【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第48回 古賀輝/バドミントン

バドミントン

みんなで心を一つに

 「みんなで勝った方が、みんなで喜べる」。試合に出ない人も、ベンチに入らない人も、全員で一つの目標に向かっていく。古賀輝(スポ=埼玉栄)は、このような姿を目指してチームをつくりあげていった。団結力が功を奏し、全日本学生選手権(インカレ)では強敵を破って団体戦2位に輝く。個人戦でも、入学時から組み続けた齋藤太一(スポ=福島・富岡)とのダブルスは圧倒的な強さを誇り、三度のインカレ優勝を果たすという快挙も成し遂げた。古賀輝は今後も齋藤と同じ実業団に所属し、競技を続ける。

 親の影響で地元・福岡のチームの練習に参加し、それがきっかけとなって始めたバドミントン。続けていくうちにのめり込み、小学校2年生のころから本格的な練習を始める。中学校からは親元を離れ、同世代のライバルたちと共に名門・埼玉栄に進学。部活動中心の生活で、着実に実力を磨いていった。高校3年生の総体では、2015年のスーパーシリーズファイナルにおいて日本人で初めて男子シングルスの栄冠を手にした桃田賢斗(NTT東日本)を抑えて頂点に立つ。ここぞという勝負どころで強さを発揮した。そんな古賀輝がワセダへの進学を意識し始めたのは、高校2年生のころ。練習メニューを自分たちで決めるという自由度の高さに魅力を感じた。「強くなれるかは自分次第」。挑戦してみたいという気持ちで、ワセダを選んだ。

主将としてチームをけん引し続けた古賀輝

  ワセダに入学した後は、1年生のときからチームの主力として活躍。一人一人の勝敗がチームの明暗を分ける、大学の団体戦の怖さを知った。自分が負けても、誰かが勝てばまだ可能性はあると思っていた高校までとは意識が変わる。一から十までアドバイスしてくれる人はいない。自分で考えて、一戦一戦へ強いこだわりを持って臨まなければならなかった。団体戦でのチームへの貢献はもちろん、個人戦でも古賀輝はその卓越した腕前を披露する。1年生の秋、いきなり頭角を現した。インカレのシングルスで2位になり、ダブルスでは優勝を果たす。その後も、インカレや全日本総合選手権といった大きな大会で次々と上位に食い込み、存在感を示していく。徐々に、自分に自信が持てるようになっていった。

 かつてはプレッシャーを感じていた団体戦も、「自分が出て勝ちたい」と思うようになる。シングルスかダブルスのどちらかに絞る選手も多いバドミントンで、古賀輝はその両方に出場し続け、チームをけん引した。主将として迎えたインカレの団体戦では、準決勝で宿敵・中大と対戦。いつも悔し涙を流していた相手だった。オーダーに変化をつけた作戦が勝利のカギとなり、激闘を制する。古賀輝は床に倒れ込み、全身でその喜びを表現。チームメイトも主将の元に駆け寄って、みんなで喜びを分かち合った。いつでも団体戦での勝利を熱望していた古賀輝。常にみんなをまとめるよう心掛けた、主将の思いが実った瞬間である。決勝戦では敗れ2位に終わったものの、準決勝での中大への勝利は大きな意味を持つ。応援やベンチの外の選手のサポートも含め、チーム全員で一丸となったからこそ、その一勝をつかむことができた。個人戦でも、ダブルスでインカレ覇者に返り咲き、シングルスでは全日本総合で3位に入るという快進撃を展開。ワセダでの4年間で冷静さを身に着けたというワセダのエースは、大学のバドミントン界でその名をとどろかせるほどの実力を手にした。

 卒業後は、齋藤と共にNTT東日本に進む。「二人でもっと上を目指し、世界で活躍したい」。二人共同じ思いを抱き、同じ道を選んだ。大学時代、団体戦へ強いこだわりを持ち続けた主将。これからは実業団の一員として、会社を背負って戦っていく。チームへの貢献を誓うと同時に、個人としては世界を見据えている。古賀輝には、ずっと前から変わらない夢がある。それは、オリンピックに出場してメダルを取ること。齋藤とのダブルスで大学生の頂点を極めた古賀輝は、次は世界の頂点を目指して新たな一歩を踏みした。

(記事 橋本望、写真 佐藤亜利紗)