【連載】『令和3年度卒業記念特集』第41回 河野翔輝/自転車

自転車

自分に厳しく

 早稲田自転車部の主将とプロ選手という、二足の草鞋を履く河野翔輝(スポ=奈良・榛生昇陽)。主将という立場でありつつ、プロとして活動することの難しさを感じながらも、チームを引っ張って来た彼の4年間、そして輝かしい未来に迫る。

 中学校まではバスケットボールに打ち込んできた河野。高校入学時に、球技以外のスポーツをやりたいと自転車競技を始める。テレビで見たツールドフランスに影響されたそうだ。奈良の強豪・榛生昇陽高の練習は、「嫌で嫌でしょうがなかった」と振り返るほど、過酷であったが、この経験が河野の才能を開花させる。記録会や大会などでも結果を残し、全国高校総体で優勝を果たす。高校から始めた競技で、見事日本一にたった。

 それでも、当初は高校で自転車競技をやめるつもりだったという。しかし、顧問から「このまま競技をやめるのはもったいない」と言われ、競技を続けることを決意する。大会での活躍がスカウトの目に留まり、複数の大学から声がかかる中、「最初に声をかけてくれた」早大への進学を決めた。知り合いもあまりいない東京での新生活であったが、住む地域が地元奈良に似ていたこともあって、過ごしやすかったという。ところが、環境の変化は、「自覚してはいなかった」というが、見えない部分で少なからず競技生活に影響を与えていた。うまくいかないことも多く、難しい1年目になったと振り返る。2年目は、心機一転、悔しさをばねに、河野は猛練習を積む。大会でも頭角を表し、「可能性を感じた」飛躍のシーズンとなった。

 試合に臨む河野

 迎えた3年目、誰も予想していなかった未曾有の事態が訪れる。コロナウイルスの蔓延だ。寮を出ることを余儀なくされ、河野も帰郷。練習を続けるも、この先の見通しが立たない状況に、モチベーションは上がらない。その結果、自粛期間が明け、大会が再び開催されるようになるが、成績は奮わず。「練習をサボってしまった部分があり、大した結果を出せなかったので、少し悔いている部分がある」と振り返る河野。期待を寄せた3年目は再び悔しいシーズンに終わった。

 一方で、そのポテンシャルからプロチームから声がかかったのもこのころだ。「本当に大学で(競技を)やめるべきかを迷っていた」と、コロナ禍で不完全燃焼になってしまった競技への思いが、河野をプロの道へと導いた。4年目には、プロとしての活動を並行して行うと同時に、主将に任命。チームの長として、そして一人のプロ選手としての二足の草鞋を履くことになった。個人としては、プロチームで実力を培い、成績も上昇。他方、主将として「チームの中で一番強い存在である」ことを掲げた上で、積極的にチームメートとのコミュニケーションをとり背中を見せてきた。この両立は、「すごく難しかった」と振り返るが、充実した1年を駆け抜けた。

 モチベーションを維持できずに、練習を満足に行えなかったことが、河野にとって4年間で一番の心残りだ。だからこそ後輩には、自分を甘やかさずに競技に取り組んでほしいという。「自分に厳しくして、苦しい思いをした結果、その先が楽になるから。今を頑張ってほしい」との言葉を残す。一方で、プロレーサーとしての先を見据える河野。その目標は、ただ一つ、パリ五輪だ。「この2年が勝負」と覚悟を決める河野の、「人生をかけた」挑戦がいよいよ始まる。早大での4年間の経験を糧に、世界の舞台へと河野は駆けていく。

(記事 髙田凜太郎、写真 ご本人提供)