【連載】『令和2年度卒業記念特集』第44回 安倍大成/自転車

自転車

銀輪とともに

 「シンプルなようで奥が深い」。自転車競技の魅力をこう語るのは、安倍大成(スポ=岩手・柴波総合)である。一人のアスリートとして、そして、チームの主将として、自転車に全てを捧げた4年間、そして輝かしくも厳しい道へ歩もうとする姿に迫る。

 自転車競技を本格的に始めたのは、高校入学と同時。地元のタレント発掘事業に参加していた安倍は、そのプロジェクトの中で自転車競技に対する適正を見だされ、サドルに跨ることを決意した。自転車競技にも様々な種目がある中で、自身が向いていると感じた短距離種目で実績を残すと、憧れを抱いていたという早大への道が開けた。

 大学での4年間を振り返り、安倍は2つの嬉しかったことを挙げる。1つは、2年次の全日本大学対抗選手権(インカレ)で優勝を果たしたことだ。川副雷斗(スポ3=熊本・九州学院)と組んだタンデムスプリントで、早大にこの種目では6年ぶりの金メダルをもたらしている。そしてもう1つは、主将として組織を動かすことを経験出来たことである。監督からの指名により主将に就任した安倍がまず目を向けたのは、チーム内でのまとまりを出すことだった。それまで、個人が別々に練習を行っていた状況を変え、チームとして統一した練習メニューを行うように改革した。チーム内での競争心を駆り立て、共に競技力を向上させるのが狙いであったと話す。

インカレに挑む安倍

 そんな安倍の、主将としての取り組みが実ろうとしていた春先、世間を新型コロナウイルスが襲うことになる。早大自転車部においても、合宿所に残って競技力向上を優先するか、解散して感染防止を徹底するかという2択に葛藤したという。結局は、状況を鑑み、解散し、各自練習というかたちをとったが、安倍は、主将として自分はどのように振る舞えばよいのか、と考えを巡らせた。「各々の状況の把握には努めましたが、あまり自分から指摘するようなことはしなかった。一人一人やるべきことは分かっていると考えていた」。そこには、難しい状況の中でもチームのために最善を尽くそうとするリーダーとしての姿があった。それでも、やはり心残りがあることは隠さない。「コロナ禍がなく、もしそれまで通りやれていたら少し違う結果になっていたかなと、やり切れたとは思っていない」と語る。

 そんな安倍が進路として選択したのは、プロスポーツの世界に身を投じることであった。日本競輪選手養成所に入所し、1年間厳しく過酷な鍛錬を積む予定だ。「競技で結果を残せる選手であると同時に、人間性でも周りを魅了出来る選手になりたい」と抱負を語る一方で、頭の中には人口減に悩む地元・岩手県奥州市の存在がある。生まれ故郷の衰退を止めるためにはどうしたらよいか、安倍が出した答えはプロスポーツ選手としてお金を集め、事業を起こすことであった。「今まで頑張ってきたことを生かしたい」。熱い思いを内に秘めた安倍がバンクで輝く姿を、心待ちにしよう。

(記事 青山隼之介、写真 菅沼恒輝氏)