主将として、柔道家として
「柔道をしていた日々がどれだけ充実していたか」――。柔道漬けの日々からの解放感もつかの間、百瀬敦也(社=長野・松本第一)は埋めようのない空白に寂しさをこぼす。大学生活の4年間で柔道人生にピリオドを打ち、一般企業に就職することは前から決めていた。「柔道家としてあまりにも後悔が残る試合はしたくない。」集大成が近づくにつれ、その言葉の重みが増していく。主将として早大柔道部をけん引したラストイヤーは決して順風満帆ではなかったが、それでも周囲への感謝は尽きなかった。そんな百瀬の4年間を振り返る。
早大柔道部を選んだ理由は、柔道の実績を残せる環境に身を置きながら、将来の選択肢を広げるため。低学年時から主力として活躍し、2年時には全日本学生柔道優勝大会にレギュラーとして出場。早大柔道部としては51年ぶりのベスト8達成という快挙に大きく貢献した。百瀬はこの試合を大学4年間で最も印象に残っている試合に挙げている。
体格で劣る相手に対して果敢に攻め続ける百瀬
大学生活の後半にあたる3、4年時、百瀬の柔道人生がラストスパートに差し掛かる中で、コロナ禍という未曽有の事態は柔道界に大きな打撃を与えた。百瀬が3年時の大会はほとんど中止、4年時の大会の多くも中止と延期になり、先の見えない中で主将としてチームのコントロールが難しくなっていた。日々の厳しい練習はなんのためにあるのか、試合がなければモチベーションの維持も難しい。早大柔道部は他の強豪大学とは異なり、多種多様なレベルやタイプの選手が集まっているところに良さがある。その一方で、このようなチームが一丸となって戦っていくことはそう簡単なことではない。それでも百瀬は、部員に何かを強制するようなことはせず、一人一人を尊重するチーム運営を心がけた。その中で、各々の取り入れたい練習メニューを取り入れたり、得意技の講習をしたりとチームのために尽力した。しかし、秋に延期された大会で、早大柔道部として思うような結果を残すことができず、「結果的にはうまくいかなかったというのが正直なところ」と悔しさを吐露した。新主将の長嶋勇斗(スポ新4=山梨・東海大甲府)に対しては「課題をたくさん残してしまった」と申し訳なさを口にする一方で、新チームのたくましさには期待の念を寄せている。「今後もコロナの影響を受けると思うが、みんななら乗り越えられると信じている。」
百瀬にとって最後の試合となった早慶柔道対抗戦(早慶戦)。主力選手を怪我で欠く中で、早大柔道部は奮闘した。大将として後輩たちの試合を見守る中で、それぞれの頑張りや成長を感じることができて嬉しかったという。早大柔道部は厳しい状況下でも一人一人が着実に前進していると感じさせる試合だった。上位を狙えるチームと語る後輩たちの活躍を楽しみに、百瀬も社会人として努力奮励することを誓った。
柔道人生最後の試合となった早慶戦で4分間を戦い抜いた
「柔道は勝つから楽しいし、好きになれる」――。人を投げるということは決して簡単なことではなく、フィジカルやテクニックを磨き、自己を高めて初めてスタートラインに立てる。その上で勝つために必要なことを考え抜き、試行錯誤を重ねることが楽しかったと百瀬は語る。百瀬が大学生活で培った統率力や信頼の築き方、何かに夢中になることの素晴らしさは、社会人の道を歩んでいく今後の人生にも大いに生きていくだろう。
(記事 安齋健、写真 倉持七海、宮下幸)