UCI公認! 神宮外苑で初パラサイクリングレース開催

自転車

 大学生のレースと同時に今回都市部におけるパラサイクリング大会が初めて実施された。このレースは今回からランキングポイントが与えられる大会として国際自転車競技連盟(UCI)に登録された。パラサイクリングはタンデム自転車(2人乗り用自転車)を使用して競技が行われる。視覚障害者の選手は後ろに乗り、前には「パイロット」と呼ばれる晴眼の選手が乗りブレーキや方向転換といった操作をする。日本選手は大城竜之(北京パラリンピック4位入賞)、葭原滋男(シドニー、アテネパラリンピック金メダル)、柳川春己(アトランタパラリンピック金メダル)という実力者の3人の選手がそれぞれパイロットと共に出場。海外からもマレーシア、ニュージーランドの選手が参戦。国際色を加え、豪華な顔ぶれとなった。レースは序盤からムハマド・アリ(マレーシア)が飛び出し、1度も先頭を譲ることなくそのまま優勝を決めた。海外勢の強さが目立ったが、唯一日本人選手で大城が先頭に食い下がり2位で表彰台に上った。

 レースは1500メートルの周回コースを16周する全長24キロメートル。序盤はけん制しあい集団のままレースは展開した。5週目にアリがアタックを仕掛け、10秒以上後続を引き離す。このアタックに他の選手が反応できないなか、大城のみが反応し果敢に前を追う。差は徐々に詰まり4秒差まで詰めたが、アリは巧みに一定のペースを刻み続け大城に追いつかせない。後半になりアリがペースを上げると、追い上げに力を使っていた大城は一気に引き離される。最後は約20秒の差をつけられ2位でフィニッシュした。「日本でやる国際レースなので1位は取りたかった」(大城)。結果は納得できないものだったが、実力は見せた。

コースを走る選手達

 大城以外の日本人選手も奮闘した。葭原は終始3位集団につけ後半までレースを進めるが、残り1周でバイクのチェーンが切れるというアクシデントに見舞われる。レースを続けるのは困難であったが、手でバイクを押して完走を果たし最後まであきらめない姿勢を見せた。柳川は序盤から遅れ表彰台を狙うことは難しかったが、自分のペースを守り走り切った。

表彰台で笑顔を見せる大城(左から2人目)

 今回は海外勢の強さが目立ったレースとなったが、日本人選手が苦戦した要因は選手を取り巻く環境も大きく関係している。パラアスリートの競技力を向上させるためには、選手が公認大会に出場し、記録更新やランキングポイント獲得を行っていくことが欠かせない。しかし国内では障害者スポーツの公認大会開催が少ないため、選手は海外へ遠征しなければならず負担は大きい。そこで、東京都は選手の負担軽減、試合機会を増やすために公認大会の増加に向けての支援を決めた。今回のレースは東京都の支援活動の1つとして開催され、UCI公認のレースとなった。日本ではパラスポーツに対する理解がまだまだ低く、東京パラリンピックに向けての準備段階に入ってるとも言い難い。「自分で東京パラリンピックに出たいと言っていても自分だけでは本当に何も進みません。やっぱり周りのサポートとかがないとなかなか難しい」(大城)。パラリンピックを目指すアスリートは練習環境や金銭的負担が大きく、競技を継続できない選手が多いという現実がある。誰もがパラスポーツに関心を持ち、五輪同様にパラリンピックが自然とスポーツの話題に上る。パラアスリートの現状を改善するためには、認知度を高める試みがなされ、そのような社会に変化することが必要不可欠だ。

 今大会では初めて障害者レースと健常者レースが一緒に行われ、東京都内ということもあって一般の人が数多く観戦に訪れた。パラスポーツに対する理解を深めるといった点で一定の効果があったことは事実だ。2020年に向けて練習環境や認知度が低いなどの問題は多数存在する。それでも少しずつこのような取り組みが増え、パラスポーツへの関心が高まっていけば3年後の東京パラリンピックで日本人選手のメダル獲得、大会後の障害者等が積極的に社会参加できる共生社会の実現にもつながっていくことだろう。

(記事 喜柳純平、写真 大庭開)

コメント

大城竜之

――今日のレースを振り返って

久しぶりにタンデムに乗り、このレースに出てみないかと1ヶ月くらい前に声をかけられました、こういったところでタンデムのレースができるってことが初めてなので非常にタンデムを知ってもらうには非常にいい機会だなと思って、出るからには一生懸命頑張ろうと思っていたんですけどやっぱり準備不足ということですね。パイロットも久しぶりに組んだので本当にぶっつけ本番の状態で、今回のレースに臨んで日本でやる国際レースなので1位は取りたかったんですけど練習不足もありますしそんなに甘くはないかなということを感じました。またしばらく最近は自転車に乗ってなかったのであまりやる気がはっきり言ってなかった状態がしばらく続いていました。また今日乗ってみて自転車で風をきるのは楽しいのでまたやっていきたいとこのレースを通じて感じました。

――レース前の戦略とかは考えてなかったですか

全く考えていませんでした。

――最近はどうして自転車に乗っていなかったのですか

そうですね。まあリオのパラリンピックの選考に漏れたということがあるのと、やはりなかなか練習環境とか仕事もやってますので、いろんな面でタンデムをやっていくのが難しいかなと感じて自分の力不足だなというのを感じてましたね。少し自転車から離れたところで自分がどう思うか、もう自然に身を任せてみようかなと思ってしばらく乗っていませんでした。

――走ってみて気持ちは変わりましたか

そうですね。やっぱり走るのは楽しいですし、1ヶ月前に声がかかってやっぱりそういった準備をしてくっていうのがまあ十分ではないんですけどそれなりの準備をしていくその過程ですね。そういったものが1日1日充実したものになっていきますので、仕事との両立はもちろんですけどやっぱりメリハリはついて何かに目標を持ってチャレンジするということはいいなと思います。だから目標設定をすることが大切かなと感じます。

――大城さんが思うパラサイクリングの魅力、楽しさはどこに感じますか

そうですね。まずは視覚障害ということですけどタンデムという乗り物によって目が見えなくても乗ることができるということですね。以前は視力障害でも20歳ぐらいのときは1人で乗れてましたので、それでレースとかも出てたのでタンデムによって再び走ることができるということ。やっぱり苦しいんですけど、レースが終わった時の達成感がやっぱり自分の原動力となり、自分を前向きに向かせてくれるっていうかそんな存在かなと思います。

――2人で息を合わせる難しさはありますか

そうですね。今回乗ってもらった高橋さんは北京の時も一緒にパラリンピックに出てましたので呼吸自体はしばらく期間空いてましたけど、いったん乗れば声のかけ方とか高橋さんも慣れてますのでその辺あまり気にならずストレスになく乗れました。

――見えない状態で乗るのは怖くはないですか

怖くはないですね身を任せてますので。パイロットの方にただ自分が一生懸命ペダルを回すってことで特に怖いとかはないですね

――パイロットの方とはどのようにしてペアになるのですか

そうですね。なかなか毎回アテネの頃から4年毎に大きなパラリンピックをスパンとしてパイロットの方が変わってきました。最近は自転車競技連盟の方がパイロットの方を探してくれるっていう場合もあります。あとは世界と戦っていくためには世界がどんどんオリンピックを降りた選手とかを前に乗せてきていますので、日本もそういった人たちに対抗するためにはやっぱりトップレベルの人たちが乗ってくれないといけませんし、なかなか自分で探すっていうのは難しいかなと感じています。

――現時点では連盟の紹介が多いということですか

そうですね。

――コースを覚えるのは大変だと思いますがどのようにして覚えていますか

実は昼頃試走ができていなくてぶっつけ本番だったので、高橋さんはここを走ったことがあるんですけど私は走ったことがありませでした。まずパレード走行でどんな感じかをつかめばこんな感じなんだというのは分かります。どこで力を入れなければならないかここは風が強いので踏ん張らなくてはいけないとかを考えながら走ってました。

――今日神宮という土地で都市型のクリテリウムが行われ、自転車に普段興味がない人でも通りすがったらレースに気づくと思います。そういう場所でレースすることに関しては何か感じるものはありますか

こういった一般の方が気軽に見えるような環境でできるっていうのは非常にタンデムを知っていただく上で大事なことだと思っております。非常にいい機会であると思います。なかなか自転車のレースは地方でやるレースが多いので、見る機会が少ないんですけどこういったところでやれば本当にすぐ都内に住んでる方は気軽に来れますので、やっぱりもっともっとこういった都心でやれるレースが多くなればいいと思います。

――パラサイクリングの普及、認知度を現状大城さん(選手)はどのように感じていますか

今パラサイクリングを応援してますというCMもありますので、非常に今認知度としては高くなっているんじゃないかなと思います。リオの都市では選手への取材とか特集とかも組まれてたりしました。実際にパラリンピックの中継も非常に多くなっているので、認知度も高くなっているのかなと感じてます。

――次の2020年東京パラリンピックがあるときにはどのくらい知られたらいいなというのはありますか

普通の自転車競技にタンデムがあること。それが普通といいますか、東京都自体がタンデム走行が出来るように変わっていかないと街中では乗れません。やっぱり街中で乗ることが知っていただく手段として必要です。何も視覚障害だけではなく夫婦で乗ったり、親子で乗ったりすることも出来ると思いますので2020年までには東京都全域でタンデムが乗れること。それがまずより知っていただくためには必要かなと思います。

――2020年に選手としてもパラリンピックを目指しますか

自分で東京パラリンピックに出たいと言っていても自分だけで本当に何も進みませんので、やっぱり周りのサポートとかがないとなかなか難しいかなと思ってます。気持ちとしてそういった環境下であればまたチャレンジしたいなという気持ちはあります。今日もこうやって乗る機会を与えていただいてやっぱりできれば目指したいなとは思いますね。だけど非常にいろんな問題があるかなと思います。