日本一の難しさ
常に冷静なプレーと明るさで、主将としてもガードとしてもチームを引っ張ってきた高田静(スポ=山形市立商)。関東大学女子選手権(トーナメント)や関東大学女子リーグ戦(リーグ戦)で何度も優勝を経験する一方で日本一という目標はなかなか達成できず、勝つことの嬉しさと同時に難しさも学んだ大学の四年間を振り返った。
「バスケがあって当たり前」。その言葉通り小さい頃から高田の周りにはバスケットがあった。教師でありバスケ部の顧問をしていた父と、バスケをしていた姉二人に続いて自然に高田自身もバスケットを始める。小学五年生のときに全国大会を経験したが、自分の代では切符を逃し、その悔しさから中学でも全国大会出場を目標に練習を続けた。見事中学二、三年で全国大会出場を経験すると、高校では全国大会上位とさらに上を目指した。全国大会で上位に入ることはかなわなかったが、その努力はU18選出という形で実り後の早大進学にも通ずることとなる。そして高校生現在の自分の実力ではプロで通用しないこと、また教師を目指していたことから早大への進学を決め、大学で日本一になることを胸に大学バスケに足を踏み入れた。
ガードとしてもキャプテンとしてもチームをけん引した高田
高校までは厳しいという環境ではなかったが、大学に入るとレベルの高い先輩や監督の鋭い指摘を目の当たりにし毎日緊張感をもって練習に取り組んでいた。一年次は交代としてコートに立つが、「ガードとしてゲームをコントロールするべきなのか」、「自分の持ち味を出すべきなのか」と監督の求めるガード像は何か考えプレースタイルに悩んでいたという。二年次はプレータイムも増え、自分の役割を見出し始めた。しかし一方でトーナメント優勝を逃し全日本大学選手権(インカレ)でも順位を落とすなど、チームが一つになって頑張っても日本一にはなれないという厳しい現実にも直面する。三年次には主力として試合に絡み、のびのびとプレーすることでプレーの幅も広がり個人的な力がついた。主力として初めてトーナメント優勝を経験し、「四年間で一番うれしかった」と高田は語った。
主将として一年間を駆け抜けた最終学年は監督不在という難題と共に始まった。不安もあったが割り切って練習をこなし、同期と話し合いながらチームを引っ張ってきた。無事に監督も就任し、臨んだシーズン初の公式戦であるトーナメントは最終日に筑波大に敗れ惜しくも準優勝。そこから昨シーズンは筑波大との因縁の対決となる。リーグ戦では見事二戦とも筑波大を下し圧倒的な力を見せつけ優勝を手にした。しかし最後の大会であるインカレの二回戦で筑波大と対戦し、まさかの敗退。「自分の調子が上がらず、チームを勝たせることができなかった」と高田は悔しそうに話した。勝つことの難しさを改めて学んだ四年間となった。
高田にとってバスケットは「あって当たり前のもの」であり「自分の成長を感じることができる」ものだ。プレーの成長ももちろんそうだが、色々な人の支えがあって自分が全力でバスケに取り組めていることを学ぶなど、人としての成長も感じたという。卒業後はプロの道に進むことが決まっており、その世界でもさらなる成長を遂げていくだろう。これからも高田の活躍に注目したい。
(記事、写真 阿部かれん)