競技に打ち込み続けた4年間
「競技に打ち込むあまり視野が狭くなってしまっていた」。後藤悠主将(スポ=岩手・紫波総合)は早大自転車部で過ごした4年間をそう振り返った。しかし、言葉と裏腹にそう語る後藤の顔はどこか晴れやかだ。
競技を始めたきっかけは、小学校6年生のとき。出身地岩手県でのスポーツ競技者育成事業、「いわてスーパーキッズ」への参加を通して自転車競技に出会う。面白そうだ、と1番に惹かれた。高校から本格的に競技を始め、ケイリン選手への道も考えたものの、「ワセダ」の名に憧れを持ち、声をかけられた縁や周囲の勧めもあって早大自転車部への進学を決める。地元岩手県を離れることへの不安はなかったという。
部員の個性を引き出し部を引っ張った
入学直後から頭角をあらわし、早大自転車部として初めて出場した大会では、出場大学生中トップの成績をたたき出した。「いけるかな、と思った」後藤はそう苦笑いを浮かべる。そこからの4年間は思うように成績も、実力も伸びず、決して順風満帆とは言いがたい道のりとなった。「競技に打ち込むあまり視野が狭くなってしまっていた。もっと余裕を持っていろんな分野を知って、それを競技に生かすことができたら良かったのかな、と今になってはそうおもうが、それができないままに4年間を過ごしてしまった」そう振り返った。
それでも4年時には紫波総合時代に引き続いて、主将を務めあげた。高校時代には部の体質もあり、とにかく厳しく、やらせるという意識があったが、その考えはもはや時代遅れだ、と話す。部員それぞれに考えがあって、そこをいかに部としての体制を崩さずに個人にある程度の裁量をもたせた部活にするか、と苦心した。そのバランス、調整はやはり難しく、もともとコミュニケーションが得意ではないこともあり、なかなかおもうようにはいかないこともあったという。もっとやりようがあったのではないか、と次代に期待を寄せる。孫崎大樹(スポ3=京都・北桑田)次期主将には、「とてもしっかりしていてその点で何も心配はない。広い視野をもって色々な経験をし、それを結果として競技に繋げてほしい」とエールを送った。
無事受験を終え、5月からはケイリン学校への入学が決まっている。本格的に競技を始めて8年目。若葉萌える新天地静岡で、秘めた闘志とともに薫る5月の風をきる。
(記事 中山茉優、写真 喜柳純平)