一人一人に『寄り添う』
「キャラが濃い仲間たちを中和する、そんな役割だったと思います」。屈託のない笑顔でこう語ったのは木村浩一郎(スポ=栃木・今市)。学生主体で練習に取り組むという難しい環境で、主将として上に立つだけではなく、一人一人に寄り添い、「中和」する役割を果たしてきた。明るく前向きな性格で仲間から愛されてきた木村。決して順風満帆ではなかった4年間で彼は何を思い、何を得たのか。
木村がホッケーと出会ったのは小学校3年生のとき。仲のいい友達が始めたのがきっかけだという。続けていくうちに他の競技にないスピード感に魅せられた。それでもホッケーに見切りをつけようとしていた木村に転機が訪れたのは高校1年の夏。インターハイで相手に大敗を喫した。悔しさをかみしめながら、大学でもホッケーを続けることを決意する。整備された環境を求め他大学を検討していた頃、ホッケーでワセダに進学できることを知った。「それならワセダへ」。木村は早大に進学することを決意した。
キャプテンとして、ワセダを率いた木村
入学してからは大学ならではの生活に驚いた。ホッケー部の練習は学生主体で、練習試合の組み方や出場メンバーもすべて学生同士で決める。監督の指示を仰いできたこれまでの練習とは一変。苦労は主将になってからも続いた。しかし、木村は持ち前の前向きな性格を発揮する。チームをまとめるために、話を聞くことを重視。主将としてチームをまとめつつも、一人一人に寄り添った。また、クラスにはレベルの高い選手が多く在籍。環境に驚きを隠せなかった。その一方で、クラスメイトの人間性に惚れ込む。「ワセダには魅力的な人が多く、刺激を受けた。」という木村の目は輝いていた。
最も印象に残っている試合は1年時の全日本大学王座決定戦。関西の強豪・立命大から白星を勝ち取った瞬間は鮮明に覚えているという。2年時の関東学生秋季リーグでの優勝、3年時の早慶定期戦。彼の記憶にはホッケーがもたらした多くの瞬間が焼き付いている。主将として迎えた最終学年では因縁の相手、明大との一戦に敗れ、全日本選手権への出場を逃した。「良いときと悪いときの波があるシーズンだったけど、僕自身は楽しかったです」。表情に悔しさをにじませながらも、前向きな姿勢は崩さなかった。
「あなたにとってホッケーとは」という問いに対する答えは『財産』。ホッケーを通して礼節を学び、練習や試合で喜怒哀楽を感じ、何よりかけがえのない仲間を得た。卒業後は地元に戻り教員となる一方、クラブチームでホッケーを続けるという。常に前向きな姿勢を保ち、周囲から愛されてきた木村。ホッケーがくれた最高の『財産』とともに、これからも前進を続ける。
(記事 榎本透子、写真 大森葵)