今回登場するのは、この4年間裏でチームを支えてきた4年生スタッフの5人。森一史学生コーチ(スポ4=東京・西)、無着航平学生コーチ(商4=東京・早大学院)、大島岳晃学生トレーナー(教4=東京・早実)、曽我部ありすマネジャー(先理4=東京・早実)、松岡寛子学連役員(商4=埼玉・早大本庄)の5人は、最後の大会を前にした今、どんな気持ちを抱いているのだろうか。スタッフになったきっかけから、インカレに懸ける思いまで、その胸中をうかがった。
※この取材は11月28日に行われたものです。
右隣の人を紹介してください!
他己紹介をされる松岡
――他己紹介をしてください
森 松岡寛子です。早大本庄出身で、商学部4年生です。学連派遣で、学連では競技部の担当をしています。今日は憧れの早スポの取材で大変緊張しています。写真を撮られると思っていなかったので、今焦っているのですが、精一杯頑張りたいです(笑)。
一同 (爆笑)。
曽我部 他己紹介って一人称だっけ(笑)?
大島 学生コーチの森一史くんです。年は22歳ではなく、24歳です。2浪して入ってきているので、それをよくいじられて、「森くん!」とか言われています。出身高校は都立西高校で、とても頭が良いところです。バスケットボールはもともと選手希望で入部しようと思っていましたが、チーム事情で学生コーチになり、今では早稲田を背負う学生コーチになっています。好きなのは乃木坂46で、推しは最近変わったんだよね?
森 最初は西野七瀬推しだったけど、卒業して、紆余曲折を経て、齋藤飛鳥が今は好きです。
大島 紆余曲折を経た後の齋藤飛鳥は、本気です(笑)。いつもスカウティングしながら、合間に乃木坂の動画を見て元気を出しています。
無着 彼は大島岳晃くんで、早実出身の学生トレーナーです。(森)一史と同様に選手希望で入部して、学生トレーナーになっています。超名門の梅丘中学校のキャプテンでした。ひとことで言うと優しいやつで、いろんな人のことを見ていますし、気にかけています。優しすぎるところがあるのも、彼の良さかなと思います。次のステージに上がるために、今はバスケットボールを頑張っています。
大島 それ俺プロ行くみたいじゃん(笑)!
無着 新しいステージに行くにあたって、今は筋トレと練習を必死に頑張っています。個人的にはすごく仲が良いので、コロナがなかった時には一緒に飲みに行っていました。最近はよく一緒にミーティングをしています。バスケ部の飲み会番長みたいな人です。
曽我部 彼は無着航平くんで、早大学院出身で学生コーチを務めています。無着は二人同様、選手希望で入ってきて、今は学生コーチをやっています。無着は性格で言うと、『負けず嫌い』、『自分の決めたことは絶対に曲げない』と良い面でも悪い面でも、そのようなところがあります。その中でも自分の意見を言って、チームをまとめてくれてここまでチームを引っ張ってきてくれました。盛り上げてくれるところもたくさんあって、飲み会でも生活でも、どんな場面でもみんなを楽しくさせてくれる存在です。
松岡 彼女は曽我部ありすさんで、早実出身のマネジャーの方です。すごくしっかりしつつ、かわいらしい側面もあります。私はあまり練習に行けていないのですが、リーグ戦とか大会で会ったり、チームとよく話すタイミングあったりすると、悩みだけでなく、良いことや悪いことも共有できる人です。
――今はそれぞれどのような仕事をされていますか
森 学生コーチとしては、練習中は練習の補助をしています。試合期間が始まったら、自分たちや相手チームの分析をしてヘッドコーチとゲームプランを全試合で立てて臨みます。それを考えるにあたっての資料や情報を、作ったり集めたりしています。ヘッドコーチがいない練習もあるので、その時は僕が代行として練習を回していますね。
大島 学生トレーナーは、練習前のテーピングやチームのケガの予防をします。また、大人のトレーナーさんが何人かいらっしゃるので、その方々と話し合って、1年間のトレーニングの計画を立てています。そしてケガ人のリハビリメニューを組んで、いつ復帰させるのかということを倉石さん(倉石平ヘッドコーチ、昭54教卒)やコーチに伝えています。試合中は水を汲むなどサポートをしていますね。
曽我部 マネジャーは、事務作業のほとんどをやっています。会計や試合参加の登録や、練習の時のサポートをしています。一番大変なのは、早慶戦、早関戦などの定期戦の運営ですね。
松岡 学連はチームに帯同せずに、全日本バスケットボール連盟や関東バスケットボール連盟に行って、さまざまな大学の学生と一緒に大会の運営を行なっています。年に4回、トーナメント、新人戦、リーグ戦とインカレが私たちが動かしている大会です。
スタッフになった理由
マネジャーになった理由を話す曽我部
――なぜ入部して、なぜその部門を選んだか教えてください
森 僕はバスケットボール関係の仕事に将来就こうと思っていて、スタッフになると考えた時にバスケットボールという競技そのものを勉強したくて、学生コーチを選びました。
大島 そもそも僕ら3人は選手として入ってきたのですが、スタッフが足りないということもあって、セレクションが行われました。そこで自分たちの実力が足りずに「部活を辞めるか、スタッフとして続けるか」という話をされました。1、2週間くらい考える期間があったのですが、自分はバスケが好きだったので、サークルで選手として続けるか、スタッフとして部活に残るか迷いました。部活に残った理由としては、1カ月くらい先輩たちと一緒に練習をして、尊敬できる人たちばかりで、同期も友達として仲良くなっていたので、その人たちと一緒に本気になってバスケットをしたいと考えられたからです。シンプルにサークルでバスケをするよりも、部活で日本一を目指した方が自分には合っているのではないかと思って、部活に残ることを選びました。トレーナーになった理由は、自分が高校の時にすごくケガをしていて、プレーヤーとして苦しんでいましたし、中学校時代にキャプテンをやっていた経験からメンタル面で選手を支えられるトレーナーの方が向いていると思ったからで、難しいとは分かっていましたが、飛び込んでみました。
無着 僕の両親はここのバスケットボール部出身なので、小さい頃からここでバスケットボールをするということは思っていました。だからこそ、部から離れるということはそもそも考えの中にありませんでした。部に残ることを考えた時に、トレーナーは知識がないから無理だと思って、マネジャーか学生コーチが残りましたね。その中で、高校時代は僕もキャプテンだったのですが、高校の時の先生がかなり好き勝手にやらせてくれて、いろいろ能動的にやらせてくれる方で、自分の中でキャリアが終わったらコーチになりたいということは漠然と考えていました。それが早まっただけというふうに自分に言い聞かせて、学生コーチを選びましたね。一番バスケットボールに近いところで生活したいということも考えて選びました。
曽我部 私は早実の時からバスケットボール部のマネジャーをやっていました。大学で続けようと思ったきっかけは同期の萩原(萩原圭、先理4=東京・早実)と大島が続けるということを聞いていたので、この2人と続けたいと思ったからです。その中で見学に行ったら、練習のレベルの高さや人の良さに惹かれて、そのままマネジャーになりましたね。
松岡 私も高校時代は先輩の勧めでマネジャーをやっていました。3年間終わった時に顧問の先生に「大学に入ったら何をするの」と言われて、その先生がバレーの学連出身だったこともあり、そこで大学にも部活があり学連という組織があるということを知りました。マネジャーは3年間やったから、次は新しいことをやっても良いかなと考えて学連派遣になりました。
――チームに帯同しないことに思うことはなかったのですか
松岡 最初は思わなかったのですが、学連で活動するようになってから、チームの良さを感じることはありましたね。
――スタッフとして関わることで、勝利に直接かかわらないもどかしさを感じることはないのでしょうか
森 僕はあまり感じていないですね。確かに試合をしている時はコートに立っている5人が戦っていますが、その人たちがヘッドコーチに選ばれて試合に出られる理由や、ケガを乗り越えてコートに立てる理由だとか、その40分間だけじゃなくて、いろいろな人の助けがあるからこそ、そこに立てると思っています。40分間は、それを発揮するだけの場所です。最初のころは、そこに対して「貢献できている」と言い聞かせている部分もありましたが、そのような見方をしていたのであまり「なぜ自分がこんなことやっているのだろう」とは思いませんでしたね。
大島 僕は森とは違って、もどかしさを感じるばかりの4年間でした。自分は選手として高いレベルでもプレーをしたことがありましたし、他の大学で高いレベルでプレーしている友人も多くいる中で、自分がチームで直接的に勝利に関わることは学生トレーナーとしては少ないので、そこはバスケットボールがわかる分、外から見ていて自分は勝利に貢献できていないと思っていました。3年の時まではチームで勝つ喜びや、先輩たちに認めてもらったり、先輩たちや同期と一緒に練習を頑張って疲れたらご飯に行ったり、そのような部活動としての楽しさを感じていました。しかし、4年生になったら、急に4年としてチームをもっと良くしていかなければいけないと思っていたので、4年生になった瞬間に後輩に申し訳ないという気持ちも生まれました。しかし、そんなことも言っていられないので、自分ができることをやってチームが勝てれば良いと考えています。
無着 もどかしさは非常に感じます。それはなぜかと言えば、(大島)岳晃が言ったようにバスケットボールをやっていたからで、4年になってからも僕はそれを感じます。これだけ人数がいる中で選ばれている以上、マストでやらなければいけないことというのはあって、そのようなことができなかった時に、「あれは俺でもできるのに」ということを感じて、少しもどかしくなります。その中で直接貢献できないという点については、僕の持つ考え方は少し違います。そこに関しては言葉で表せないのですが、自分たちはチームなので、誰一人欠けることもできません。たられば話になってしまいますが、自分がいなかったら勝てなかったかもしれないという考え方でみんないるのかなと個人的には思います。
曽我部 私たちが2年生の時は、(森、大島、無着の)3人がエントリーしてベンチで活動している中で、人数も当時は少なかったので1人だけ上から見ている状況がかなりあって、その時は単純に寂しくて(笑)。みんなすごく気を遣って、こっちに目を向けてはくれていたのですが、単純に寂しくて疎外感を感じていました。また、3人はバスケがわかりますが私はそこまで詳細なことはわからないので、バスケという競技として何かアドバイスができなかったという部分では、チームが落ち込んでいる時に何も声をかけてあげられないというところで感じることはありました。その分、選手たちが学生コーチ、学生トレーナーという立場の3人には話せないこと、試合や練習に影響があるんじゃないかという弱音を聞けるようなマネージャーになろうということは思えたので、そこで一生懸命頑張りましたね。
松岡 私こそ、直接的には勝負に関わってこなかったので、彼らが活躍しているのを見て良かったと感じることが多かったです。大会の時にチームに対してどれくらいベクトルを向けて良いのかというのは、学連役員としてすごくセンシティブな問題でした。100%の力で応援できないという点に関しては、もどかしさはありましたね。この間のインカレチャレンジマッチでは、もしかしたら自分たちがこの試合で引退かもしれないという状況で、何も感情を入れずにアナウンスすることはできないかもしれないので、アナウンスを断っていました。
「我慢我慢の2カ月間だった」(無着)
リーグ戦を振り返る無着
ーーリーグ戦を振り返っていかがでしたか
森 僕は仕事柄、試合が終わった後に映像で自分たちの試合を振り返ったりするんですけど、シュートが入った時にゴール下で早スポの記者さんたちがすごい喜んでるシーンを結構な頻度で見るので、それを見ると僕はうれしくなります(笑)。
大島 そういうリーグ戦だったの?(笑)
森 めっちゃ喜んでるのを見て(笑)。作業的には夜中にやってますし、結構しんどいです。けれど自分たちがやってる事で、部に入っていない人や見てくださってる人にポジティブな感情を持ってもらえるというのが垣間見えるので、うれしくなりますね。
大島 僕はしんどい大会としか言えなかったです。最終的にチームのバスケットは成長して勝ちもたくさんあって、最後の方はインカレ決まって良かったと感じています。けれど最初の方は本当にどうなるのかなと思っていました。というのも1試合目に津田(誠人主将、スポ4=京都・洛南)がけがをしてしまって。夏までに準備してきて、このチームなら結構いけるんじゃないかと思っていた時に、大黒柱の津田がけがしてしまって、トレーナー的にもショックでした。4年生は「マジ?」という感じでした。キャプテンがいない中でリーグ戦をやって、インカレまでいかないといけないと考えた時に、津田がコートに立って日本一になることができなくなったというのもそうですし、キャプテンがいないことを感じながらリーグ戦の最初の方は負け込んでいました。もしかしたら選手たちは試合が終わった後に落ち込んでしまって気持ちが切り替えられないかもしれないけれど、自分たちは心も体もケアしなければいけない立場だと考えて。自分は落ち込んだ顔とかできないと思っていました。特に拓大に負けた時はかなり落ち込んでしまって、それをチームメートに見られてしまったのは申し訳なかったなと思っています。本当に落ち込むことや我慢することが多かったけれど、最終的にチームとして成長して、今はインカレに向けて一つになりつつあると思うし、そういうところは終わり良ければすべて良しというか。キツいこともたくさんあったけれど、終わってみれば良かったかなと思います。
無着 僕は本当に我慢我慢の2カ月間だったなと思っていて。(大島)岳晃が言ったように1戦目で津田がけがしてしまって、それでチームがダメになって、負けが混みだして。そういう時に僕たちは昨年、一昨年とミーティングをするんです。そうするとダメなところが見つかって、どんどんチームが沈んでいってしまって、軌道修正できない状況がすごく多かったです。なので今年に関しては、いいところを見つけようと自分の中で決めていて。何かいいことあったよね、という風にやらないとやっていけないです。津田以外にもたくさんけがをして、拓大戦の前後には本当に人がいなくて。自己主張が激しい人たちなので、そういった中でお前が悪いみたいになってしまうのが従来の早大でした。なのでチームのミーティングをする時に、ここ良くなったよねと話しています。否定するのではなくて、できるようになったことを1つずつ積み上げていった結果だと思います。ジャンプはできないから、1個ずつ階段を登っていって。そこで下を向いたり、後戻りしたりがなかったので、最後は3連勝できて、インカレチャレンジマッチも勝つことができたと思います。本当に終わりよければ全て良しなんですけど、そこを我慢した結果がしっかりと表れたのかなと思います。あの2試合(大東大、青学大)に勝ったのは偶然ではなくて、ちゃんとやってきたからだと思います。
曽我部 1年前はコロナで試合ができるかどうか分からない不安の中でやっていたけれど、今年は1巡ではあったけれどリーグ戦ができて良かったなと思います。それに全員が何か1つでも成長できた大会だったなというのは見ていてすごく感じました。
松岡 私もチーム事情が分からないまま運営をやっていて。でも有観客で春のトーナメント(関東大学トーナメント)をやっていて、リーグ戦も有観客で開催できて、1部リーグは全チームが無事に開幕、閉幕できたことは本当に良かったなと思っています。大学バスケのファンの方も押しかけてくださって、最後の水戸の試合では「こんなに来るの」と思っていました。入場制限がかかるくらいで、私たちが準備するよりも早くお客さんが並んでくださってて、そういうのを見ると運営側としてもチームに所属している側としても、盛り上がってくれて良かったなと思っています。
ーーけがが多かった中で、チームのコンディションを整えるのは大変でしたか
大島 大変というのは大変でした。自分はトレーナーとしては優秀な方ではないので、直接的にチームのコンディションを整えることができなかったのもそうですし、倉石さんなどのコーチ陣が求めることへの対応が難しかったです。インカレにつながる2試合とインカレチャレンジマッチでは8割か9割くらいのコンディションは整えられたと思っているので、インカレに向けてまた立て直したいです。最後にコンディションのせいでチームの負けにつながる、ということがないように身を削って頑張りたいと思います。
ーー後半戦では勝ちが増えたと思います。どのようなところが一番成長したと思いますか
森 個人としては、倉石さんの参謀になることをテーマにしていろいろな仕事にあたっていたのですが、練習や試合を通してだんだん信頼されてきてるのかなというのは少しずつありました。最後の3連勝に関しては、アシスタントコーチの方がいらっしゃらなかったので、「今はこうなっていますね」とか「次こうした方が良さそうですね」と自分から言っていました。逆に尋ねられた時もあって。最後の東洋大戦に関しては、僕の言ったことをすぐに採用してもらってギリギリ逆転に間に合ったという試合だったので、僕自身としては自信がついたかなと思います。受け入れてもらえたなという感じが出てきて、そこは成長したところだなと思っています。
大島 個人としては4年生としての成長はできたと思います。チームメートのメンタルを支えたり、少しでもチームの雰囲気が良くなるように練習中や練習前後で呼びかけたのは自分の成長だと思います。チームがなぜ成長したのかと言われれば、やはり1年生の石坂(悠月、スポ1=東京・国学院久我山)がすごく頑張ったなと思っていて。けが人ももちろんいて、津田や龍海(兪龍海、スポ2=神奈川・桐光学園)が試合に絡めなくなったりした時に、石坂が頑張ってくれたことでチームも良くなりました。特に先輩たちは自己主張が激しいのですが、その中で耐え抜いて自分のやることを精一杯頑張っている石坂のおかげで、チームの雰囲気が良くなったと思います。他に宮本(一樹、スポ4=神奈川・桐光学園)、星川(堅信、スポ2=京都・洛南)がいて。宮本は津田がコートにいない中で声出すようになったし、プレーも一つ一つ試合を通して4年生として成長していったと思います。星川は自分の才能というか思いっきりが出てきて、チームのために点を取ったり、早大の顔なりつつあるなと思っています。この3人が成長したのが良かったのかなと思っています。
無着 それで俺がうれしかった話をすると、この前に女子部の監督の方とお話する機会があって。最後の2試合に関しては、森と無着がベンチでいろいろと言ってくれたから勝てたんだと倉石さんからの話をその時に聞いて(笑)。
森 マジで!?(笑)
無着 それを聞いた時に、自分としてはいろいろなことがあったので、誰かに認めてもらえたのがすごくうれしかったです。倉石さんが求める学生コーチ像というのはもっと高いものだと思うのですが、その最低レベルのところまではいけたのかなと思います。
曽我部 私もただ宮本が活躍するのを見るたびに、1年生から出ていてけがも結構してきたので、涙が出そうになるくらいでした。それくらい宮本が本当に頑張ってくれたなという感じでした。
無着 津田もけがしていた中で、頑張ってチームを引っ張ってくれました。やることができなくなってしまって。彼はコーチングとかではなく、背中で引っ張るタイプだったので、それができない中で自分ができることを探してやっていたのはとても良かったです。
ここまでの4年間
これからの意気込みを語る森
ーーここまでの4年間はどうでしたか
森 まだ戦いは終わってないので、僕はまだ振り返らないです(笑)。目の前にある戦いを全力で。
大島 森が言ったみたいにまだ4年間は終わってないので、これから頑張るとして。これまでを振り返ると、かなりチームの色が変わったなと思います。1年生の時は自主練している人が少なかったり、体育館が違ったりして環境があまり良くなかったです。けれど最終的に一番好きなチームになったかなというのは思っていて。あとは本当にインカレで勝って日本一になるだけだと思うし、それが自分が学生トレーナーになってこのチームでバスケットができなくても学生トレーナーになって良かったなと思うところだと思います。あとはみんなを信じてやることを全部やって、目の前の一戦一戦を全力でやって有終の美を飾るだけです。チームを支えてくれた保護者や先輩方などいると思うんですけど、その人たちに恩返しができるように日本一になれればと思っています。
無着 常に僕は終わりを考えながら過ごしていて。何かが始まるということは、何かが終わるということへのカウントダウンなので、後悔しないためにはどうしたらいいかと思っていて。そこから逆算して、今は何をやらないといけないのか考えている最中です。『W奪還』という自分らしさを取り戻す、勝ちを取り戻すという目標を立てている中で、それを最終的に達成できたなと思えるような4年間にしたいと思います。
曽我部 私は2年生の終わりからずっと主務の仕事をしてきました。まさか先輩たちが1年目でいなくなるとは思っていなかったので、本当にしんどいことばかりで。4年間を振り返って、しんどいことと楽しいことどちらが多いかと言われれば、正直しんどいことの方が多かったです。何度も引退された先輩に電話かけて相談したりしていました。けれどやはり同期がこのメンバーだったから、先輩たちがあのメンバーだったから、後輩たちがあれだけついてきてくれる子たちだったから、ここまでやってこれたと今も感じています。あと2週間、支えるのはもちろんなんですけど、自分も楽しく、ここにいて良かったなと思えるように過ごしていきたいと思っています。
松岡 4年間を振り返ってチームに対して何か恩返しができたということは少ないですけど、チームが参加する大会をちゃんと成功させるというのが学連としての目標です。そこに常にチームがいてくれることというのはすごくうれしいです。1部で活躍してくれたり、インカレにもしっかり出場してくれたりするのは私のモチベーションを上げてくれていて。学連の中にも2部や3部の大学で、自チームがいない中で活動している子たちもいて、その子たちと比べて頑張れるのも彼らのおかげだったのかなと今振り返ると思います。でもやはり4年の最後のインカレが終わっていないので、まだ気が抜けないというか、そこが成功してくれないと有終の美を飾れないと思うので、彼らにとっていい舞台を用意したいと思います。
インカレに向けて
意気込みを話す大島
ーーインカレの目標は日本一だと思いますが、それに向けてどのような大会にしていきたいですか
森 近年のインカレの戦いぶりを見て、インカレでの早稲田はいつもと違って少し怖いよねという風に思われている自覚はあります。なので、やってやりたいなと思います。
大島 森が言っていたみたいに、みんなびっくりすることになると思うので、まあ見ておいてくださいという感じです(笑)。
無着 やったことないところやあるところもいる中で、他のチームのことも考えます。どうしたらいいのかという瞬間も訪れると思うのですが、その中でも4年間やってきたことや今シーズンに取り組んできたことにフォーカスして、自分たちが満足できる試合をして、そうすると自ずと日本一にはつながってくるのかなと思います。自分たちの目標は見失わずに、やるべきことをきちんとやるのが、僕たちの役目でありチームとして大事なところなのかな思っています。
曽我部 全員が一つにならないとうちのチームは絶対に勝てないので、それだけを目標にしてやっていくのが一番だと思います。
松岡 みんなが上手くやっていけるように、舞台を完璧にしたいです。学連のせいでダメになってしまうことのないように、完璧にやっていきたいと思います。
ーーそれに向けてどこに重点を置いていますか
無着 ディフェンスとリバウンドかな。
大島 あとは気持ちですね。
ーー2回戦では日大と当たる可能性があります。インカレでは4年連続の対戦となりますが、どのように感じていますか
無着 逆にこれなしじゃ終われないよな(笑)。
一同 あー(笑)。
無着 ここまで3年連続でやって1勝2敗で。リーグ戦とかは一度も勝つことができていなくて、まだ日大が上がってくるは分からないですけど、最後やってやりたいです。
森 てっぺん取る過程で、強いところに勝っていかないといけないのは当たり前で。それが早い段階かどうかという違いだけなので、あまり気にしていないです。
大島 日大的にもビビってるのかな。昨年は大判狂わせみたいな感じになったので、ドキドキして見ていてくださいという感じです(笑)。
ーーインカレへの意気込みをお願いします
森 『Wだっ・・・』
一同 あー(笑)。噛んだ。
森 もう一回お願いします!
ーー最後にインカレへの意気込みをお願いします
森 『W奪還』です!
――ありがとうございました!
(取材・編集 落合俊、内海日和)
◆松岡寛子(まつおか・ひろこ)(※写真左)
埼玉・早稲田本庄出身。商学部4年。学連所属の松岡選手。チームに帯同することは少ないですが、選手たちが思い切ってプレーできるように大会の運営をしています。インカレという最高の舞台を裏で支えます!
◆曽我部ありす(そがべ・ありす)(※写真中央左)
東京・早実出身。先進理工学部4年。下級生の時から主務として活動している曽我部マネジャー。選手の声を聞いてあげられるような存在になりたいと話していました。4年間の思いで、インカレでもチームや選手を支えます!
◆森一史(もり・かずし)(※写真中央)
東京・西出身。スポーツ科学部4年。学生コーチとしてゲームプランを推考したり、相手チームをスカウティングして、チームを率いる森選手。時にはコーチ陣に代わって指導をしています。インカレに向け、準備万端です!
◆大島岳晃(おおしま・たけあき)(※写真中央右)
東京・早実出身。教育学部4年。学生トレーナーの大島選手。けが人続きだったリーグ戦では、必要不可欠な存在だったでしょう。インカレに向けて、プレイヤーのコンディションを整えます!
◆無着航平(むちゃく・こうへい)(※写真右)
東京・早大学院出身。商学部4年。声を出し続ける学生コーチの無着選手。リーグ戦でもベンチから声をかけている姿が印象的でした。インカレでもコートの選手に勢いをもたらしてくれるでしょう!