主将としての信念
コロナ禍の影響を強く受ける中、主将としてチームを引っ張って来た髙橋野乃(スポ=京都・日吉ヶ丘)。その裏には実力面だけでなく、努力し続ける自分自身の背中を見せ、レギュラーだけでなく部員全体を支えようとする主将としての信念があった。
5歳の時に剣道を始めた髙橋。初めは防具を着けることが嬉しかったと語る。中学から主将を務め、剣道の名門である京都の日吉ヶ丘高校に進学した。高校でも主将として活躍し、総体ではベスト8まで勝ち進み、優秀選手に選ばれた。早大には母校、日吉ヶ丘の先輩の背中を追って進学を決めた。早大剣道部入部時には華々しい実績を持つ、大型ルーキーとして注目集めた。しかし、順風満帆の剣道人生を進んでいるように見える髙橋だが、早大剣道部ではレギュラー落ちという挫折を味わった。レギュラーへの切符を掴むためには部内戦に勝ち進んでいく必要がある。対戦相手を分析するよりも、自分の直感を信じて、試合を展開していくことを得意とする髙橋。毎日練習を共にする部員たちの中で自分を知り尽くした相手に対してはなかなかその直感を発揮することができなかったという。また、1年生は練習以外でも多くの雑務をこなさなければならず、苦労したと語る。しかし、周囲の部員や同期たちに助けられ、乗り越えてきた。髙橋は「本当に同期に助けられたなと思います。一人だったら、部活も続けて来られなかったなと思うくらい、大変だった。」と当時を振り返る。その同期たちと一緒に戦った新人戦を最も思い出に残る試合として挙げた。
2年時の関東女子学生新人戦で1本奪取する髙橋
最終学年となり、同期たちからの推薦を受けて、主将を務めることとなった髙橋だが、部の先頭を走り続ける中で剣道を辞めたいと思ったことは何度もあるという。中学時代から主将を務めてきた経験から、主将は誰よりも強い存在でなければ、周りがついてこないのではないのかという自分自身の持つ主将のイメージに苦しめられたこともあった。しかし、誰よりも一番努力する自らの姿勢を示すことを主将の役割であるととらえ直し、その責任感を果たすために剣道を続けてきたという。
コロナ禍で他のスポーツよりも厳しい活動状況を迫られた剣道部。今年度は一度も試合が開催されることはなく、目標としてきた全日本女子学生選手権、優勝は叶わなかった。それでも、「普段できないことを出来た良い機会だったと思う。」と明るく振り返った。活動が思うようにできない中でも、同期と協力しZoomを利用しての練習を行い、コロナ禍で取り残される1年生との関係構築にも努めるなどして部を導いてきた。
最後に髙橋は「剣道は素晴らしい仲間に巡り合わせてくれた宝物のような存在。」、「私が頑張ることで、家族もずっと応援してくれている。それが原動力で頑張ってこられました。」と仲間と家族への感謝の思いを語った。
(記事 坂田実咲、写真 早稲田大学剣道部提供)