【連載】『令和3年度卒業記念特集』第48回 太田翔一朗/日本拳法

日本拳法


主将として、一人の部員として駆け抜けた日本拳法人生

 日本拳法部主将として、最後の1年を駆け抜けた太田翔一朗(先進4=愛知・海陽中教校)。大学以前の競技経験がない太田が主将を務めあげるまでに成長した道のりと日本拳法部への思いを伺った。

試合に臨む太田

 幼少期より、体操やサッカー、アメフトなど様々なスポーツを経験してきた太田。そんな彼と日本拳法の出会いは大学1年時の新歓だった。もとより、格闘技に興味があったため、当初はボクシング部に入部するつもりだった。しかし、ボクシング部の減量期間と新歓期間が被ってしまい見学さえもできない日々が続いた。その中で、隣で練習していたのが日本拳法部だった。見学を続けるうちに日本拳法部の雰囲気に惹かれ、太田は入部を決意する。

 入部してからは困難の連続だった。1、2年時は授業と重なってしまい、練習に行けない日が続くことも。しかし、ウェイトトレーニングやサンドバックを叩いたりするなど、自主練習を徹底し、練習不足を補った。その努力と継続性のお陰で、着実に実力を付けていく。最初は練習についていくのが精一杯だった太田だが、先輩や監督からの信頼を勝ち取り、3年時には副将を任されるまでに成長した。

 副将になってからも試練は続く。日本拳法部では3年生が部活の運営を行うため、競技以外でも考えることが増えていった。当初は何もできず、チームの歩みを止めてしまっているのではないかと苦悩した。そんな太田を支えたのは、仲間のサポートだ。新歓や練習におけるコミュニケーション、声掛けを他の部員が積極的に行い、太田が運営に集中できる環境を整えてくれた。その中で、太田も段々と副将の責任が芽生え、競技的にもチームの中でも中心の存在になっていった。

 主将になり、掲げた目標は「全日本学生選手権(府立)優勝」。目標設定の裏には、優勝という結果のみを追求するだけでなく、後輩たちに府立は楽しい舞台であると感じてほしいという太田の思惑があった。最終的な府立はベスト16と悔しい結果に。最初で最後の府立の舞台であった太田本人も自身の試合を振り返り、「しょっぱい結果でした」と悔しさをにじませた。しかし、「後輩たちの頑張りを見れて良かった」と、新体制に対する期待も語った。

 卒業後は、医師の道を志すという。ケガを繰り返してきた競技人生の中で、自分が競技に集中することができるようにサポートしてくれた医師への感謝がきっかけだ。大学4年間、日本拳法部として活動を続け、「人間としてものすごく成長できた」太田。周りへの感謝もしきりに語り、4年間の競技生活を振り返った。周りがサポートしてくれたのは太田が人として魅力的であることが一番の要素ではないだろうか。人を惹きつけ、感謝の気持ちを忘れない太田の未来に大きなエールを送りたい。

(記事 湯口賢人 写真 日本拳法部提供)