【連載】『平成30年度卒業記念特集』第63回 中島崇景/山岳

山岳

『自分がしたい登山』を

 「自分がしたい登山、主体的になっていける登山がしたいって思ったのが一番成長したところでした」と語ったのは、中島崇景主将(文構4=愛知・菊里)である。山岳部で得た経験を糧に、今年度新たな挑戦をする中島の山岳人生を振り返る。

 中島が山岳と出会ったのは高校時代。新しい競技を始めようと、ワンダーフォーゲル部に入部した。初めて登ったのは御嶽山。舗装されていない険しい道を歩き、3000メートルを超える山頂に立った時に達成感を得たことが思い出に残っているという。大学でも登山を続けるつもりはなくテニスサークルに入るも、1年時の夏のある体験をきっかけに山岳部への入部を決意する。高校のワンダーフォーゲル部の同級生とともに海外の山に登った中島は、大学でもワンダーフォーゲルを続け体力もある同級生との差を痛感した。「その友達とまた山に登りたい」。その思いが中島を山岳部入部へと動かした。

夏山合宿において北アルプス朝日平での落日の様子

  しかし、大学の山岳部はそう甘くはなかった。高校のワンダーフォーゲル部や登山サークルと違い雪山に登ること、そして荷物の量の違いに衝撃を受けた。「最初の新人合宿でもうすでに辞めようかなと思っていました」と振り返る。初年度の夏山合宿では、重い荷物を背負って2週間歩き続けた。山から下りて糸魚川駅でご飯を食べていた時が印象的だったという。それは合宿が終わり、日常に戻ったことを身に染みて感じたからであった。新雪期合宿では、体力のなさから遭難しかける状況に陥り、さらに同期が大滑落をするなど、山がいかに危険な場所であるかを実感する経験をした。常に危険と隣り合わせとなるにもかかわらず登山を続けていたのは、冒険、ワクワク感のある活動がしたいという思いからだった。中島にとってその活動とは山だったのである。

 最上級生になる前の最後の合宿は、風が終始吹いている厳しい登山だった。そんな中、山頂で一緒に歩いていた福田倫史前主将(平29スポ卒)から言われた「強くなったな」という言葉がうれしかったという。その言葉で最上級生としてやっていく覚悟ができた。また、中島には最上級生となる1年前から意識し始めたことがあった。「準備するところから下山するところまで自分が主体的にやりたい、それでやっと、上級生に連れて行ってもらうんじゃなくて自分で登山をしたっていう感覚をしっかり味わってみたい」。そんな思いをもった中島は最上級生となり、主将に就任した。自分が引っ張っていく立場となり、部内に様々な考え方をもった人がいる中で、同じ目標に向かってどのようにモチベーションの温度差を消すことができるか悩みながらも主将を務めあげた。

 「自分が行きたい山っていうのをそれぞれが見つけて、合宿以外で、そこに行くためにはどういうことが必要でっていうのを考えながら、山岳部の目標ではなく、自分の目標に向かって活動する、そのための技術と体力を高める、そんな山岳部であってほしい」と後輩へメッセージを送った中島。そんな中島は今年度大学を卒業せず、1年間休学して新たな目標に挑む。それは未踏峰登頂。早稲田では、福田前主将らがラジョダダ山への世界初登頂を成功させている。その時に参加しなかったことを後悔しているという中島は、社会人になる前に大きな目標達成を目指す。自分自身の目標に向かう中島が、山岳部に新たな歴史をつくることに期待が高まる。

(記事 橋本和奏、写真 山岳部提供)