主将としての自負
「自分はどのチームの主将より時間を費やしてきたという自信があります」。渡辺俊和(スポ=埼玉栄)はこう語った。それはプレーに限った話ではない。早大バドミントン部は学生主体で練習が行われるため、組織の在り方についても学び、部の運営に生かした。自主性が重んじられる中で、主将が果たす役割は大きい。その責任の大きさを感じながらも、チームのために考え続けた。全日本学生選手権(インカレ)でアベック優勝を達成するために——。
1年からリーグ戦にも出場し、チームの勝利に大きく貢献してきた渡辺。2年時のインカレでは、24年ぶりの男子団体優勝の一翼を担った。「試合というかみんなで喜びを分かち合った時間が印象的」と当時を振り返る。個人戦よりも団体戦に重きを置いていただけにその喜びはひとしおだった。そして、翌年も団体優勝を果たし、見事2連覇。1年後もまた学生の頂点に立ち、3連覇を成し遂げることを心に決めた。
バドミントン部は入学と同時にその代の主将が決まるため、渡辺は、3年の頃から自分の目指すリーダー像を探し始めていた。リーダーとして意識していたのは、その人についていきたいと思ってもらうこと。その背景には祖父からの教えがあった。「徳のある人間になれ」。渡辺はその言葉を心に刻み、小学校、中学校、高校、大学と自身4度目となる主将に就任した。そして、部をまとめる中で、大学はバドミントンで強くなることが全てではないと考え、三本柱を定める。『インカレ団体優勝』・『人としての成長』・『上下関係のメリハリ』。この三つを軸とした。
主将となって臨んだラストイヤー。その一方で、選手としての自分も両立させなければならない。団体戦でのオーダーも選手である渡辺が考えなければならず、悩むこともあった。部員が少ない上に、日本代表の遠征で不在の部員もいる中で、チームのために最善のオーダーを考え、常に自分たちのベストを追求した。しかし、渡辺にとって『主将』は重荷ではなく、原動力だった。渡辺が今年度出場した公式戦の28試合のうち、フルセットに及んだのはなんと12試合。主将として負けられないという強い気持ちが接戦を制する要因となった。関東大学春季リーグ戦では、一度も白星を奪ったことのなかった日大の主将をファイナルゲーム24-22で下し、チームを勝利に導いた。
主将としてチームのために戦う渡辺
秋に入り、シーズンも盛りに。東日本学生選手権、関東大学秋季リーグ戦を終え、インカレがいよいよ間近となった。しかし、台風10号の影響によるインカレ団体戦の中止。その知らせを聞いた部員たちは団体アベック優勝を目指していただけに、大きなショックを受けた。「どこか振り返るともやもやしているのは今でも残っている」と渡辺にとっても心残りとなった。それでも気持ちを切り替えて臨んだ個人戦では他大学の選手からも声援を浴びて、実力全てを出し切り、最後のインカレは幕を下ろした。
大学での競技生活を終え、自分が目指すリーダー像にどこまで近づいたか尋ねると、「自分なりにやれたというか、軸は通せた」と答えた。より良いリーダー、より良い組織を目指して、バドミントン以外のことからも多くを吸収し、部を引っ張ってきた1年間。主将という立場に立ったことで、自分だけでなく相手のことにも目を向けるようになった。この言葉は三本柱の二つ目、『人としての成長』が達成できたことを意味するのではないだろうか。そして、『上下関係のメリハリ』。最上級生のカラーは部に反映される。部をまとめる一方で、ムードメーカーの役割も果たし、風通しが良いことは下級生も口にしていた。しかし、それだけではない。雰囲気が緩んでいるときにはしっかりと気を引き締めさせた。何より周りから慕われていることは明らかだった。渡辺のことを慕う後輩、信頼を置く同期。他大学の選手に応援されることも多い。それらは全て人柄と人徳によるものだろう。
渡辺は卒業後、北海道にある実業団のチームでプレーを続けると決断した。創設からまだ間もないが、ハングリー精神にあふれる新進気鋭のチームだ。そして、社会貢献や、バドミントン界を盛り上げていこうという試みも魅力的だった。これから絶対強くなる——。そんな予感を抱き、このチームを選んだ。内定選手として試合にも出場し、すでに新境地での活動は始まっている。初出場ながら臆せず粘り強いプレーで勝利し、存在感を見せつけた。
自分で考えて行動する力が身についた大学生活だったが、これからは「誰かのきっかけになりたい」と渡辺は話す。自分がバドミントンをやり切ることで、他の誰かに影響を与えたい。自分が大事にしてきたことを伝えたい。競技についてだけでなく、人としての目標でもあった。「徳のある人間になれ」。この言葉は今でも渡辺の核だ。
(記事 山本小晴、写真 石名遥氏)