【連載】『令和3年度卒業記念特集』第45回 鈴木志佳/射撃

射撃

志はひとつ みんなの笑顔が見たいから

 早稲田大学に、日本で5本の指に入るスナイパーがいる。鈴木志佳(人=東京・目黒星美)は、10mエアライフル(AR)女子競技において、現在日本ランキング5位につけている。驚くべきはその経歴。射撃を始めたのは大学入学後であり、中学・高校時代には書道に打ち込んでいた。銃を持ち始めてわずか3年ほどで日本トップレベルへと至った、その奇跡に迫った。

 

 バイザーを上げる競技中の鈴木

 

  早大への入学を目指した理由は明快だ。中学時代の尊敬する教員が、早大の出身であったためである。そんな鈴木が射撃と出会うのは、早稲田キャンパスでの入学式の日。「一部のサークルの強引な勧誘が少し怖くて。(新歓ブースの一角に)体育会のゾーンがあって。スーツを着ていたり、学ランを着ていたり、真面目そうな雰囲気の先輩が多くて足を踏み入れた」。そこで様々な体育会の説明を受けたうちのひとつが射撃部だった。「体験射撃に行って。最初はそんなに面白くないな、って正直思った」。数回射撃を体験したものの、射撃の面白さに気がつくことはなかった。他の部活に心が傾きかけていたが、結果として射撃部に入部する。「東さん(加藤東、令2社卒)から入るの?と言われて。なんとなく入りませんと言いづらくて、入りますと言ってしまった」。この加藤のささいな一言が、鈴木を射撃へと引き込んだ。

 

 入部して以降も、競技を楽しむには時間がかかった。「(中心に)当たらないし。パソコンの画面でスキャット(※1)を見てもよくわからないし。コートは暑いし重いし」。射撃競技は、試合で使用する実銃を持つまでに時間を要する。講習を受講し、所定の手続きを経る必要があるためだ。模擬のデジタルライフルに、魅力を見出すことは困難であった。こうした状況下で、入部当初の鈴木の原動力となっていたのは、負けず嫌いな性格だ。6月に行われたデジタルライフル大会は、今でも鮮明に記憶に残る。「順位がひどくてボロ泣きして。めっちゃ悔しくて」。実際に銃を持ち始めたのは、入部して数カ月がたった9月であった。ただ、その頃には既に頭角を現し始めていた。その理由をこう分析する。「私はすごく撃つのが早い性格で、パンパン撃っちゃう。他の人の2倍の早さで撃っていたら、2倍の練習ができる。必然的に撃つ数が増えて、練習量が多かった」。11月には、1年生ながら早慶定期戦レギュラーを勝ち取った。

 

 加藤ら上級生と談笑を交わす鈴木

 

 「1年の早慶戦の時は4年生が大好きすぎて。4年生のために撃ってましたね」。こんな鈴木が射撃にのめり込んだのは、1年生の終盤のこと。早大の射撃場に、ナショナルチームのメンバーが練習に訪れたのがきっかけだった。「ファイナル(※2)の練習をやっている中でも、みんな普通に10.7(※3)以上を撃っていて。すごいなこの人たちと思って。追い付きたいじゃないけど、漠然とした目標を持った。かなり刺激をもらった」。現在早大のコーチを務める谷川諒(平28スポ卒)氏が、当時ナショナルチームの通訳を務めていたという縁が、鈴木の大きな転機を導いた。

 

 2年生となり、射撃にますます没頭した鈴木。元来、部の所有する銃を使用していたが、自前の銃を購入。さらにはコートも購入し、競技に打ち込む土台を築いていった。事実、11月に行われた早慶定期戦では613.5点を記録し個人優勝を達成。冬には大台となる620点に達することも増え、着々と実力を伸ばした。そんな矢先に起こったのが、新型コロナウイルスでの活動自粛であった。

 

 狙いを定める鈴木

 

 「ここで踏ん張らないと、これから勝っていけないと思って頑張っていた」。自粛期間であろうとも自宅で練習を重ねたが、実射から離れることは得点の低下に直結する。同時期にフォーム変更に取り組んでいたこともあり、「あまりにも点数が伸び悩んでしまって、今思い出しても辛い」と語るほど点数が落ち込んだ。「4年になってからは安定して高得点を出すことが出来たので、結果的に良かった」と当時を振り返るが、苦しみの続いた3年生のシーズンとなった。

 

 ただ、同じく3年生のシーズン、鈴木は大きな決断をすることとなる。大学卒業後も競技を続ける、という決断だ。時は、就職活動をはじめた秋の半ば。同期のピストル射手、髙木薫(法=茨城・竜ヶ崎一)との会話が引き金だった。「このまま大会が潰れ続けて、不完全燃焼で卒業して。私はすごかったんだぞ、みたいな武勇伝を言い続けるより、完全にやり切ったと思ってから辞めたいよね」。競技を志半ばで諦め、後悔を残すよりも、思い切って競技を続けたい。同期との会話から導かれた決心は、確かに競技への愛が成熟した証だった。

 

 退路を断ち、迎えた大学でのラストシーズン。鈴木はめざましい活躍をみせた。「撃ち方を変えた時は(点数が)落ち込む時期が絶対に出てくるけど、その後にもっと伸びる」という谷川コーチの言葉通り、安定して620点を撃つように。10月の関東学生選手権秋季大会(秋関)では625.8点を叩き出し、個人優勝の栄冠をつかみ取る。さらには1月に行われたランクリスト競技会で627点を撃ち、自己ベストを記録するなど、その成長は留まるところを知らない。

 

 競技後にはいつも谷川コーチにアドバイスを求めた

 

 ここまで射撃のとりことなった、その根底には何があるのか。鈴木はこう語る。「夢中になった原因ですか?周りがびっくりしてくれるからですかね。サプライズとか好きなんです。えー!すごい!みたいな反応を見るのが好きで。だから次はもっといい点数を撃ちたいなって」。

 

 鈴木には、活躍を届けたい2人の存在がいる。1人は、恩師・谷川コーチ。印象的な言葉がある。個人優勝を達成した秋関後のインタビューだ。「谷川さんに対して、いいコーチがついているんだねと言っていた人がいて。自分が言われるよりも100倍うれしいと思いました」。自身の射撃を、そして人生までもを変えた存在に、好成績を届けたい。そしてもう1人は、鈴木の母親である。父親を幼い頃に亡くしている鈴木を支えた存在だ。「母がとても喜んでくれるので。それを見るとやっぱり結果を出したいと思う」。決して自分自身のためだけに射撃に取り組むのではない。そんな胸中が垣間見える。

 

 最後の早慶定期戦、下級生に見守られ競技を行う

 

 目指すはオリンピック、また国際試合での活躍。「メダルを日本に持ち帰って、日本の射撃界をもっと盛り上げたい」とも語るが、鈴木には大きなひとつの目標がある。「今までお世話になった人たちの首に、メダルをかける形で恩返しをすることが私の目標です。結果でしか返せないから」。未来に見据えるその中心にも、他者への思いがあるのだ。

 

 当初、ささいな一言で射撃部に引き込まれた鈴木に、こんな質問をしてみた。大学入学時に戻れたら、もう一回射撃をするか、と。回答は、いかにも鈴木らしいものだった。「出会ってきた人たちに出会えない世界線を生きることを考えると、射撃をやると思います。他大の方々や、東京都のライフル射撃協会にも所属していたのですが、そこで出会った方々、銃砲店の方、早稲田の先輩、後輩、同期、そしてコーチ。この人たちに会いたいから、射撃をやりたい」。

 そしてこう付け加えた。「谷川コーチには、自分のために射撃しなよって、よく言われます」。ただ、これが鈴木の人柄なのだろう。

 

 志はひとつ。みんなの笑顔が見たいから。

 

(記事、写真 橋口遼太郎)

 

(※1)スキャット…銃口の動きを測定し、仮想の標的を作り出してトレーニングを行う装置

(※2)ファイナル…本戦上位選手のみで行われる決勝。得点下位の者から順に脱落し、優勝者を決める手順

(※3)10mAR競技の1射での最高得点は10.9点。得点は0.1点刻み