自ら進み続ける力
常に人一倍声を出し、スピードと気迫の溢れる空手でチームをけん引してきた芝本航矢(スポ=東京・世田谷学園)主将。大学では学生トップレベルの実績を多く残したが、そこまでの道のりはけして平たんではなかった。数々の経験を糧に成長し、日本一を目指し続けた15年間の空手人生に迫る。
空手に出会ったのは5歳の頃。元々人見知りなこともあり、初めは「いやいや連れていかれる」ように通っていた。しかし地元の大会で3位に入り、勝負に勝つ楽しさを知ったことで空手にのめりこんでいく。小6の時には全国大会で優勝を果たし、もう一度日本一に立つことを目指して練習に取り組むようになった。
しかし、苦しんだ時期もあった。小学生時代とは一転、中学では都予選を突破することすらできず、高校でも初めは同期に歯が立たなかった。そんなときに彼を支えたのは生来の負けず嫌いな気持ちだ。「日本一を決める舞台にすら立てずに終わるものか」。毎日最初に練習場に来て最後に練習場を出る日々。加えて練習の意味を一つ一つ考え、積極的に周りにアドバイスを求めた。努力は実を結び、世代別の世界大会にも出場。再び世代のトップクラスに成長した。
突きを決めて気合を入れる芝本
早大に入学後、芝本はすぐに頭角を現した。突き技のスピードを武器に、団体戦・個人戦ともにレギュラーとして活躍。元より強い向上心を持ち、考えることを心がけてきた芝本にとって、自主性を重んじる早大空手部の環境が合っていたのだろう。さらに、目標の日本一との距離を縮めるきっかけが訪れる。先輩に「オリンピックを目指せる」と言われたことを機に、国際大会を転戦することになったのだ。世界レベルを肌で感じ、その中で日本人選手が躍進する姿を見て「負けていられない」と刺激を受けた。一方で自身の組手が通用する手応えも得ることができたという。特に、最後の国際大会となったKARATE1シリーズA2019・サンティアゴ大会では当時世界ランク4位の選手に勝利。世界のトップ選手に対しても「やればできる」という自信が身に着いた。その後も、全日本選手権にも3年連続で出場し二度の5位入賞、3年生以降は団体戦無敗とチームの主軸として活躍を見せる。芝本の胸中には、周囲を見返したいという気持ちがあった。「強豪校に行かなかったから弱くなったと言われたくなかった」。気迫を全面に押し出し、攻めの組手で学生トップレベルを走り続けた。
最終学年では主将に就任。早大空手部は世界大会経験者から初心者まで幅広く在籍しており、チームをまとめることは容易ではない。さらに、新型コロナウイルスの影響で練習を共にする時間が少なくなった。その中で大切にしたことは『気付き』、自ら強くなるためのきっかけを作ることだった。そして自主性を重んじる環境において「自分の取り組み次第で強くなれること」を自らの背中で示してきた。その結果、自粛期間でもチームでモチベーションを保つことに成功。芝本が驚くほど実力を上げた部員もおり、自身の努力が実ったことを確信したという。そして、昨秋の早慶戦では空手を始めて間もない部員も出場し、チーム一丸で戦い抜いた。勝利には結びつかなかったが、「このメンバーなら、どんな時も前を向いて戦い続けてくれる」。悲願の早慶戦勝利を後輩に託してチームを去った。
蹴りによる仕掛けを決める芝本
15年間の空手人生を振り返ると、辛いことの方が多かったと語る。小6以来の日本一を獲ることはついに叶わなかった。特に大学最後の大会となった全日本選手権(全日本)ではベスト8で大逆転負け。今も脳裏に焼き付くほどの悔しい敗戦に「(優勝以外は)準優勝もベスト8も同じ」と無念さをにじませた。しかし同時に、常に目標に向かって妥協なく練習し続けた日々を「この経験は必ず今後に活きる」と前向きに振り返った。
これからは社会人のかたわら空手に取り組む。練習時間の減少は否めないが、来年の全日本に向けて「この悔しさを上書きしたい」と闘志を燃やす。目指すのはやはり、日本一。芝本はそう意気込んだ後、欲張りかもしれないですが、と苦笑した。確かに、決して恵まれた環境ではないかもしれない。それでも。これまで幾多の逆境を力に変えて進み続けてきた芝本に、期待せずにはいられないのだ。
(記事 名倉由夏 写真 名倉由夏、江藤華氏)