私だけの道を行く
女子でありマネジャー、そして主将という今までにない大役を全うした能登。同期のいない中での葛藤は彼女に大きな成長をもたらしてくれた。そんな彼女の歩んだ4年間を振り返る。
彼女が入部した理由はボクシング好きだったからというわけではない。本人は笑って語ってくれたが、「新歓の時、勧誘で声をかけられて」というのが彼女のボクシング部に入ったきっかけだ。その後、部のPVを見たり、ボクシング場で選手と会話したりする中で部に入る決意が固まっていったという。
1、2年では先輩に頼ることも多く、責任の多い仕事はあまりしていなかった能登だが、2年の終わりに転機が訪れる。今まで多くの仕事をこなしていた先輩マネジャーが卒業したのだ。同期のいない彼女はそれまでとは比にならない仕事量や責任に苦しんだ。「辞めたいとコーチに言ったことがある」と当時のことを語ってくれた。悩んだ末、彼女は先輩に相談した。しかし、先輩からは「辞めれば」と意外な言葉が返ってきた。がんこでわがままだという彼女はこの言葉で火がついたという。
早慶戦後の集合写真
そこからは怒涛の2年間だったという。仕事量や重要度が増したことによる忙しさで飛ぶように日が過ぎていった。また、3年になり、主将という立場になったことで責任はさらに増した。また、マネジャーであり主将でもあることは彼女を悩ませた。「試合に出ていない私が選手の気持ちを完璧に理解することは出来ないから、負けた試合の後どうフォローしていいか分からなくて困った」と言う。だが、彼女は逃げなかった。他の誰よりも重い責任と仕事量をこなしていくうちに彼女は大きな成長を遂げた。「人よりもやることが多かったから何倍も速いスピードで成長できた。処理能力も格段に上がったし、そこは同世代には負けないかな」と本人も語ってくれた。また、マネジャー業については「一人がいいって子もいるし、慰めてほしいって子もいるから」と、個人個人に寄り添うという自分なりの形を見つけた。それはマネジャーであり、主将であるという彼女だからこそできた形である。
「この部の特色は自由だから後輩には自由に自分のやりたいボクシングをしてほしい」と語ってくれた。自身も必要のないと思ったルールなどは取っ払ってきたという能登らしい言葉だ。卒業後は地元で就職して趣味である旅行をするのが楽しみだという。彼女ならば自分なりの道を見つけ突き進んでいくのだろう。
(記事 中嶋勇人、写真 芦澤りさ)