突如、新星が現れた。
ことし1月ドイツW杯で、シニア参戦2戦目、当時の世界ランキング1000番台の選手が表彰台に上った。その名は『KOKI KANO』――。早大を1年時から引っ張り続けるエース加納虹輝(スポ2=山口・岩国工)、その人である。そこから快進撃は続いた。それから1週間後のヘルシンキジュニアW杯では初優勝を飾り、さらに5月のフランスW杯でシニア2度目のメダルを獲得。この半年間で世界ランキングは22位まで上昇した。そしてこの夏、世界選手権に初出場する。
躍進と呼ぶべき半年間を振り返り、さらにはフェンシングとの出会いや「第二の故郷」と話す岩国市への思い、3年後に迎える五輪のことまで伺った。
※この取材は6月26日に行われたものです。
「競って当たり前」という考えを軸に
にこやかな表情で取材に答える加納
――ことし1月のドイツW杯で3位に入りました。その時のことを改めて振り返っていかがですか
1日目に予選プールと予備戦というベスト64までを決めるトーナメントをやって、2日目からベスト64以降をきめるトーナメントが始まるのですが、参加人数も300人くらいで多く2日目のベスト64に残ることがすごく大変な大会でした。だからまずベスト64に残るというのが自分の目標でした。まず2日目に残れて、ほっとした状態で気楽な気持ちで挑んだのですが、結構力が抜けていたというのもあって勝ち上がっちゃって3位までいけたというかんじでした。
――勝ち上がっていくごとに不安はありましたか
なかったですね。勝っちゃったみたいなかんじで1つずつ勝っていったかんじです。トーナメント64で勝ってベスト32残った時もああラッキーだなと思って。次のトーナメント32の試合も勝ってラッキーだなくらいで、そのままベスト4に上がっていたかんじです。
――試合も一本勝負もあり、あと1点差のような接戦が多かったです。そのような場面でプレッシャーはありましたか
そんなになかったですね。逆に相手の海外の選手が自分の方が強いと思っているので、一本取らなきゃいけないというかんじできていました。それに対して自分は結構気楽な気持ちでやっていたので勝てたのかなと思います。
――周りの反応はありましたか
まず驚かれました(笑)。
――そこから1週間後のヘルシンキジュニアW杯では、初優勝を飾りました。「シニアで3位を取ったから今回は負けられない」という話を伺いましたが
負けたら恥ずかしいなという感じで臨みました。シニアの大会のすぐ後にジュニアの大会だったので、ジュニアの選手がちょっと弱く見えたというのもあって、そのまま優勝できました。そんなにきつくなかったかな…普通に優勝できました。
――やはりシニアでの経験が、ジュニアの大会に出て生きているなと感じることはありますか
そうですね。戦い方とか、自分から点を取りに行きすぎないとか、謙虚に戦っていくことをシニアで学んで、そのままジュニアでそれを生かして優勝できました。
――その後3月のアジアジュニア選手権(アジアジュニア)で17位、4月の世界ジュニア選手権(世界ジュニア)では13位となりました。ご自身として結果はあまり満足いくものではなかったのでしょうか
特にアジアジュニアは自分でもよく分からなかったのですが…。気を抜いていたわけでもなかったのですが、あれ?という感じで負けてしまって本当にショックでした。世界ジュニアでは去年の世界ジュニアでも負けている選手と当たってしまって、その選手はすごく強いので勝てなかったと。悔しいというか、実力不足でした。
――アジアジュニアの方が悔しい気持ちが大きいですか
はい。
――5月にはパリW杯でシニア2度目となる銅メダルを獲得しました。その時は初めて3位に入った時と試合に臨む心境は違いましたか
いや、1回目との時と同じような心境で臨みました。そしたらまた3位…(笑)。
――この時もまた接戦ばかりでしたね
はい。特にベスト64以降では簡単に勝てる選手はいなくて、強い選手しか残っていないので、接戦になることは最初から予想して試合に臨みました。
――どんな試合でも競っている場面で焦らず、常にぶれないイメージがあります
焦らないですね。競って当たり前と思っているので。
――メンタルが重要と言われるフェンシングにおいて、その考え方は大切になってくる部分もありますか
はい、なってきますね。
――6月に行われたアジア選手権ではベスト16でした
全体的に内容は悪くなかったのですが、自分が苦手で世界ランク3位ですごく強い韓国の選手に当たってしまって、ドイツW杯の時も当たっていてその時はボコボコにされたのですが、その時よりは結構ポイントも取れていい勝負ができたかなと。成長したかなというのはありました。
――多くの国際大会に出場されましたが、その中でも収穫は大きかったですか
そうですね、いろいろな経験をさせてもらいました。
――全体を通して調子に波のないイメージがあります
1試合1試合結構必死にやっている感じです。周りからは結構手堅いスタイルとか波がないと言われるのですが、自分では特に意識していなくて1試合1試合一生懸命やっているだけです。
――昨年の12月の全日本選手権(団体)の時の取材で「シニアの国際大会で結果を残していきたい」と話されていて、その1か月後には結果を出しました。自分でここは通用するんだなと感じたところはありますか
スピードとパワーです。この二つは意外と通用するな、負けてないなと思いました。
――逆にここはまだまだだなと感じる点は
戦い方ですね。やはりベテランの選手のほうが試合展開や試合の運び方が上手なのでまだまだだなと。
――学ぶことも多いですか
はい。
――近年日本の男子エペ全体で見た時に、パリW杯では団体で初メダルなど結果を残してきています。男子エペの注目度が高まっていることは感じますか
そうですね。ずっとフルーレだったので。最近フルーレが落ちてきてエペが上がっているのでエペに注目も集まりつつあると思いますが、まだ五輪でメダルを取っていないので。日本では五輪でメダルを取らないと注目はされないと思うので、まだまだだと思います。
――パリW杯での団体戦はご覧になっていましたか。見ていて刺激を受けたということはありましたか
はい。見ていて刺激受けましたし、ちょっとまだこの団体メンバーには入りたくないなと思いました。
――入りたくない、とはなぜでしょうか
ちょっとしんどいんで(笑)。団体って個人戦と違ってチームなので、自分が負けたりするとチームに迷惑が掛かってしまいます。自分はまだそこに入ってやる自信がなかったので…。次のシーズンから団体でも起用されると思うのですが、それまでに準備しておこうと思います。
――見延和靖選手(NEXUS)、宇山賢選手(三菱電機株式会社)といった同じ日本代表の選手と一緒に練習されたり、お話しされたりすることもあると思います。その中で刺激を受けることもありますか
はい、ありますね。見延さんは特にリオ五輪にも出ているので、リオ前にどういう状態で挑んだかとか、どういうふうにメンタルを保っていたのかとも聞いたことがあります。本当に勉強になります。
――昨年まで日大のエースとして活躍されていた山田優選手(自衛隊体育学校)は、同じ日本代表団の中でも年が近いと思います
すごく優しくて、フレンドリーで、3つ上なんですけど結構友達みたいな感じで接しています。アドバイスとかも気軽にくれますし、いろんなことを教えてくれていい先輩です。
――少し時間が戻るのですが、昨年のリオ五輪では見延選手が個人6位入賞しました。どういった思いでその試合を見ていましたか
見延さんがどのくらいまで勝ち上がるか予想できていなくて、その時はシニアにまだ出ていなくてシニアの選手も全然知らなかったのですし、すごく楽しみにしてみていました。いざ始まると緊張感が伝わってきて。見延さんも五輪の試合自体怖かったらしくて。こっちまで緊張感がすごく伝わってきました。
――東京五輪では男子エペは団体も個人も開催が決まっていましたが、先日団体全種目実施が決まりました。一人のフェンサーとしてこのニュースを聞いてどのように感じましたか
特に男子フルーレは団体でメダルを取れる位置にいるので、またメダルを取れれば…。フェンシングって結構マイナーな競技なので国からもらえる支援金が少ないので、五輪でメダルをとると上がるんです。前回メダルを取っていないので、今回取らないとまずい状態になるんです。なので、実施種目が増えてメダルを取れる確率が上がったというのは、すごくうれしかったです。
――ちなみに海外遠征が多いと思いますが、行って良かった国はありますか
スイスやラトビアとかヨーロッパの方が良いです。ご飯もおいしかったですし、街並みもきれいですし。中でもフランスが一番良かったです。パリなので。パリの結構ど真ん中で試合だったので、エッフェル塔とか凱旋門など結構いろんなところに行きました。楽しかったです。
――遠征に絶対持っていくものはありますか
日本食は結構持っていきます。ヨーロッパとかだといらなかったりするのですが、この間コロンビアに行ったときそこはもう本当に最悪で(笑)。ご飯もおいしくないし、空気も薄いし、日本食がなかったら終わっていましたね。
――日本食以外でも必需品ってありますか
結構あります。例えばハンガーですね。ユニフォームを洗濯するのですが、海外あまりハンガー置いていないので。干さないと乾かないので必需品ですね。
――使っている道具にこだわりをお伺いしたいのですが、加納選手は白いマスクを使っていますよね
今は黒です(笑)。白だと外から顔が見えないじゃないですか。黒だとボロボロになるまで見えるのが嫌だったので、白にしていました。白がぼろぼろになってきたので、次マスク買うときに次は黒にしようかなって、気分ですね(笑)。
人の温かさに触れた高校時代と今
――アジア選手権では、山口県岩国市から応援メッセージが書かれている旗が届いていました
体育協会の方々が書いてくださったみたいです。協会やエペのコーチの方から岩国で合宿したいとお願いして交流が始まったと思います。エペの代表のコーチが岩国を気に入っているので。
――高校時代は岩国工高に通っていただけに、岩国市は思い入れの深い場所ですか。
はい。
――なぜ生まれ育った愛知から山口へ行こうと考えたのですか
高校をどこに行くか悩んでいたのですが、岩国にいいコーチがいるというのを紹介されて、練習に行って決めました。
――岩国工高に行くというのは、ご自身で決められたのですか
はい。親は反対しました。母は結構反対していて。一人で何にできなかったからじゃないですかね。
――寮生活だったのですか
下宿でした。ご飯を作ってくれるおばちゃんがいて、それ以外は基本一人暮らしみたいな感じでした。最初はいろいろ大変なこともありました。いきなり一人で全部やるので。
――愛知県内で進学しようというのは考えてなかったのですか
考えていました。考えていたのですが、ギリギリまで悩んで。
――実際行ってみて岩国市はどんな場所でしたか
人が温かいです。先日岩国に行ったときも感じたのですが、おもてなしが本当にしっかりしていているんです。教えてもらったコーチもそうですし、同級生や保護者の方にもお世話になりました。すごく温かったですね。
――岩国工高から早大を選んだ理由は
高校の時の先生が早大出身だったので。高校に入学した時からワセダ、ワセダと言われて。他の大学はあまり考えなかったです。洗脳されちゃったんですかね(笑)。
――早大に入ってしばらく経つと思いますが、早大の良いところと言えば何が挙げられますか
自由なところですね。練習したければいくらでもできますし、したくなかったらしないというのもできるので。伸びる人と伸びない人と分かれるのですが…。
――自主性に任されていると
はい、そうですね。自分で考えてやるようになります。
――加納選手はことしの5月に行われた関東学生リーグ戦を外から見るかたちとなりましたが、結果(1部4位)を聞いてどのように感じましたか
ちょっと残念だったのですが、自分が出ていないので申し訳ないなと何も言えないのですが…。惜しかったなと思います。
――秋にまた全員揃えば、上を狙っていきたいところですか
そうですね、はい。
――早大には松山恭助選手(スポ3=東京・東亜学園)や狩野愛巳(スポ3=宮城・仙台三)など世界で活躍する選手がいますが、同じ大学にそういう選手がいることは刺激になりますか
すごく刺激になりますね。この人たちも結構授業に行けてなくてどうしているかとか教えてもらうこともありますし、結果もすごく出しているので影響も受けますね。
五輪はもう遠い夢ではない
――フェンシングを始めたきっかけは北京五輪だと伺ったのですが、具体的にどの辺に引かれたのですか
それまでは8年間器械体操をやっていたのですが、器械体操がすごく嫌いで、早く辞めたくて仕方がありませんでした。その時にたまたまフェンシングをテレビで見て、かっこ良いなあと思いました。あとこれを始めたいと親に言ったら、体操を辞められるのではないかと思って…。それが成功してフェンシングを始めました。
――体操以外の競技はやっていましたか
水泳です。
――水泳は好きでしたか
水泳はそこまで本気でやっていなくて、週1〜2回の練習で楽しくやっていました。水泳は好きですね。
――器械体操でやったことが今のフェンシングに生きていると感じる部分はありますか
体幹です。いろいろなトレーナーに見てもらったのですが、どのトレーナーに見てもらっても体操をやっていたから体幹が強いと言われます。
――ちなみに北京五輪で見たのはフルーレですか
フルーレです。自分はフルーレをずっとやっていたのですが、高校1年生の時に先生の推しによってエペに変わりました。
――実際今はエペの方が向いていると感じていますか
はい、そうですね。
――自分の性格に合っているという感じなんですか
性格とかプレースタイルとかが合っているのだと思います。
――北京五輪でフェンシングを見て、具体的にどのようなところがかっこ良いと思ったのですか
まず、剣を使っていること自体がかっこ良いと思いました。テレビで見るとおもちゃみたいな剣で戦っているので、それが楽しそうだなあと思って始めたいと思いました。振り回せるのかなあと…、実際は全然振り回せなかったですけど(笑)。
――剣って案外重いですよね
結構重いですね。
――フェンシングを始めてからは、器械体操をやっていた時のように辞めたいと思ったことは無かったですか
フェンシングでは無かったですね。器械体操は怖かったんですよね、高所恐怖症なので(笑)。鉄棒が怖くて…。厳しかったというのもあるんですけど、怖くて辞めたかったです。
――五輪を見たことがきっかけでフェンシングを始められましたが、それだけに五輪という舞台には何か特別な思いを感じますか
自分が届かない存在だと思っていたので、それがことし急に目の前に現れて、びっくりしています。ここから3年間が勝負だと考えているので、東京五輪には出たいですね。
――では五輪が東京で開催されると決まった時点では、そこまで意識していなかったのですか
意識は少ししていたのですが、厳しいかなあと思っていまいした。でもことし急に変わったので…。
――少し身近なものになった
はい、そうですね。
――東京での五輪開催が決まった際、他国開催に比べてモチベーションが上がることはありましたか
変わらなかったです。それまでもずっとモチベーションが高かったんで。フェンシングが好きでやっていたので、変わらずのモチベーションでしたね。
――これから世界選手権、ユニバーシアードが控えていますが、どのような気持ちで臨みたいと思っていますか
世界選手権はすごくレベルが高いと思うので、W杯で2回メダルを取ったなどとは考えず、上ばかり見ず謙虚な気持ちで1つ1つ勝っていきたいです。ユニバーシアードは初出場なので、レベルも全然分からないんですけど、上を目指していきたいなあと思っています。
――具体的な目標はありますか。ランキング何位以内とか
ランキング16番以内に入ると、ランカーといって予選が免除になるんです。今22位であと少しなので、世界選手権でベスト32か16に入れると多分ランカーになれるんですけど、そこを目標にしたいです。もしそれが駄目でもあと2回W杯がことし中にあって、その2回のどちらかで取ればランカーになれるので、狙っていきたいです。
――五輪までの長期的な目標を考えると、出場になるのですか
ランカーになると自動的に五輪に出られるので、まず世界の場でメダルを取って、五輪に出場してメダルを取るというのが長期的な目標です。
――先ほどW杯は「勝っちゃった」で3位まで勝ち進んでいったとおっしゃっていましたが、今は心境の変化がありますか
ドイツの時は「勝っちゃった」みたいな感じでまぐれかなあとも思っていたのですが、フランスでメダルを取れた時にまぐれじゃないと思えたので、結構今自信にはなっています。
――世界選手権は初出場だと思うのですが、楽しみな気持ちと不安な気持ちでしたらどちらの方が大きいですか
今ランカーが見えているので、そこに入らないと…という気持ちが大きいです。正直プレッシャーに感じる部分もあるのですが、試合が始まったらのびのびとやりたいです。負けたら負けたでしょうがないので。
――では最後にことし中の目標と、もう少し長期的な目標をそれぞれ教えてください
ことしの目標は、世界選手権でベスト16以上に入ってランカーになることです。ベスト16以上に入れたとしたら、後3年間16番以内に入り続けて、五輪に出場してメダルを取るというのが目標です。
――ありがとうございました!
(取材・編集 加藤佑紀乃、藤岡小雪 写真 大浦帆乃佳)
取材後、剣を持ってポーズを決めてくれた加納
◆加納虹輝(かのう・こうき)
1997(平9)年12月19日生まれ。173センチ。岩国工高出身。スポーツ科学部2年。加納選手があまりワセダでの練習に来られないときに、いつも助けてくれるのは仲の良い同期だそうです。同期のことは宝物だとおっしゃっていました!