【連載・第2回】『最後の戦い』津江碧×山根司

フェンシング

 エペ陣のエースは男女共に2年生。津江碧(スポ2=山口・岩国工)は1年時から最後回りという重役を任され、今季は個人でも全日本選手権(個人)でベスト4に入るなど、大きな成長を遂げた。一方女子は、1、2年生のみという若いチームを、唯一昨年から団体に出ている山根司(スポ2=香川・三本松)が引っ張る。若きエース2人は全日本選手権(インカレ)を前に何を思うのか。その胸中に迫った。

※この取材は10月31日に行われたものです。

「緊張しますよ、最後回り」(山根)

常に笑顔が絶えない山根

――今季も関東学生選手権(関カレ)までが終了しました。ここまで振り返っていただけますか

津江 自分は、春は悪くはないスタートだったんですよね。(関東学生)リーグ戦も結構、自分なりにできも良かったと思いますし、その後の全日本選手権(個人)も3位に入ることができたんですけど、秋になってからは思った成績が残せてないなと思っていますね。

山根 自分はリーグ戦があまり良くなくて。今回、団体戦で初めて公式戦での最後回りをしたんですけど、あまりうまくできなくかったですね。剛毅杯(選手権)とかの個人戦では最初の方は結構良かったんですけど、夏休み終わってからの大会ではあまり納得はできてないです。でも、1年生のときに比べたら結果は出ていないかもしれないですけど、ちゃんと前よりいろいろ考えているのかなというのは感じますね。

――今季はお2人とも団体で最後回りを務めていますが、お互いにどのような印象ですか

津江 司は元気があって良いですね。自分はどちらかというと負けている気がしますね、そういう面で。

山根 津江は、フェンシングに関しては本当に天才だと思います!

津江 (笑)。

山根 いつもはこんな感じで、ふにゃふにゃしているというか、そこまでしゃきっとしてないのに、試合になると本当にちゃんとしているんですよ(笑)。だから、そこは本当にすごいと思います。強いし、津江は1年生のときから最後回りをしていますが、最初からうまくて、そこまで追い上げられたりしていないし、『ワセダの顔』って感じです!

津江 いやいやいや、先輩たちがいるからね(笑)。

――津江選手は昨季から最後回りを務めていますが、低学年のうちから最後回りを務めるプレッシャーはありますか

津江 めちゃくちゃプレッシャーですよ(笑)。仮にそこまで勝っていても、自分が最後に逆転されたらチームとしては負けですからね。そこを締めないことには…。やはりプレッシャーはありますね。逆に言うなら、それだけ期待してもらっているというのもあると思うので、その期待に応えようと努力はしているつもりですね。

山根 緊張しますよ、最後回り。ブルブルします(笑)。

津江 特にほとんど点差がないときとかは。

山根 1、2点勝ってくると嫌じゃない?私は1、2点勝っているときが嫌ですね。

津江 逆に?確かに勝っている分、相手に追い上げられたときは大きいですね。でも、最後回りは慣れだと思う。

――今季、エペは男女共に表彰台が多いですが、シーズン前からこういう結果は予想されていましたか

山根 きょねんの女子エペは先輩たちが本当に強かったので、3位には入ると思っていました。

――昨年とメンバーは一新していますが、1年生2人で不安はなかったのですか

山根 最初はすごく不安でした。でも、思ったよりも1年生がしっかりしていて。自分よりしっかりしていますね(笑)。

津江 確かに。否めないです(笑)。

山根 1年生2人がしっかりしているから、自分が焦っても、「先輩、大丈夫ですよ」って。あと、ベンチとかも声をかけてくれるので、そこは良かったなと思います。

――男子はいかがですか

津江 男子はきょねんと同じメンバーだったので、やりやすい部分はありすね。自分たちは他の大学と違って、きょねんと同じメンバーでそのままやれているから、気持ち的にも楽でした。成績に関しては、勝てたな…っていうのはあったんですけど、それは結果なので。納得がいっていない部分もありますね。

――男子エペは、リーグ戦のときに準優勝したことについて驚いているという反応が皆さんから返ってきたことが印象的だったのですが

津江 そうですね。リーグ戦のときは正直、良ければ優勝、悪ければ2部落ちという感じもあったので。

――では、お2人とも昨季から団体戦に出場されていますが、
昨季と比べて成長したと思うところはありますか

津江 割とメンタルという部分では強くなったんじゃないかなと自分では思います。きょねんは、「最後回りだ、どうしよう」というのが正直あったんですよ。ことしは「きっちりそこを自分が決めればいいんだ」という感じになったのかなとは思いますね。その中でもまだ試合で自分のメンタルを揺さぶられる部分もあるので。

山根 自分は津江みたいに落ち着いてないし、結構取られ始めると焦ってしまうんですけど、その焦りが少し減ったかなと思います。最後回りに入るのは怖いですけどね。前は取られ始めると後ろの声も聞こえなくなって、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうところがあったんですけど、最近は相手の動きを自分でも考えるし、後ろのベンチの声とかも聴いて、「あ、なるほど」って少しは思えるようになったかなと思います。

――エペ陣は男女でお互いにアドバイスをしたりしていますよね

津江 そうですね。

山根 いつも一緒に練習しているから。他の種目は、あまり女子と男子が混ざってやらないんですけど。

津江 エペだけ人数が少ないというのもあって、男女一緒に練習したりしているので、その分アドバイスとかもしやすい。

山根 アドバイスとかもしやすいし、めっちゃ「勝ってほしい!」と思いますね。

津江 コミュニケーションが一番取りやすいというのはあります。

――男女一緒に練習するというのはワセダのエペが独特なんですか

津江 他の大学はやってないと思いますね。やはり男子と女子だと力の差が出てしまうということがあるからなんですけど。

山根 自分たちの場合は力の差はあるけど、できないこともない。頑張れば勝てるんじゃないかと思っています(笑)。

津江 自分たちも女子から技とかの部分でも教わる部分はあるし、逆に自分たちも教えて、それを実際に試合とかで生かしたりするというのは、ワセダだけじゃないですかね。

山根 確かに。男女こんなに仲が良いのもワセダ独特ですね。

「ここまでやるとは思ってなかった」(津江)

最初は野球がやりたかったという津江

――お2人のフェンシングを始めたきっかけは

山根 自分は入る部活がなかったからです(笑)。

――それはいつですか

山根 中学生のときに、親に「運動部に入らないと家に入れない」と言われていたんですけど、自分はすごく運動神経が悪いので、「入る部活がない!」となってしまって…。消去法で、バレーとかバスケとかはもうみんなやっているじゃないですか。だから、何がやれるのかと考えたら、「フェンシングしか残ってない」と思って、フェンシングを始めたんです。

――中学校にフェンシング部があったんですか

山根 中高一貫だったんですよ、自分の中学校が。だから、そこでやっていたんですけど、中学生のときは、剣はほとんど握ってないです。チャンバラをやっていました。スポーツチャンバラ。だから、ちゃんとフェンシングを始めたのは高校からです。

津江 自分は始めたのは小学4年生のときです。僕、熊本でやっていたんですけど、父がクラブチームの監督さんとたまたま仕事場が一緒で、「良かったらやらせてみないか」と言われたみたいです。でも、僕は正直、小学生のときは野球をやりたかったんですよ。そしたら、親に「野球やっていいから、その代わりフェンシングもやれ」とうまいように言われて(笑)。そんな感じで始めたんですよね。でも、最初はここまでやるとは思ってなかったですね。

山根 最初は思ってないですよ(笑)。自分は高校までで辞めようと思っていたんだけど。

津江 でも、やっていくうちに、九州大会とかで成績が残せて、もっと頑張ったらもっと上に行けるのかな、と。すぐに上が見えるんですよね。野球とかサッカーと違って、競技人口が少ない分、上に行きやすいじゃないですか。だから、全国1位も目指せるんじゃないかな、と。

――ちなみに野球はいつまでやっていたんですか

津江 野球は小学6年生までやったんですけど、小学5年生くらいから、ほとんどフェンシングをやっていましたね。

山根 なんで?

津江 野球ってチームプレーじゃないですか。熱いじゃないですか(笑)。

山根 フェンシングも熱いじゃん(笑)。

津江 まぁ、熱いけど(笑)。小学生にして、それがちょっと面倒くさいな、と思った部分もあったかもしれないですね(笑)。でも、フェンシングは個人競技で。また、遠征で東京とかに来れるじゃないですか。野球じゃ行けないけど、フェンシングをやっていたら、東京とか海外遠征とか、いろいろなところに行けるから(笑)。そういう楽しみもありましたね。

――津江選手は、高校は山口ですよね

津江 そうなんです。中学までそのクラブチームでお世話になっていて、熊本の高校に行こうと思っていたんですよ。でも、たまたま指導してもっていた先生がちょうど山口の高校に行くということになって。それがちょうど僕が中2から中3に上がるときだったんです。他の高校もあったんですけど、そこは自宅からだと遠いところだったので、じゃあもうどうせなら県外に行って、その先生のところで教わりたいと思ったので、山口の高校に行きましたね。

山根 国体もあったしね。

津江 自分が高校3年生のときに山口国体があったんですけど、その関係もあって、山口の高校に行かせていただきましたね。

――一人暮らしだったんですか

津江 下宿ですかね。一人暮らしではないです。

山根 おばちゃんがいたんでしょ。

津江 おばちゃんはいたんですけど、おばちゃんはご飯作ってくれるだけで、あとはほとんど自分でやっていました。洗濯とか。だから、一人暮らしと言えば、一人暮らしなのかな。よくわかないです(笑)。自分以外に住んでないんですよ。おばちゃんが2階に住んでいて、自分が3階に住んでいてっていう感じだったので。変な感じでしたね。高校3年間。

一同 (笑)。

――高校時代に団体戦は

津江 あったんですけど、フルーレしかなくて。だから、自分たちも一応フルーレをやってたんですよ(笑)。

――お2人ともフルーレもやられていたんですか

山根 主にフルーレじゃない?

津江 自分の場合は、7:3くらいで。

山根 7がフルーレ?

津江 いや、7がエペ。

山根 そんなにエペやってたの?

津江 うん。フルーレは何かの試合の前に少しやって、という感じでしたね。自分の高校は割と人数が多かったので、フルーレ、エペ、サーブルって分かれてやっていたんですけど、他の高校は、高校生のメインの種目がフルーレだけなので、フルーレがメインですね。

山根 団体もフルーレしかないんですね。人がいないからフルーレをやるしかない。

――団体の試合自体がフルーレしかないということですか

津江・山根 はい、そうです。

津江 エペがないんですよ。絶対、エペがあったら俺らね、と思ってるんですけど(笑)。

山根 フルーレをしかたなくやっていましたね。

――個人ではエペをやっていて、団体でフルーレをやる

津江 そうですね。でも、フルーレでもちょこちょこ(笑)。

山根 団体で国体とか出てるしね。

津江 それがちょうど山口のときです。

山根 懐かしい。でも、もうできないです。

津江 自分はこの間、関カレに出ました。

――出ていましたね。インカレ出場権も獲得していましたね(笑)

津江 はい(笑)。でも、断りました。やはりメインはフルーレじゃなくエペなので。

――では、エペを選ばれた理由というのは何だったのでしょうか

津江 最初は僕もフルーレをやっていたんですけど、思った以上に成績が出なくて。たまたまエペの大会があったので、それに出たら優勝しちゃったんですよ。しかも3人しか出てないんですよ、その大会(笑)。

山根 負けても3位じゃん(笑)。

津江 棚からぼたもちみたいなものですよ(笑)。優勝して、そこからエペも良いんじゃないかと思って。それでも、フルーレと並行しながらやっていたんですけど、中学3年生のときに初めて日本代表に選んでもらったのがエペだったんです。っそれで、じゃあもうこれからエペに絞ってやろうと。

山根 そうなんだ。自分は、フルーレと、2種目目にサーブルかエペをやるという感じで。自分は、本当はサーブルがやりたかったんですよ。かっこいいし。

津江 無理でしょ(笑)。

山根 すごくやりたくて(笑)!絶対高校に入ったらサーブルをやろうと思っていたので、高校のときの先生に「自分はサーブルがやりたいです」って言ったんです。でも、先生に「お前にサーブルはできないよ」って言われてエペ剣を持たされて、「お前はこれで頑張るんだ」って言われたんですよ。「いや、でも自分はサーブルがやりたいです」ってけんかみたいになって(笑)。「じゃあ、勝手にしろ」って言われたんですけど(笑)、でも先生の言うことちゃんと聞いた方がいいなと思ったので、エペをやることにしました。最初は全然向いてないなと思って。全然できなかったんですよ。でも、高校のときの先生が諦めずに教えてくれて、エペが少しできるようになりました。そこから、初めての全国大会だったJOC(ジュニア・オリンピック。カップ)でベスト8に入って。

津江 高1のときだよね?

山根 うん。それで、エペちょっと頑張ろうと思って、いまです(笑)。

――では、そこからワセダに入った理由は

津江 自分はワセダに来たいなとずっと思っていて。高校の先生も実はワセダのOBなんですけど。ワセダは試合を見ていても、本当に楽しそうだなと思っていました。

山根 仲良し感がすごくありましたね。

津江 そこで、自分もプレーできたら本当に楽しいんだろうなと思っていました。

山根 自分はなぜか覚えてないんですけど、高1のときからずっとワセダに入りたいって言っていて、でも「お前なんか無理だよ」って言われていました(笑)。

津江 俺も言われた(笑)。勉強の面で、「お前の評定じゃちょっと…」って高校の他の先生には言われていました。

山根 でも、なんとしてでもワセダに入りたかったんですよ、自分は(笑)。何でもいいから、ワセダに入りたくて。勉強じゃダメだけど、フェンシングならって。

――では、フェンシングと関係なくワセダには憧れがあったということですか(笑)

山根 憧れはありました(笑)。なんでだろう…。でも、入ったら全然女子エペの選手がいなくて、ビックリしました。

――もう少しいると思っていた

山根 はい。もう少しいると思っていたら、全然いない!と思って、しかも2部で(笑)。

――そこからすぐに昨季1部に昇格しましたよね

山根 はい。本当に先輩たちがいて良かったです。

――では、お2人はいつから面識があるのでしょうか

津江 高校2年生のとき、僕たちが香川に練習試合に行ったときですかね。あれもフルーレで練習試合に行ったんですけど、でも僕らはエペをやりたい、となって。ちょうど司と同じ高校だった西森先輩(健太、香川・三本松)と自分が代表の遠征でアジア大会に行っていて仲が良かったので、一緒にエペの練習をしていましたね。

山根 そのとき、津江に勝った気がする。

津江 負けたかも。そうだ!ジュースおごったんだ。

山根 だから、初めての試合は自分の勝ちです。

津江 けど、いまではもう…(笑)。

山根 うるさい(笑)!でも、確かに(笑)。

津江 それから、試合とかで会う度に話したりしていました。「ワセダなんでしょう?」みたいな話もしました。よろしくって。

――その当時は、選手としてどういった印象だったんですか

山根 津江はもうすごく有名だったので(笑)。みんな「津江君、津江君」で、かっこいいって言われていました。自分は「意味わかんない。全然かっこよくないじゃないか」って思っていました(笑)。でも、確かにフェンシングは強いなと思っていましたね。

津江 (笑)。高校時代…、どう思ってたかな。「あー、三本松の山根ね」って感じでした。

山根 すごくバカにされてた気がする。山口から来たっていうから、「山口ってどこ?」って聞いたら、「え?山口もわかんないの?ばかじゃないの」って初対面なのにバカにされて。

津江 だって香川の上じゃないですか。

山根 みんなかっこいいって言っている意味がわかんないなと思いました、そのとき。

一同 (笑)。

津江 司はイタリアの遠征とかに行っていたので、代表で遠征に行っているんだというのは知っていました。

――では、エペ陣が仲が良いというお話はさきほどお聞きしましたけれども、2年生も仲が良さそうですね

山根 いや、全然仲良くないですよ(笑)。

津江 (笑)。実際は仲良いと思いますよ。けんかというけんかではないですけど、お互いけなし合いというか…。

山根 でも、この同期で良かったなとは思います。こんなこと言わないから恥ずかしいです。

津江 普段ね。

山根 絶対言いたくないです。同期の前で(笑)。悔しいな。けなし合いながらも、言いたいことはちゃんと言っている感じです。だからこそ言えるというか。

津江 そういうのはありますね。

――他の学年とはどういった関係なのでしょうか

津江 あまり上下関係がない感じですかね。部活中は上下関係があるんですけど、終わった瞬間に、友達とまではいかなくても、完全に変わるんですよね。オンとオフみたいな。

山根 切り替えがありますね。ワセダの良いところは、遊ぶときはちゃんと遊んで、やるときはやるというところです。先輩たちは、結構言ってもある程度までなら許してくれます(笑)。

津江 逆に自分たちも1年生から言われたりしますけど、それも嬉しい?

山根 嬉しい。快感ではないが、嬉しい。愛情を感じます(笑)。でも、ちゃんと上下関係の一線は引いています。

「一番上を見ていけたらいい」(津江)

――この2年間、大学でフェンシングをやってきて、直したいと思う点はありますか

津江 自分は、技術的な面はそんなに変える必要はないというか、いまの技術をさらに伸ばしていけばいいだけだと思います。でも、試合の内容作りに関してまだ甘い部分があったりして、この間の(関カレの個人の)試合のように、最初は良いかたちで大差をつけて入ったのに、最後逆転されてしまう場面があったので、そういうところをしっかり15-0とかで勝てるような試合作りをしていけたらなと思います。

山根 自分は津江みたいにフェンシングがまだ完成していないので、もっとできる技を増やしたいですね。あと、どんな相手にもゲームメイクできるようになりたいです。

津江 相手のペースではなくて、自分のペースで試合を運ぶことがもっとうまくできるようになれたらなと思いますね。

山根 そう。あと、メンタル的に、取られても焦らない。 

津江 メンタル弱いね。どうやったら強くなるのかな。

山根 2年みんな弱いよね…。メンタルっていうからダメなんじゃない?強化練習を妥協してるからダメなんだよ。

津江 確かに…。妥協してますね(笑)。そういうところからの積み重ねですね。

山根 妥協しない!この2年間テーマは「妥協しない」です(笑)。

――(笑)。では、インカレが迫ってきました。まずは、個人での目標を聞かせてください

津江 個人は、絶対に優勝できないというわけではないと自分でわかっているので、あとは自分のパフォーマンスをいかにそこまで持っていけるかだと思います。優勝目指して、そこまで万全に持っていけたらなと思います。

山根 自分も絶対に勝てない人がいないので、どうにかすれば勝てるだろうと思っています。勝てる確率は高くはないかもしれないですけど、絶対勝てない人はいないと思うので、優勝を目指します。

――団体はいかがですか

山根 団体も優勝!

津江 団体も同じですね。正直、日大を倒せば…と思うので。きょねんは日大ではなかったですけど、正直ことしは負ける気がしないので。でも、関西の大学は他にもきょねん負けた立命館大とは別に同志社大とかもあるので、ひとつひとつ大切なんですけど、見るところは一番上を見ていけたらいいなと思いますね。

――女子はいかがですか

山根 女子は、考えて戦い方次第でいつも負けている日体大にも勝てると思うんですよね。だから、優勝したいです。そこは試合をうまく動かせるように、入り込み過ぎずにということと、周りの声をちゃんと聞い入れられたら、優勝できると思うので、頑張ります。

――ありがとうございました!

(取材・編集 川嶋悠里)

最初のポーズでは納得いかず、Wポーズで…

◆津江碧(つえ・あおい)(※写真左)

1994年(平6)2月16日生まれのAB型。170センチ、67キロ。山口・岩国工高出身。スポーツ科学部2年。種目はエペ。関カレでは専門外のフルーレにも出場し、その器用さを発揮していた津江選手。サッカーが苦手だという意外な一面を、山根選手から教えてもらうことができました!

◆山根司(やまね・つかさ)(※写真右)

1994年(平6)3月29日生まれのA型。166センチ。香川・三本松高出身。スポーツ科学部2年。種目はエペ。取材中は津江選手の話に「なんで?」「そうなの?」と突っ込んでいた山根選手。メンタルが弱いという話になったときは「どうしたらメンタル強くなりますか?」と記者に逆質問する場面も。山根選手のおかげで和気あいあいとした取材になりました!