【特集】卒業記念対談 青木泰達×関啓介

自転車

 全日本大学対抗選手権総合6位に食い込むなど、昨年は好成績を残したワセダ。そんな自転車部の躍進を影で支えていた男たちがいた。青木泰達(社=東京・九段)と関啓介(スポ=香川・高松)。青木は早スポ記者、関は選手からマネジャーに転身したという、変わった経歴を持つ。青春をマネジメントに捧げた二人は、いったいどのような思いで自身の役割と向き合っていたのか。胸中に迫った。

※この取材は2月16日に行われたものです。

「なんか面白いやつが来るぞ、みたいな感じでした」(関)

途中入部ながら、部のために尽くした青木

――マネジャーの仕事とは、どのようなものなのですか

青木 ざっくばらんに言ったら選手のサポートですね。普段やっているのは試合でのサポートで、あんまり練習には行かないんですけど、試合で選手のサポートをして、彼らの負担をなくすっていうのが一番の仕事です。僕たちはマネジャーの仕事に加えて学連っていうのもやっていて、大会運営を担ったりしていました。

――マネジャーをやる上でのモチベーションは何でしたか

 やっぱり選手が走っている姿を見ると、熱い走りをする選手に対してサポートしてあげたいなっていう動機が出てくるというか、そういうのがありますね。例えば、すごい良いタイムで走った選手とか、大会で面白い走りをする選手とか。そうなると、ファンじゃないですけど、そういう感じでサポートしてあげたいなという気持ちになりますね。

青木 自分が選手のために尽くすことで選手に感謝されたってことが一番いいことで、試合とかで勝ってくれたときとか自分も少し貢献できたかなって思えたりしますし、それこそ啓介(関)がいったように、仲間の勝利とか仲間の走りを見るのが一番のモチベーションですね。

――そもそも、なぜマネジャーになろうと思ったのですか

 自分は親に部活を辞めるなって言われたので、マネジャーに(笑)。できることないかなと思って、せっかく入った部活ですし、ここでやめるのももったいないっていうことで自分なりにできること探していこうかなっていう。最初はそういう感じで始めました。

――部活を辞めたくなったことがあったのですね

 選手を辞めるっていう決断を2年の終わりにしたので、このまま選手以外の存在で残って、何か自分ができることはあるかなって考えると、そのときは他に自分の好きなことをした方がいいのかなって思いました。

――自転車に乗るのが嫌になってしまったのですか

 自転車乗るのは結構好きなんですけど、まあ限界ですね。見極めたんですよね(笑)

青木 見切りをつけたのね(笑)

 そうね(笑) 

――青木さんはなぜ自転車部に入ったのですか

青木 僕は1年のとき早スポに入っていたんですよ(笑) もともと大学入る前から自転車部に入ろうって思っていたんですけど、早スポに入ってて、取材とかしていく中で、より一層この部で一緒に戦いたいなっていう気持ちが強くなって1年の冬に入部したっていうのが理由の1つです。マネジャーになったきっかけは、選手としてやっていく自信がなかったっていうのが1つありますね。浪人していて体力もだいぶ落ちていましたし。かつ、自分は相手のために尽くすというのは元々好きだったので、自分の特技を生かして自転車部の勝利につなげたいなって思ったのがマネジャーになった理由です。

 懐かしいよな。(青木が)寮に来たときのこと。

青木 あー、あれね(笑)

 駅まで送ってさ。次の電車まで話す感じになってさ(笑) 金がないみたいな。

青木 ロードバイクって高いじゃん。金銭的な都合でね。

 相談して。

青木 相談して、1年の間にお金稼いで2年になったら入ればいいんじゃないみたいな話だったよね。武蔵大和の駅、懐かしいよね(笑)

――なぜ、最初から自転車部に入らずに、早スポを経由したのか詳しく教えてください

青木 30万、40万の自転車買うお金がなくて、それで1年生でお金稼いで2年から入ればいいんじゃないっていう。元々スポーツ観るの好きだったから、早スポもいいなっていう気持ちもあって。1年間楽しくやらせてもらったんですけど、逆に自分が自転車部にいきたいっていう中途半端な気持ちでやっていたらみんなに迷惑だなってなって辞めたっていうのは1つの理由ですね。

――早スポから自転車部へ移るというのは大きな決断だった思うのですが、所属団体を変えるにあたって悩んだことはありましたか

青木 早スポの仲の良かった同期と焼き肉行ったときに、「辞めんの?」って聞かれて、「辞めるよ」って言って、「じゃあね」って(笑)

一同 (笑)

青木 そんな感じ(笑) 引き止めじゃないけど、「良く考えた方がいいんじゃない」って言われたけど、自分が決めたことだしそういう気持ちがずっとあったから。そのままいたら申し訳ないなっていうのもあったし。

――関さんは、なぜワセダに入ろうと思ったのですか

 親の勧めですね。

青木 全部親の勧めじゃん(笑)

 すべて僕は親に勧められた道なので。まあ、その中で何するかっていうのは自分の勝手じゃないですか。その中で工夫してどれだけ生活を充実させられるかっていうのが4年間の目標でしたね。

――高校のときから自転車には乗っていたのですか

 高校のときは野球部でした。小中高ってずっと野球していたので。

――なぜ自転車部に入ろうと思ったのですか

 元々野球をずっと続けようかなって思っていたんですけど、浪人したので。浪人の1年間があることで、野球の練習ができないだろうなって思ったんですよ、浪人が決まったときに。でも、そうなったときに1年間何もしないっていうのはちょっと寂しいなと思って。何かできること探していたら、親が塾までの距離結構あるし、良い自転車買ってあげるよって。そのときにロードバイクを買ってもらって、走り始めたっていうのがはじめですね。乗れば乗るほどママチャリとは全然違うスピードで走れるので。

――青木さんはなぜワセダに入ろうと思ったのですか

青木 元々スポーツが好きで、首都圏の大学でなんでもスポーツが強い大学と言えばワセダっていうイメージがあって。他にも、熱い大学だなっていうイメージもあって、行きたいなと思って入りました。まあ、元々慶應行きたくて、落ちたんですけど(笑)

――青木さんは途中入部ということでしたが、馴染めましたか

青木 早スポやってたときに結構自転車の取材に行ったので、そこまで高いカベはなかったですね。

 最初話聞きに来た時点で、もう話題になってました(笑) 1年の冬になったときに「あいつが来るぞ」みたいになってて(笑) 良く言ったら歓迎みたいな感じになっていたんですよ。なんか面白いやつが来るぞ、みたいな感じでした。

――最初の出会いは早スポの取材ですか

青木 いや、1年の4月だね。4月に自転車部入ろうかなと思って寮まで話を聞きに行って。

 「お前1年生で同級生だし送っていけよ」って先輩に言われて。

青木 で、駅のホームで話したっていうのがはじめですね。

――そのときの印象はいかがでしたか

 こういうフレンドリーな感じじゃなくて。

青木 もっとカベあったよね(笑)

 「あ、そうなんですか」みたいな(笑) ちゃんと丁寧に相槌打って、相手を見ながら喋ってました。今はこんな感じですけど(笑)

――青木さんからインタビューを受けたことがあるということでしたが、振り返ってみていかがですか

青木 一通り台本通りのこと聞いたね(笑)

 そんなにインタビュー慣れもしていなかったので、面白いことも言えず、普通に終わって、普通に記事書かれました。で、1回くらい記事を見て、もういいやって(笑) あんまり興味ないんですよね。自分がどう書かれるかっていうのよりも、自分がどう思うかっていう方が気になるので。

「仲間とともに日本一を目指す、とても良い4年間でした」(青木)

自転車部で過ごした日々を振り返る関(左)と青木

――マネジャーとプレーヤーの関係はどのようなものなのでしょうか

青木 自分はあんまりそういうのは意識せずにやっていて、どっちが上とか下とか意識せずに、同じ部の一員で戦うやつを支えるみたいな感じで自分は考えています。

――マネジャーは女子が多く、男子マネジャーという存在は珍しいように思われるのですが、いかがでしょうか

青木 その文化は古いよね(笑)

 その文化は日本だけのような気がするんですよね。でもまあ、男子のマネジャーからやってもらうのってあんまり経験がないじゃないですか。確かに選手によっては、女子のマネジャーに何かやってもらうって方が自然な感じでサポートしてもらえるっていう人もいると思うんですけど、でも、良いところと言えばそのくらいじゃないですか。

青木 力仕事とかになるとやっぱり男手が必要になったりするんで。

 自転車を6台とか運んじゃうもんね。しかも傷つけないように。

――マネジャーは大変な仕事だと思うのですが、仕事をこなす上での悩みはありましたか

 誰でも思うと思うんですけど、自分が動くことによって、チームにどう影響しているのかなっていうのをよく考えますね。自分が何かをやった結果、チームにどう勝利につながったのかっていうのを考えて。例えば、学連にいっただけでチームの勝利につながるかっていうと、直結はしないと思うんですよ。でもまあ、自分ができることをちゃんとやってたら、何とかなるだろうと思っています。

青木 選手と結構話すんですけど、どう声を掛けたらいいのか分からないときがあって。ロードとかで完走できなかったときに、話掛けた方がいいのかとか。逆に、話掛けなくても重い空気が流れるじゃないですか。「おつかれさん」とか言っても「完走してないですよ」みたいになるから、選手が悔しい思いをしたときに自分が相手のためになれなかったときが一番嫌でしたね。

――逆に、うれしかったことは何ですか

 4年間で一番うれしかったのは、龍さん(佐々木龍、平25社卒)と今井さん(今井一誠、平25社卒)がタンデム(2012年全日本大学対抗選手権のタンデム・スプリント)で優勝してたことですね。スタートのときに僕が後方を押してたんですけど、それもあったし、優勝したときに校歌が流れて。それ聞いたときは本当に感動しました。お台場の試合で上に上がれずに結局インカレ(全日本大学対抗選手権)出れなかったんですよ。出場権がなかったので(※インカレのロードはクラス2以上の選手にのみ出場権が与えられる)。1週間も鹿児島行って、選手なのになんでずっとサポートしているんだろうなってときに、最後報われたっていうか。

青木 僕は3年の大町美麻ロード(2014年、全日本学生RCS第4戦・大町美麻ロードレース、クラス3)で同期の井上渓太(スポ=東京・早大学院)が優勝したときですね。彼も1年の春から入ったわけじゃなくて遅れて入った組で、一緒に春合宿から頑張ってきてそれで夏の大会で優勝してくれたっていうのが一番印象に残っています。ちょっと自分に重ねた部分があったっていうのがうれしかった要因ですね。あと、手嶋(手嶋将大、スポ4=千葉・国分)が2014年の東京六大学対抗競技会の1kmタイムトライアル(TT)で優勝したときかな。俺は、とりあえず手嶋が好きなの(笑)

一同 (笑)

青木 手嶋と結構仲が良いっていうのがあって。まあ弟みたいな存在ですかね。手嶋がTTで自己ベスト出したときはうれしかったですね。普段から手嶋とは部活以外でも仲良いので。キャンパスは違うんですけれども、食事に行ったり、MYNXっていうチアダンスサークルの講演を一緒に観に行ったりしていました(笑)

 よく飯行くもんね。後輩よく飯に誘うんですよ。羨ましいなと思うくらい誘うんですよ。

青木 まあね(笑) マネジャーって負担を減らすっていうのはさっき言ったけど、身体的な面だけじゃなくて精神的なストレスも減らしたいなと思っていて。例えば、試合前とかに緊張をほぐすみたいな。「青木さん来てくれたから緊張しなくなったので良かったです」って手嶋とかが言ってくれて、精神的な面で支えられたっていうのは良かったですね。

 飯行くってめんどくさいじゃん(笑) 話もしないといけないしさ。絶対一人で食べた方が気は楽じゃん。なのにそこをあえて後輩を誘ってさ。でもさ、それが楽しいんでしょ?

青木 いや、でも来させるから(笑) 馬場に。

 お前自分も満足したいから来させるわけ?(笑)

青木 いや、そういうわけじゃないよ(笑) 後輩と距離を詰めたいと思って。部活以外で接することで分かることもあったから。

――自転車部で過ごした4年間はいかがでしたか

青木 先輩とかOBの方に怒鳴られたりとか、正直嫌だなって気持ちにもなったりしたんですけど、でもやっぱり負けず嫌いな性格っていうのもあるし、我慢することや、相手のために尽くすっていうことを経験できたので、良かったと思います。仲間とともに日本一を目指す、とても良い4年間でした。

 神宮の大会に対外選手が来るんですよ。そのアテンドをしたっていうのが一番印象に残っていますね。雪降り過ぎて試合なかったんですけど。お客さんだから、食事や観光の世話をするんですよ。それが楽しかったですね。英語力も上がりました。

――4年間で得たものはありましたか

青木 周りのことを考えるっていうことですかね。自分のことだけ考えていても意味はないし、チームで勝つっていうのを目指していく以上、やるのはもちろん選手なんですけど、選手にどうしてあげれば彼らは力を発揮できるのか、ただ単にサポートだけってことじゃなくて、マネジャーとしてできることは常に何があるのかってすごい考えてきました。それこそやろうと思えば仕事はいくらでもありましたし。得たものは、広い視野で周囲を見渡すみたいな、そういうところですね。

 選手辞めてマネジャーになったことで、まだまだ自分やれるなっていう自信が付きました。選手辞めたのは限界感じたからなんですけど、選手辞めてマネジャーになって何年かやると、まだ自分やれるなっていう。まあ、自転車じゃなくて、他のことですけど。まだ自分やれるなっていう漠然とした思いが得られたものというか。

――お二人にとって自転車部とは、どんな場所でしたか

青木 監督(鈴木芳文監督、昭42商卒)とか、自分がずっと過ごしてきたということで思い入れの強いところではありますし、あとは困ったときにいけるっていうのもなくはないかなって思っていて。困ったときにいろいろ助けてくれる場所ですね。逆に、おこがましいけど、助けてあげるって思っています。みんなでともに学びっていう、そういう感じかな(笑)

 入って良かったんじゃない、って感じです。振り返れば。まあでも、謝恩会とかあったんですけど、学生としているのも最後だなと思うと、考えるものはありましたね。

――卒業が迫っていますが(※取材は2月16日に行いました)、どのような心境なのでしょうか

青木 本当に良い4年間だったので、卒業するっていうのは寂しいですけど、今度は自分もOBの方々のように自転車部を支えていく番だなって思ったので、ここからしっかり頑張っていこうと思います。

 自分はもうこっちには残らないって決めたんで、やっぱり所沢キャンパスに行くのもほとんどないし、馬場の街を見るのもほとんどないって考えると名残惜しいなっていうところがあるんですけど。またもう一回くらい帰ってきそうな気はしますけどね(笑) 何かしらで、早稲田の方に。そういうのを感じますね(笑)

青木 予感(笑)

 これだけで終わらないなって。まだ何かある(笑)

――進路は

青木 自分は一般企業です。

 自分は空の方で働く国家公務員か、香川県で教員として働くかです。教員採用試験まだ受かっていないので、正式ではないんですけど、その2択ですね。航空自衛隊か教員です。でも、今は教員の方がいいかなって。親がそっちの方がいいんじゃないかって。全部親です(笑)

――卒後は学連にも顔を出すのですね

青木 行けたら行くって感じね(笑) 結局行かないやつ(笑) 時間さえあればいこうかなって。

 行ければって感じですね。

――同期の存在はどのようなものでしたか

青木 同期がいる中で戦えたっていうのはでかいよね。みんなで補って自転車部っていうのを作り上げたなっていうのはあるので、そういう意味ではかけがえのない存在でした。

 自分も舞ちゃん(山田舞、文=神奈川・横浜雙葉)が一緒に入ったんですけど、やっぱりあんまり女子マネジャーと接するのにあんまり慣れていなかったので、あんまり仲良くもなかったかな。舞ちゃんもあんまり話す方ではなかったので、仲良いなっていう感じではなかったんですけど、泰達(青木)とか渓太(井上)とかが入ってくれてやりやすくなったなっていう。実家に帰っても親とか妹から「楽しそうだな」って言われることが結構多くなって、それも部活が楽しいというか、こっちの生活が充実してるからじゃないかなと思います。めっちゃ帰りたかったんですよ。

青木 実家大好きだからね(笑)

 今もそうだよ(笑) あっちにしか居場所がないと思っていたから。暇さえあれば帰りたい帰りたいって。でも、なんかもう、慣れたっていうのもありますけど、(青木と)一緒にいろんなところ歩いたりとか飯行ったりとかして。まあ、一番仲良いんじゃないですか。こっちでできた友達の中で。

青木 基本一緒にいたから、周りの人たちからは疑惑とか掛けられたりしたしね(笑)

 広く浅くじゃなくて深く関わってたからね。

――同期に言いたいことはありますか

 コップのフチ子って分かりますか。渓太(井上)はあのシリーズが好きなんですけど、まだ渡せてないんで、いつか渡したいなと。

青木 そういうことかよ(笑)

 舞ちゃんはもう少し話したかったなって。なんか、あっさりしてたんですよ。

青木 こってりじゃないからな、俺らみたいに。

 こういうだるい感じが苦手というか、舞ちゃんもあんまり慣れてないっていうのがあるんで、こういう感じでカベなく話せなかったのが心残り。

青木 渓太(井上)に対しては、途中入部ということで一緒に頑張ってきて良かったって。

 舞ちゃんは?

青木 いや、同意見だよ(笑)。カベがあるって。他の部員ほど上手く接せられなかったけど、同じマネジャーとしてやってこれて良かったなって思います。

――お互いはいかがですか

 言うことないですね(笑)

青木 分かってるから。

 ニコイチみたいなことも言われたし、二人で一つというか。直接的に悪い面を補ってるみたいなところはありますね。お互い。

青木 そうだね。

 だから、すごいやりやすいんですよ。フォロー入れてくれるんですよ。

青木 いや、でも自分もそうだね。啓介(関)がいたから普段やれないことを気軽にできたりとか。啓介がいることによって人と接するのが楽になったりとか、そういうところはあります。

――後輩に言いたいことはありますか

青木 感謝の気持ちを忘れないってことですね。いろんな人への。OBの方とか監督とか、いろんな方の支えがある中でできてるっていうのを常に忘れないでほしいなっていうのはありますね。大会にしても、学連はほぼボランティアでやってるんで、そういう人に対する気持ちとかもなるべく持って欲しいなって思います。

 土日返上だからね。OBの方々なんですけど、土日に朝イチで大会に行って、月曜からまた仕事みたいな。

青木 自転車のために献身的になって下さったと思うので、やはりそういう方々への気持ちを忘れないでほしいというのが率直な気持ちですね。

 真面目な話、事故には気を付けて、ですね。何があるか分からないですよ。

青木 一生歩けなくなることもあるしね。事故で。

 あとは、もう少し幅を広げて欲しいなって。何をするにしても。自分の走りの幅を広げたりとか。まあ、自転車に限らず、人と接したりもそうですけど。ここに線を引いてっていうのをもう1つ上に上げてみたりとかっていうところですね。

――ありがとうございました!

(取材・編集 佐藤諒)

色紙に思いを書いていただきました!

◆青木泰達(あおき・やすたつ)(※写真右)

7月4日生まれ。A型。東京・九段高校出身。社会科学部。持ち前の明るい性格で、対談を盛り上げて下さった青木さん。しかし、その一方でマネジャーという役割に対する熱い思いを吐露する場面も。部員や部への愛は人一倍です!

◆関啓介(せき・けいすけ)(※写真左)

11月17日生まれ。B型。香川・高松高校出身。スポーツ科学部。自分の世界を持つ関さん。自然と聞き入ってしまうような、不思議な話術に記者も引き込まれてしまいました。こうしたミステリアスな魅力で、部員の心をつかんでいるのかもしれませんね!