届かなかったあと1点…松山恭、全日本連覇ならず

フェンシング

 全日本選手権(全日本)決勝。対戦カードは松山恭助(スポ3=東京・東亜学園)対西藤俊哉(法大)。スコアは14−14。次の一本を取った方が、ことしの全日本覇者となる。勝者は昨年王者松山恭か、初優勝となる西藤か。Prêts? Allez!(準備はできたか?始め!)試合の行方を固唾(かたず)をのんで見守る会場に、審判の声が響く。そこから1秒もたたなかった。西藤の得点を示す赤色のランプが点灯し、相手側のピストが鮮やかな赤に染まった。

 「自分のやりたいことをプラン通りにやれた」と自身も語るように、前半は終始松山恭のペースで試合が進んでいた。先制点を獲得すると、そのままの勢いに乗り相手の反撃を許さない。得意とするジャンプして相手の背中を突く技も繰り出され、一時は9−1と大きくリードを広げた。このまま松山恭優位の状態で試合が進むと、会場にいる誰もが思っただろう。だがここから、西藤の猛反撃を受けることになる。まず2点目を奪われて連取が途切れると、「勝ちを急ぎすぎて、受け身になった」と徐々に流れが相手に傾いていった。何も失うものがない西藤と、じわじわと追い詰められていく松山恭。6連取を許し、点差は2点に縮まる。「2点差があったのに、全然勝っている気がしなかった」。松山恭に焦りが見え始めた。その後2点を奪い返したものの、すぐに4連取され、遂に8点あったリードがなくなった。11−11。振り出しに戻った状態で、第1セットを終えることとなった。

決勝は準決勝までと雰囲気が一変し、会場の照明が落とされた状態で行われた

 迎えた第2セットでは、一進一退の攻防が続いた。松山恭、西藤。松山恭、西藤。松山恭、西藤。1点をもぎ取っても、すぐまた1点を奪い返される。お互いが1点ずつ得点する状況で、なかなか相手との点差が広がらない。そして勝負は昨年の決勝同様、最後の一本に委ねられることとなった。これまであまたの試合で制してきた一本勝負。この一本を決めれば、全日本連覇が決まる。運命が決まる。勝負の開始を告げる合図があったその直後、西藤の剣が松山恭の腹部を突いた。マスクを脱ぎ捨て、喜びの雄たけびをあげる西藤。その西藤から背を向け、悔しさを顔いっぱいににじませる松山恭。一度つかみかけた全日本連覇の夢は、松山恭の手からするりと落ちていった。

敗北が決まった直後の松山恭

 ことしは松山恭にとって苦しい一年だった。日本代表のチームメイトである西藤、敷根崇裕(法大)が世界選手権で表彰台へと上る中、松山恭自身はなかなか思うような結果を残せない。一年間の有終の美を懸けて臨んだ全日本でも、結果は無念の2位。「今まで生きてきた人生の中でも、そしてフェンシング人生の中でも、ことしは本当に間違いなく一番きつい年でした」。代表チームの後輩たちが実績を残していくのをキャプテンとして見ていく中で、生まれる焦りや葛藤もあったかもしれない。しかし、この一年続いた逆境を力に変えていく、それができるのが松山恭助という男だ。もがき苦しんだ経験を必ず力にする。積み上げてきた努力は、己の実力となって、松山恭と共にある。May the force be with you――.つらく苦しかった2017年を原動力として、これからも松山恭は表彰台の頂点を目指し世界と戦い続けていく。

(記事 藤岡小雪、写真 加藤佑紀乃)

※フルーレ:頭・両足・両腕を除いた胴体部への突きのみが得点となる。 両者がほぼ同時に突いた場合は、どちらの攻撃が有効だったかを主審が判定する。また、先に攻撃をした方が「攻撃権」を持ち、防御側は攻撃を防御してから攻撃しなければならない。

結果

▽男子フルーレ

松山恭助(スポ3=東京・東亜学園) 2位

2回戦:○15-5 飯村一輝(龍谷大平安中)

3回戦:○15―8 安部慶輝(拓大)

準々決勝:○15―13 野口凌平(法大)

準決勝:〇15-5 鈴村健太(法大)

決勝:●14-15 西藤俊哉(法大)

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コメント

松山恭助(スポ3=東京・東亜学園)

――率直な今のお気持ちをお聞かせいただけますか

連覇を逃したというのと、負けたことによるショックが今は大きいです。

――決勝はお互い手の内を知っている状態での戦いとなりましたが

前半の戦いは、自分のやりたいことをプラン通りにやれました。ただ後半は自分が逆に消極的になってしまって引いてしまった分、相手に流れをつかまれてやられてしまったので、自分の中では自滅したという思いがあります。

――最大で相手と8点差がついていましたが、油断のようなものは

いや、油断はしていなかったです。自分としては、あのまま15−1で倒せる試合だったと思いますし。油断というよりは、勝ちを急ぎすぎたというか。それで少し受け身になりすぎたというのはあります。

――終盤で連取される場面が続いたのも、受け身になってしまったからということでしょうか

そうですね。自分は受け身になっている一方で、相手は点差があったから開き直ってやるしかないという状況になっていて。それで相手が思い切ったプレーをしたことで、徐々に相手の流れになってきて、「いけるんじゃないか」という思いをもたせてしまったというのがありました。やはり自滅して相手に流れがいってしまったかなと思います。

――点差が縮まっていくにつれて、精神的に焦りなどはありましたか

そうですね。2点差で勝っていたんですけど、全然勝っている気がしなくて。もっと早い段階で手を打たなければいけなかったなと本当に思いますし、そこが今回見えた新しい課題だったと思います。負けという結果についてはすごく反省していますが、この悔しい経験はポジティブに捉えて、今後に生かしていけるようにしたいと思います。

――ラストは14−14の一本勝負だったと思いますが、そこで一本を相手に取らせてしまった理由としてはなんだと思いますか

後半の流れがとにかく悪くて相手にいっていて、相手は思い切ってやることだけが多分あったと思うんです。自分は消極的に、受け身になっていたので、14−14の時もそういう部分が出てしまったと思います。

――ことしから決勝のみ別日となりましたが、やはり調整が難しかったですか

それは大会前から思っていたんですけど、今回は比較的にうまくやれたと思いますし、調整が敗因ではないと思いますね。

――決勝から会場の雰囲気がかなり変わったと思うのですが、プレーヤー側から見てやりやすさ、やりにくさなどはありましたか

最初の方は全然なかったんですけど、点数を取られて相手に流れがいっている時は会場の雰囲気に圧倒された感じはしましたね。

――今回改めて対戦して、西藤俊哉(法大)選手は強くなったと実感することはありましたか

それに関しては、もっと前の段階からありました。きょうに関しては、先ほども言ったように自分で招いてしまった結果だと思うので、もちろん彼も強かったんですけど、どちらかといえば自分から崩れたという方が大きいです。

――ことしは日本代表のチームメイトでもある西藤選手や敷根崇裕(法大)選手が世界を残した一方で、松山恭選手自身はなかなか思うような結果を残せない部分があったと思いますが、それに関して今何か思うところはありますか

ことしは本当に苦い経験ばかりで…。きょうは最後いいかたちでことしを締めたいと思っていたんですけど、ああいうかたちで最後を終えてしまって。ことし1年は我慢の年というか、つらい経験もすごく多かったです。今まで生きてきた人生の中でも、そしてフェンシング人生の中でも、ことしは本当に間違いなく一番きつい年でした。こういうことがあって初めて五輪のタイトルなどにつながってくると思いますし、毎年いい(結果が出る)とは思っていないので…。ことしはそういう年だったのかなと思います。

――今回もベンチにはお兄さんである松山大助(スポ5=東京・東亜学園)選手の姿がありましたが

自分のことを一番よく知っている人だと思いますし、そういう人が(ベンチに)いてくれるというのは大きかったと思います。兄が大学最後の全日本(全日本選手権)だったので、優勝した姿を見せられなくて悔しいですね。

――今後もベンチにはお兄さんが入られるのですか

国内試合については、毎回とは言えないんですけど入る機会はあると思います。

――最後に今後どのような選手になっていきたいか、お伺いしてもよろしいでしょうか

僕の目標は五輪で優勝することなのですが、今は早大の学生として戦っているので、早大のフェンシング部員の模範となるようなフェンシングをしていきたいです。上級生なので、彼らを私生活などいろんな面で引っ張っていけるような選手になりたいと思います。