【連載】『令和2年度卒業記念特集』第46回 伊藤万貴/航空

航空

激動の4年間

 「激動の4年間だった」と自らの航空部での競技人生を振り返ったのは、主将としてチームを引っ張ってきた伊藤万貴(教=東京・早実)。事故後初の代に入部し、2年時には全日本学生新人競技大会で個人と団体で優勝した。3年の2月に伊藤も出場していた早慶戦がコロナウイルスの影響で中断し、それ以降の大会は中止になった。伊藤の最後の1年でも軒並み大会は中止となり、出場は叶わなかった。そのような中で主将は何を航空部に遺していったのか。

 中学生の時からパイロットに憧れていてどうしても空を飛びたかったというきっかけで早大航空部に入部した伊藤。「事故後初の代で入部し、安全第一を関係者全員が再認識した。訓練では安全対策が迷走することも多々あった」という期間を経て全日本学生新人競技大会では個人と団体で優勝を成し遂げた。入部してから「自分は航空部のために、今訓練の中で何ができるか?何をできるようになる努力をするか?といった探求心を持って臨んだ」と高い意識をもって日々の練習に臨んでいた伊藤の優勝は当然の結果だった。「雲の動きや鳥の飛び方、他機の動きを観察することが重要になる。そのため、集中力は常時切らさず焦ったり、イライラしたりといった判断を誤る感情をなだめ、冷静を保つことを大切にしていた」と集中力と冷静さを特に大切にしていたという。

グライダーに乗っている伊藤

 どんどん実力をつけていった伊藤は「先輩方が築いてくださった部活で絶対に全国制覇、早慶戦優勝をするとともに、事故を再発させないためにチームを牽引(けんいん)していきたい気持ちを強く持っていた。また、航空部のモットーである「全員がパイロットであり主役」ということから私一人の力ではなく部員全員が主体的に活動できる組織づくりをしたい」という理由で主将になることを決意した。そして伊藤は主将をやる上で、「リーダーシップということを行動や言動から学び、堂々と立ち振る舞い早稲田大学航空部主将としての威厳を感じさせられた。そして何事も1番を目指し、部員に背中で安心感を与える力を学んだ」とさまざまなことを学んだ。そしてその前主将の背中を追いかける形で伊藤がチームを引っ張っていく。

 「柔軟かつ迅速な運営と常勝早稲田の文化を伝統化する」を目標に掲げ、新体制が動き出した矢先にコロナウイルスの影響で活動ができなくなった。部員同士会えず、練習もできない日々の中、モチベーションを保つため、部員全員にメッセージを書き主将として全員のケアをした。また会計状況を見直し部員全員で費用対効果を考えるきっかけを作り、運営面にも力を入れた。「陰ながら航空部を支えてくれる本当の空の男達といった存在。周りを見ながら、多種多様な仕事をこなし当たり前の訓練を成長させてくれた」と伊藤が語る同期と共に活動再開後、チームを引っ張っていった。練習の成果を発揮し、大会での勝利を目指していたが、残念ながら大会は開催されなかった。「言葉では言い表せないくらい悔しかった。大会にかける思いが強い代であったこともあり、大会に関しては悔いが残る」と悔しさをにじませた。

 伊藤は卒業後、競技は続けないが趣味としてグライダーを続けていく。「私も後輩達の豊かな経験と航空部活動が過ごせるよう尽力していきたい」と航空部をサポートしていくそうだ。「後輩には主将として大会勝利といったかっこいい姿を見せることが出来なくて申し訳なかった。この1年間の活動は長い航空部の歴史の0.1にも満たない出来事であり偉業を残すことできなかった。しかし、この1年間は今後の航空部が偉業を残すための大きな礎になったに違いない。来年、再来年どんな状況になっているかは分からないが、決して無駄ではないと思って航空部活動を楽しんでほしい」と後輩へ言葉を残した。特別なシーズンとなった去年は、練習が十分にできず、また大会ができなくて複雑な思いがあっただろう。そのような中でも伊藤は「今年大会で結果を残すことが出来なくても来年以降の後輩たちのより良い航空部活動の発展に貢献できると思い心を鬼にして牽引(けんいん)した」と下を向くことなくやるべきことを全うした。伊藤やその他4年生が遺していったものを後輩が受け継ぎ、航空部は歩みを進めていく。

(記事 小野寺純平、写真 早稲田航空部提供)