※この記事は1月15日に行った取材をもとに執筆いたしました。
本格的に始まった冬山シーズン。11月の新雪期合宿で雪山の経験を積んだ山岳部は年末に冬山合宿を実施した。例年ならばスキーを行う合宿だが、今回は「春山(合宿)で本気を出そう」(小寺凱主務、人4=東京・国立)という方針からより冬山の経験を積むために頂上を極めるピークハントに変更。涸沢岳を通り、奥穂高岳を目指すというルートで行われた。晴天にも恵まれ、アクシデントもないという最高の状態で合宿を完遂。部員それぞれが収穫を手にした。
スキーという例年の合宿内容からの変更の際に、奥穂高岳を選んだのには理由がある。一つは難易度が高くなく1年生も登れる上に、天候によっては良い経験ができるため。そしてもう一つは2年前のリベンジである。「気持ちが折れて歯が立たなかった」(荻原鼓十郎、政3=東京・早大学院)というように2年前の5月に同じルートで行った時には、雨にやられ頂上にたどり着くことができなかったのだ。その2つの理由から選ばれた奥穂高岳。クライミング技術の向上という目的を持ち、合宿に臨んだ。
雪をかき分け頂上を目指す
合宿初日は新穂高温泉をスタートしていきなり2400メートル地点まで登り、そこでテントを張り一泊。2日目は上級生が登りやすいように登山ルートを作るルート工作を涸沢岳の手前まで行い、テントまで戻って来た。3日目の午前は天候の様子から出発を見送り、天候が回復した午後から再びルート工作を開始。翌日の登頂に向け万全の準備を整えた。このルート工作は体力勝負。腰まである雪をかき分け踏み固め道を作っていく。さらに既にある登山用ロープは危険かもしれないという理論から自分たちで新たなロープも打ち込んでいく。この作業のため上級生はテントと涸沢岳の間を3回も往復した。一方その間に下級生は生活に必要な水を雪を溶かして準備する。こういった効率的な役割分担を行っていた。4日目はいよいよ全員で奥穂高岳に向け出発。天候に恵まれたこともあり、当初途中までを予定していた1年生の小川淳一郎(ス1=東京・小石川)を含めた参加者全員が奥穂高岳の頂上にたどり着いた。そしてその日はそのままテントまで戻り、翌日に下山した。
奥穂高の山頂に着いた山岳部
「基礎体力の向上が見られた。」(澤村隆寛、社2=群馬・樹徳)「集団生活を行う上での精神面が成長できた。」(犬塚智之、文構2=愛知・西尾)とそれぞれの部員が成長を実感。部としても「佐藤主将(貴文、文4=東京・早実)を中心に役割分担がうまくいき、チームとして良くなった。」(荻原)と大きな収穫があった冬山合宿。合宿で大きなアクシデントが一切無く、全行程を完璧にこなしたのは部としては珍しいこと。また、ことしはこれまで全ての合宿で目標を達成できており春山合宿に向けて例年以上にみなが自信を深めている。しかし、全ての合宿が成功したのは天候が恵まれていたから。悪天候の経験が少ないという不安要素も残っている。春山合宿成功のカギはこれから行う個人の山行でこの不安を拭い去ることが出来るかどうか。いまの4年生と挑む最後の合宿まで残り約2ヶ月。深めた自信とチームワークをもとに山岳部は集大成を迎える。
(記事 石丸諒、写真 山岳部)
コメント
佐藤貴文主将(文4=東京・早実)
――主将として合宿を振り返っていかがですか
達成感ありましたよ。役割を果たせていない人も多少いましたけど、それを補えるくらいの頑張りもあり、しっかり合宿をこなせました。
――全体として収穫をあげるとしたら
厳冬期の奥穂高に登れたという結果がみんなに及ぼす影響はけっこうあると思います。それは良かったです。
――下級生に関しては
1年生は強いなと思いましたね。2年生は頑張ろうという感じです。不甲斐ない人もいましたし、頑張れる人もいるのでもう少し切磋琢磨(せっさたくま)して欲しいなと思います。
――3年生に関しては
3年生には言うことなしです。
小寺凱(人4=東京・国立)
――山頂に着いた時の感想は
不幸なことにも1年生が2人参加していないので、素直な達成感とは違うかなとは思います。でも、春山に向けて一つの区切りになりました。
――いよいよ次は春山合宿です。どこに行かれるのですか
剱岳を早月尾根という尾根から目指します。難しいですよ。
――4年生としての意気込みをお願いします
春山合宿は隊としては成功させたいです。残念なことに主将が来られないので、必然的に僕が最上級生になります。ここのところ全部の合宿が順調に来ているので、隊として前向きにどんどん行ける実力はあると思います。その中で、気象が一番厳しくルートも一番難しい春山合宿ということで安全第一でできるようにコントロールしたいです。