団体戦でアジアの頂点に 狩野、2020へまた一歩

フェンシング

 アジアから2020年の東京五輪を目指すような精鋭たちが東京に集い、アジアU-23選手権が開幕した。25日に女子フルーレ個人、28日に女子フルーレ団体が行われ、早大からは狩野愛巳(スポ2=宮城・仙台三)が出場。狩野は個人でベスト8、団体では日本の優勝に貢献した。

 個人戦では優勝を狙うがベスト8止まりになった狩野。しかし、そこから相手を研究しチームに情報を共有することで自身の負けを団体戦で生かそうとする。迎えた団体戦では、初戦で相手を圧倒。続く準決勝では韓国と対戦し、序盤は追う展開となるが第5セットで狩野が7連続得点を挙げ同点に持ち込む。その後はリードを守りながら粘り、最後は突き放して勝利した。

 決勝の相手は強敵・中国。僅差での争いが続く緊迫戦となり、ビデオ判定やイエローカードによる警告も多く見られた。しかし日本チームはどんな状況でも最後まで気持ちを切らさず、一本一本を積み重ね45-41で勝利。表彰台では4人は日本の国旗とトロフィーを手に満面の笑みを見せた。

 今回はそんな狩野が、今大会への思いや感じたこと、またこれから何を目指していくのかを伺った。

得点を挙げガッツポーズする狩野。今大会では狩野のガッツポーズが多く見られた

全員で積み重ねた45本

 アジアU-23選手権の女子フルーレ団体メンバーは大学生2人に、高校生が2人。初めて組んだ団体のメンバーであったが、狩野はチームの中の自分の役割を感じていた。「後輩にのびのびやってもらいたい」。シニアの大会に出始めた時の緊張や、怖さ、その気持ちが分かるからこそ、ベンチからは声を掛け続け、他の選手の出番の前には自らも立ち上がって手本を見せアドバイスを送った。それがあったからこそ、チームは優勝を手にできたのだ。

――優勝おめでとうございます。いまのお気持ちはいかがですか

 初めて組んだ団体のメンバーで、相手も結構レベルの高い選手が集まっていて勝てるかどうか実際分からなかったので、勝てて本当にうれしいです。

――準決勝は韓国と当たりましたが振り返っていかがですか

 自分の役回りというところで、初めて早回りだったのでどういうふうに戦えばいいのかなと最初は思っていました。莉央(東、和歌山北高)と晟良(東、和歌山北高)が年下でシニアで団体戦をあまり組んだことがなく、私と小巻(菊池、専大)が経験をたくさん積んできているといった状況で団体戦をしなきゃいけないと考えていました。二人には本当にのびのびやってもらえればいいなとすごく思っていて、のびのびやってもらうためにはやはり点差が必要だなと思うので、(自分の)失点をなくしてかつちょっとずつ詰めていけたらいいなという気持ちでやっていました。

――決勝はビデオ判定も多く、抗議もありました

 よくフェンシングではあることなのですが。団体戦なのでベンチがみんなで抗議すると、やはり審判も揺れることもあります。そういう中でも、みんなで声出して本当にチーム一丸となってやっていたので一人が頑張ったという感じはなくて、本当にみんなで積み重ねた45本だなというのを感じました。

――ベンチから声を掛けていたり、アドバイスをされていたりするのも、狩野選手が経験がある分引っ張っていこうと

 最初、晟良の試合を見た時に、個人戦と動きが違って思い切り行けていないように見えました。自分も昔そういうのがすごくあって、その気持ちがとても分かったので、やはり本当にのびのびやってもらってミスしてもいいから、後はこっちでフォローするというような気持ちでした。もし私が最初の頃に先輩にそうやってもらえていたら本当にいいだろうなと思っていたことをやろうと思っていました。きょうはそれを実践できたので、二人とものびのびやってもらえたので良かったなと思いました。

――25日のことになりますが、個人戦は振り返っていかがですか

 個人戦は優勝を狙ってやってきたのですが、中国の選手に負けてしまって、途中から自分をコントロールできなくなってしまって。自分でも試合を振り返った時にすごく恥ずかしい試合をしてしまったなと思っていました。(個人戦で敗れた中国の選手には)絶対に団体戦でも当たるとは思っていたので、家に帰って研究して「私のミスがこういうところだったから、こういうところに気を付けて」というように情報をみんなで共有しました。また、晟良が決勝で当たった相手でもあるので、そのビデオも見て「晟良はこういうところでとったからそこ狙っていこうね」という話もしました。負けがそのまま自分の損じゃなくて次にすごくつながる試合になったので、それは良かったかなと思います。

ライトアップされた決勝戦。狩野は狙いを決めて突きに行った

感じたTOKYOの未来図

 狩野は4年後の東京五輪の出場、そして金メダルを目指し、日本代表として世界中を飛び回っている。しかし、現状では日本で行われる国際大会は少なく、このアジアU-23選手権も初の東京開催。しかし、会場からは日本チームに多くの歓声や応援が届いた。そんな会場でプレーをしたことで、狩野は東京五輪を一層近くに感じている。

――日本で開かれる国際大会は少なく、ご自身のホームページにも「日本で行われる国際大会は本当に少ないので出場したい」と書かれていましたが、やはりこの大会に懸ける思いは強かったですか

 そうですね。やはりフェンシングがまだまだ知名度が低い中で、こうやって国際大会が国内で行われて、入場料も今回無料なので、本当に多くの人が見に来られたらいいなと思っていました。そこで日本代表として戦えるのはすごくうれしかったので、やっぱりこの大会に懸ける思いというのは他の大会とは少し違いました。

――ご家族もいらっしゃっていましたが、何かお話しされましたか

 個人戦が終わった後に個人戦の反省を話しました。自分の悪い癖とか、後はずっと離れて暮らしていて家族が久しぶりに自分の試合を見たので、こういうところが良くなったとか、こういうところを直した方がいいとかということを話しました。今まで父にずっと教えてもらっていたので、そういうところでは来てもらって良かったなと思います。

――以前はジュニアの大会に出場することがメインだったと思いますが、今季からシニアの大会がメインになりました。ジュニアとシニアの違いを感じることはありますか

 やはりシニアだともう強い人が決まっていて固定されている中でその選手にどう勝つかということになってきます。フィーリングでやるというよりも、研究して戦略でやる、その中でいかに自分が戦略通りに動けるかということになってきます。また、その戦略に合った体力づくりや、戦略に合わせた動きとかという点で練習方法も変わってきます。感覚や勢いでプレーするということではなくなりました。

――今後の長期的な目標は何でしょうか

 東京五輪を目指して今やっています。今回こういうふうに日本で国際大会が開かれることで、本当に応援してくれる方も日本人が本当に多く、これの拡大版が東京五輪だなと感じました。やはり日本で日本の国旗を背負ってやることが本当に誇らしいことだなと思うので、東京五輪では表彰台に乗って金メダル取って、みんなで良かったねって言って終われたらすごくいいなと思います。

――ありがとうございました!

(記事 加藤佑紀乃 写真 橋本望、加藤佑紀乃)

首から金メダルを下げ、陸上のウサイン・ボルト選手のポーズをとった日本。こんな光景が2020年にも見られるかもしれない

※フェンシングの団体戦は3人、または4人の選手が交代で出場し、1試合当たり3分という持ち時間内で争う。あるいは3分以内にどちらかが先に5得点先取すると、そこで次の選手に交替となる。最終的には9試合戦い、45点を先取、または持ち時間が終了した場合は得点が高い方が勝ちとなる。

※フルーレ:頭・両足・両腕を除いた胴体部への突きのみが得点となる。 両者がほぼ同時に突いた場合は、どちらの攻撃が有効だったかを主審が判定する。また、先に攻撃をした方が「攻撃権」を持ち、防御側は攻撃を防御してから攻撃しなければならない。

結果

▽女子フルーレ個人 ベスト8
2回戦 〇15-10 GIL Yuna(韓国)
準々決勝 ●4-15 FU Yiting(中国)

▽女子フルーレ団体
日本〔狩野、菊池小巻(専大)、東晟良(和歌山北高)、東莉央(和歌山北高)〕
準々決勝 〇10-45 カザフスタン
準決勝 〇45-33 韓国
決勝 〇45-41 中国

◆狩野愛巳(かの・みなみ)

1996(平8)年11月27日生まれ。162センチ。宮城・仙台三高出身。スポーツ科学部2年。決勝戦前のパフォーマンスでは、「1、2、3、ダー!」と言いポーズを決めた日本。終始笑顔が絶えないチームで、狩野選手も試合終了後「楽しかったー!」と話していました。