【連載】第83回早慶レガッタ事後特集 第2回 2:小林大河

漕艇

 早慶レガッタで2番を任された小林大河(国教4=東京・早実)。高校時代から早慶レガッタに出場し、最後となることしは並々ならぬ決意を持ってレースに臨んだ。あの敗戦から約1カ月。いま振り返って何を思うのか。

※この取材は5月2日に行われたものです。

「ケイオーが速かった、ただそれだけ」

はきはきと見解を述べる小林


――早慶レガッタ当日までの過程を振り返って

観漕会(早慶対校競漕大会観漕会)でケイオーと信じられないくらいの秒差がついたんです。1000メートルで13秒、3750メートルに換算すると50秒近い差が。それもあって、ワセダが絶対勝つと言われていました。そんな中で負けてしまったので、自分たちもびっくりしました。


――戸田ボートコースでは勝てる相手に隅田川で負けてしまうという状況が3年間続いています

隅田川というコンディションが悪いのか3750メートルという距離が悪いのか、正直分かりません。ただ、早慶レガッタの1週間前にお花見レガッタというのがあるんですが、ケイオーはそれに出ていなくて、完全に3750メートルだけの練習をしていたと思うんですね。そこがワセダには足りていなかったというのはあると思います。


――レース当日の隅田川のコンディションはいかがでしたか

2年前にも早慶レガッタに出ているんですが、そのときよりは漕ぎやすかった印象があります。たぶんそれは船もあって、2年前はことしセカンドが使っていたSUMIDAという船で、あれはことし沈してしまいましたよね。SUMIDAと北斗(北斗星Ⅱ)のどっちを使うかで議論になったときに、やっぱり北斗でいこうということなって、実際に北斗で漕ぐとあまり違和感なく漕げました。そう考えるとやはり3750メートルという距離の部分で、ケイオーに差をつけられたのかなと思いますね。


――ケイオーは長距離に強い漕ぎ方をしているのですか

あんまり力強い漕ぎではないんですよね。でも、合っているんです、全員が。ワセダは力強い漕ぎなのですが、その分多少動きにずれがでてきてしまうというのはありますね。


――当日のクルーの雰囲気はいかがでしたか

最高だったと思います。


――青松載剛主将(スポ4=京都・東舞鶴)からはどのような言葉を掛けられましたか

リラックスしていつもの漕ぎで、スタート750メートルで絶対に頭を取ると。


――実際のレース展開はどのようなものでしたか

750メートルの時点で並んだんですけど、ちょっと出たところでスパートをやめてしまって、そしたらケイオーがすっと出てしまったという感じでした。もっとがっつりリードするまで勝負し続ければ良かったなと思います。


――ケイオーに予想外に前に出られたとき、焦りなどはありましたか

焦りはなかったです。1000メートルで圧勝しているということもあって、絶対に返せると思っていました。3750メートルを通して、視界に見える位置にずっとケイオーがいたんです。いまなら返せる、返せるという感じはあったんですけど、みんなでうまくまとまって一気に追い抜くということができなかったですね。


――思ったように艇速を上げることができなかったということでしょうか

自分たちはかなりのスピードで漕いでいたと思います。ケイオーがそれより速かったという、ただそれだけかなと。


早慶レガッタに懸けた思い

――3750メートルという長距離でしたが、どのようなことを考えながら漕いでいましたか

本当に、意外に短いんですよ。ずっとケイオーのすぐ後ろにいて、いつでも抜ける、よしいま抜くと考えていたら11分が過ぎ去ってしまったという感じでした。


――ゴールした瞬間はどんなことを感じましたか

また負けたか、と。みんな泣いているんですけど自分は全然泣けなくて。もう分かんないんですよね。自分は早実出身で、早慶レガッタに出たくてずっとワセダの漕艇部で漕いできて、これ5連敗目なんですよね。高校2年生の時から。もう一生ケイオーに勝てなかったのかと。悔しいというよりもなんですかね、運命にのしかかられるというような、ああ終わっちゃったか、と。


――やはり早慶レガッタに懸ける思いというのは特別なものがあるのですね

そうですね。でも今回ちょっと思ったのは、自分は早慶レガッタに対する思いはもちろん特別なんですけど、後輩の長田(敦、スポ3=石川・小松明峰)だったり竹内(友哉、スポ2=愛媛・今治西)だったりの一つの試合に懸ける思いはすごいなと。もう思いっ切りやるんですよ。それで、彼らは最後ではないのにすごく泣いていて。こいつらこれだけ頑張ってくれていたんだなと思いましたね。


――とても頼もしい後輩ですね

最高ですね。自分はことしで最後の早慶レガッタだったんですけど、ことしは4年生が3人しか乗っていなくて、6人は後輩だったので、彼らがこのレースを通じてどんなことを感じてくれたかということに、らいねんはかかっているかなと思いますね。


新体制で挑む夏

5度目の早慶戦に強い決意を持ち挑んだ


――早慶レガッタが終わりました。小林選手のいまのモチベーションは何ですか

1週間前くらいまでは、ボート乗りたくないなと思っていました。対校フォアにも選ばれたんですけど、なんか乗ってる意味あるのかなみたいな。自分は早慶レガッタに出たくて大学の漕艇部に入って、負けたら辞めてやるくらいの気持ちでやっていて、なのに負けてしまって、それで普通にただ漕いでいても違和感があったんです。でも、いまはもう単純に漕ぐのが楽しいというか、それが多分いまのモチベーションですね。楽しさと言ってしまうと何か違うかな。難しいですけど。あとは監督が交代して内田大介新監督(昭54教卒=長野・岡谷南)になって、部の雰囲気がガラッと変わって、それで気持ちも変わったというのは少しあります。


――監督が交代したのはどのタイミングですか

早慶レガッタの日です。すごく異例のことでした。岡本剛前監督(昭45法卒=大阪・上宮)がご高齢で引退ということになって、交代のタイミングはなるべく早い方がいいだろうと。自分たちは岡本監督が引退することを知っていたんです。自分は特に、早実のときから岡本監督には面倒を見てもらっていたので、絶対に勝ってやるという気持ちがありました。多分それは青松とかも同じだったと思います。彼は岡本監督とすごく仲が良いので。そういう意味では本当に申し訳ないというか、言葉では言い表せないです。


――レース後、岡本監督から何かお話しはありましたか

なかったですね。ほとんど学生とは話していませんでした。自分たちを負けさせてしまったという思いがあったのかもしれません。


――新体制となり、夏には全日本大学選手権(インカレ)や全日本選手権など大きな大会も控えています。それらに向け今後どのように過ごしていきたいですか

あと4カ月くらいしかないんですよね。ボートの練習はつらいので早く引退してしまいたいとか思うこともあるんですけど(笑)。でもやっぱり勝ちたいですね。自分は一度も日本でメダルを取ったことがなくて。なので、一番良い色のメダルを取ってみたいです。


――ありがとうございました!


(取材・編集 末永響子、写真 渡部歩美)

◆小林大河(こばやし・たいが)

 1992年(平4)9月29日生まれのO型。180センチ、65キロ。東京・早実高出身。国際教養学部4年。2013年度成績:第40回全日本大学選手権M4-6位入賞、第91回全日本選手権M4+8位入賞