信じる力
自分を信じる、仲間を信じる、仲間に信じてもらう。そのためには、どのような選択をするのがいいのか。それをいつも考えながらラクロスと向き合い、主将としてチームを率いた篠原夕依(国教=東京・筑波大附)の4年間をたどっていく。
体育会で『日本一』を目指した両親の話を聞いて育った。入学直後の新歓期、ラクロス部の広告にあった「日本一を目指そう」という文言に心が躍った。やるなら100パーセントでぶつかる。そう決めて、入部した。篠原は「先輩との練習についていけず、練習中に泣いたこともあった」と漏らしたが、2年次にはトップチームに定着し始めた。「上級生に囲まれ、100パーセントの力を出せることが楽しかった」。今でも覚えている、と語ったのは、篠原が唯一出場した2年次の早慶戦。出場時間は数分だったものの、他の試合とは全く違う、早稲田を背負ってフィールドに立つ責任感を感じた。篠原は2学年8月から3学年6月まで海外留学していた。留学中は100パーセントラクロスに打ち込む日々でなかったため、その反動で帰国後はラクロスをもっと頑張りたいという思いが湧いてきた。しかし、体力を取り戻すことに苦労した。「トレーニング中、泣いたこともあったな」。少し微笑みながら、当時を思い返した。
相手の攻撃をカットする篠原
前代が引退した後、主将を継いだ。そして、『ONE』というスローガンを掲げた。部員全員が日本一を決める試合に出られるわけではない。それでも、日本一になるには一人一人が「自分はチームの日本一のために何ができるか」を考えなくてはならない。いかに各々が主体的に動けるか、そのために一つになるという意味を込めて、『ONE』に決めた。2020年度シーズンが始まり、これからという時、新型コロナの影響で全体練習が止まった。自粛中もオンラインでできることを継続した。練習が少しずつできるようになった頃、篠原は周囲の伸びを感じていた。チームとしてコミュニケーションのレベルも上がり、まとまってきたなという印象だったという。社会人チームに練習試合で勝ったことも自信につながり、チームの士気は高まっていた。
篠原組はやっと迎えた初戦で勝利を収めた。だが、試合終了直後、篠原は目を覆い、スタッフに肩を持たれながら整列した。インタビューで、篠原は「あの時の涙は、ただただ安堵の涙でした」と振り返る。前半リードで折り返したものの、後半徐々に詰められ、試合終盤で引き離すという厳しい試合だった。「私は点数が取れるポジションでないので、ただ守るしかない。信じるしかないと思った」。これまでで一番長く感じた試合だったという。その2週間後、前年の学生王者である立教との試合に臨んだ。万全の準備で臨んだはずが、壁は高く、大量の点差をつけられ敗退。試合終了後、前試合と同じように篠原は目を覆った。しかし、心の内は前試合と違うものだった。「単純に悔しかった。自分たちがやりたかったことが一つ一つできなかった」。そして、こう結んだ。「相手に負けたというか、自分に負けた」。この試合を4年間で最も印象に残った試合に挙げた。「忘れたくても忘れられない。試合時間が一番短く感じた」。
引退時、数々のイレギュラーを経験してきた篠原は後輩たちへこう伝えた。「プランに従った目標達成ができなくなることもある。だからこそ、目の前の練習にどれだけ打ち込めるか。それが4年の最後に出てくる」。篠原はいつも、先を読みながら練習してきた。この時までにこうなりたいから、今こうする。しかし、新型コロナ感染拡大のように、先が読めなくなり、プラン通りにいかないこともある。何が起こるかわからない状況の中で、まずは今見えている課題に取り組もう。そうやって今の考えにたどり着いた。「ラクロス人生を通して得たものは『信じる力』。チームスポーツは自分も、人も信じないといけない。まずは、自分を信じられるように。そして、自分が相手に信じてもらえるように。そのための選択を毎日しようと練習していた」。試合で自分を信じ、人に信じてもらうためには、自身を追い込む日頃の努力が欠かせない。しかし、自分で全てを背負っていては人を信じられない。そんな葛藤の中で過ごしてきた4年間。今後、どんな道を選ぼうと、篠原の指針はぶれないはずだ。
(記事 後藤泉稀、写真 後藤泉稀)