情熱をささげた4年間
2015年11月6日。4年目にしてついに悲願の関東大学1部リーグ昇格を果たした池田慶次郎(社=東京・京北)の目には、涙が溢れた。バスケットボールとひたすら向き合ったこの4年間の中で、最も輝かしい記憶だ。時に冷静に、時に熱く、主将としてチームを率いた池田が目指した先には何が見えていたのであろうか。
高校時代は名門・京北高校でバスケットボールに打ち込む日々を過ごした。この先もバスケットを続けたいと思っていた中で、高校3年生の時に初めて早慶戦を観に行く。そこで目の当たりにしたのは早大の大勝であった。そして進路のことで悩む中で、当時の早大のヘッドコーチに勧められ早大の門を叩くことを決意した。
早大に入学した池田は、早速試合に出始めるようになる。ガードとして激しいポジション争いに参加しながらも、上級生と共に試合に出ることによって自らのレベルアップを図った。入部した年は1部リーグで戦っていた早大であったが、その年の成績が振るわず2部のチームとの入れ替え戦に回ってしまう。試合には勝利し2部降格を免れたものの、この時に味わった悔しさは池田を大きく成長させた。2年生になり、より一層バスケに対する思いが大きくなると、主力選手として試合でも活躍する場が増えた。しかしまたもリーグ戦での成績が振るわず、早大は2年連続の入れ替え戦に臨んだ。しかしこの試合で敗北してしまい、この上ない悔しさの中で2部降格という現実を突きつけられた。3年生になると池田はスターターとして試合に出る機会が増える。それだけではなく、ゲームキャプテンを任されることもあってチームの中心としての自覚が芽生えた。1部昇格を目指すというチームの目標を掲げ、ひたすらそれを目指して戦った。しかしこの年のリーグ戦は4位と振るわず、入れ替え戦にすら出場できないという屈辱を味わってしまう。この時点で、翌年4年生となる池田が1部リーグで再びプレーするという可能性は消えてしまったのだ。やりきれない悔しさを胸に、池田は早大でのラストイヤーを迎えようとしていた。
3度目の入れ替え戦でチームを見事勝利に導いた池田
それまでの3年間、常にチームの勝利のことを考えていた池田は、4年目のシーズンを迎えるにあたって自分がチームを引っ張っていかなければならないという強い気持ちを持っていた。まずは同期にその気持ちを伝え、次に監督やスタッフ、他学年の選手にも主将になりたいという決意を打ち明けた。こうして池田を中心に新しいチームが始動することとなる。池田が目指したのは「誰からも愛されるチーム」。チームは4年生を中心にリーグ戦で快進撃を続ける。2位という順位の先に待っていたのは、1部に所属している法大との入れ替え戦であった。池田にとってはこれが3度目の入れ替え戦。ラストイヤーということもあり、並々ならぬ気持ちでこの3試合に臨んだ。第1戦は敗北してしまうものの、第2戦では執念を見せ勝利する。迎えた運命の第3戦。池田を中心に4年生が活躍を見せ、下級生もその後を追うように奮闘する。そして勝利のブザーが会場に鳴り響くと、池田は両手を広げ歓喜の気持ちを両こぶしに込めた。その試合で初めて、嬉し涙を流した。誰よりもチームのことを考え続けた池田は、誰よりも熱い男になっていた。
この4年間、チームのことを常に第一に考えてきた。3度の入れ替え戦を通して、池田自身も大きく成長した。1部での戦いに臨むことはもう無いが、主将としてチームを引っ張った池田の姿は、しっかりと後輩たちの目に焼き付いていることであろう。そして池田は大学の4年間で得たかけがえのないものを胸に、次のステージへ飛び立つ。
(記事、写真 橘高安津子)