業後は一般企業で働き、ウエイトリフティングとは距離を置くこととなる。しかし、環境が変わっても早大ウエイトリフティング部で過ごした日々を自信にしたいと吉田は言う。目標を持って仲間と努力する姿勢は社会に出てからも生かされることだろう。

(記事 土生諒子、写真 西杉山亮)