【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第52回 梶田大和/ウエイトリフティング

ウエイトリフティング

最後に報われた主将

 バーベルを頭上に持ち上げその重量を競うウエイトリフティング。一見地味ではあるが、この競技に大学生活をささげた男がいる。主将の梶田大和(スポ=兵庫・明石南)だ。この1年間、早大ウエイトリフティング部を引っ張ってきた。高校時代にウエイトリフティングと出会ってから7年間。「振り返ってみるとケガに悩まされることの多い競技生活だったが、後悔はない」。そう言い切った梶田だが、ここまでには長い道のりがあった。

 梶田がウエイトリフティングと出会ったのは高校1年生のころ。兄の影響でハンドボール部に入部したものの、退部。その後なかなか部活が決まらずにいたところ、当時の顧問に勧誘された。ウエイトリフティング部がインターハイ出場常連校だったこともあり、「ここなら自分も全国大会に出られる」。そう思い入部したのがきっかけだった。まったくの初心者だったため、最初の練習はフォーム作りから始まった。しかし、数カ月がたつと徐々に才能が開花。次々と自己ベストを塗り替え、全国でも名の通った選手へと成長した。進学先には他大と比べて自由に練習に取り組むことのできる早大を選んだ。

主将として奮戦した梶田

 早大特有の自由な練習環境をいかして1年生の間は自分の弱点改善に努めた。そのかいあってか、2年生のときに全日本学生個人選手権で大学入学後初の優勝をかざった。この結果、キルギス共和国で行われたアジアジュニア選手権に出場。自信を深めていった。一方でチームは2部に降格するという屈辱を味わった。しかし梶田は「当時はチームのことよりも自分のことを考えていた」と率直に振り返る。1年後、チームは再び1部昇格を果たしたが、その結果と反比例するように自分の調子は悪くなり、ケガを負ってしまった。

 そして迎えた最終学年。梶田は主将に抜擢された。4年生として、また主将として、まずは第一にチームのことを考えるようになった。しかし、代替わりの初めのころは主将としてチームの運営がうまくできず、周りから叱られることもあった。さらに自分はケガで練習に参加できないというもどかしい日々が続いた。そんな梶田を支えたのは副将・菅野真央(社=福島・川俣)ら同期の4年生たちだった。「自分が参加できないときにチームをまとめてくれてありがたかった」と振り返る。そして、4年間を締めくくる最後の大会である全日本大学対抗選手権で目標の団体4位を収め、「自分のやってきたことが報われた」という喜びで一杯になった。『個人からチームへ』、梶田は大きく変わった。その変化に比例するように個人の成績でも目標としていた記録を達成。3位入賞を果たした。ずっと練習ができていなかった中で目標を達成し、今まで以上の大きな満足感と喜びを得た。

 「ウエイトリフティングは常に生活の中心だったし、だからこそ本気で向き合ってきた」。そう語る梶田の顔はすがすがしかった。やり残したことはもう、ない。常にケガとの闘い。辛い思いもたくさんした。しかし、「今の自分があるのもウエイトリフティングのおかげ」だという。今後、本格的に競技を続ける予定はないが、大好きなウエイトリフティングで培った精神は心の中でずっと生きている。その思いを胸に、梶田は新たなステージへと進む。

(記事 田原遼、写真 平野紘揮)