園田女大に完敗 無念の初戦敗退

女子ソフトボール
TEAM
早  大
園田女大 ×
●宮川、常盤、泉―大内
◇(二塁打)武内

 4年生にとって集大成である全日本大学選手権(インカレ)。その初戦で、ワセダは西の強豪・園田女大と対戦した。天候の影響により3時間近く遅れて始まったこの試合。学生日本一を目指すためにまずは勝たなくてはならない一戦だったが、試合は終始園田女大のペースで進んでいった。初回、先発の宮川眞子(スポ2=福島・帝京安積)が2点を失う。その後も投手陣が力投するものの相手の強力打線に続々と追加点を許す展開に。反撃も5回の1点のみにとどまり、あえなく敗戦。初日でトーナメントから姿を消し、優勝を目指す戦いは早くも終わりを告げた。

 これまで徹底して鍛え続け、力を付けてきた打線もこの日は勢いをつけられなかった。初回、角頼遥香(社2=千葉経大付)が中前へ力強いライナー性の当たりを返し出塁するも、後が続かず無得点に終わる。園田女大を追うかたちになった2回以降も、相手先発のテンポの良い投球に翻弄(ほんろう)され流れを生み出すことができない。苦しい展開が続く中、好機が訪れたのは5回。この回から登板した相手投手の立ち上がりを攻めた。石川沙恵(社4=静岡・常葉学園菊川)が左前安打で出塁すると、武内有紀(スポ3=埼玉・星野)が大きな二塁打を放ち1死二、三塁とする。続く高橋あゆみ(教3=神奈川・厚木商)が死球でつなぐと、打席には一番・斉藤みく乃女子副将(スポ4=埼玉・星野)。4球目を思い切り振り抜くと打球はセンター方向へと勢い良く飛んでいく。惜しくも中堅手に捕球されたものの、タッチアップで三塁走者の石川が生還。ワセダは貴重な1点を奪う。応援もこの日一番の盛り上がりを見せここから反撃開始かと思われたが、以降打線はつながらずこの回は終了。生まれかけた勢いを完全に断ち切られたワセダは6、7回と三者凡退に終わり、園田女大の投手陣を相手に思うような結果を残すことができなかった。

唯一の得点となる犠飛を放った斉藤

 インカレ初戦という重要な試合で先発を任されたのは2年生の宮川。緊張からか先頭打者を四球で出塁させてしまうも、続く打者を内野ゴロに打ち取り1死一塁とする。ここでペースを取り戻したいワセダ。しかし味方に失策が出ると、流れは一気に園田女大へと傾いた。相手4、5番に連打を浴び、この回2点を失う。宮川は以降も相手打線に流れをつかまれたまま2回途中で降板し、マウンドには3年生の常盤紫文(スポ3=千葉・木更津総合)。常盤は2回を無失点に抑えると、続く3回も打者2人を鮮やかに打ち取る。順調に思われたが、園田女大の猛攻は2死からだった。連打で走者を2人溜められると、相手はここで代打を送り込む。この打者をカウント2-2と追い込んでから、6球目。大飛球は無情にもレフトフェンスの向こう側へと消え、試合を決定づける3点本塁打に。常盤は4回にも1点を失い、2死を奪ったところで無念の降板。力投した後輩2人の思いを受け継ぎ、ついに泉花穂(スポ4=香川・高松南)がマウンドに上がった。緩急交えた投球で園田打線を打ち取っていく泉。6回には長打や暴投などがあり多少リズムを崩したものの、泉らしい投球スタイルで最後までマウンドに立ち続けた。

最後のマウンドで力投した泉

 主力の4年生が抜け、芹田泉紀女子主将(社4=千葉経大付)を中心に新しいチームが始動した1年前。「スター選手がいない」と言われていたチームはそれから大きな変貌を遂げてきた。課題であった打撃を吉村正監督(昭44教卒=京都・平安)の指導の下徹底的に鍛え直すと、チーム全体の打力が飛躍的に向上する。それまでも抜群の安定感を誇っていた投手陣と力強さを手に入れたワセダ打線。冬を越えた時、ワセダは投打のバランスが取れたチームに生まれ変わっていた。勢いそのままに春季リーグ戦では優勝を果たし、確固たる自信を得た。東日本大学選手権では悔しさも味わった。さまざまな経験を経てつくり上げてきた技術と団結力を兼ね備えるチームで臨んだ今大会。それでも優勝には手が届かなかった。インカレ優勝までの道は厳しさを極める。そのことを身をもって味わった後輩たちがいま、4年生の悔しさを胸に刻み悲願達成に向けた新たな戦いへ挑んでいく。

(記事 土屋佳織、写真 中丸卓己、吉田安祐香)

※掲載が遅くなり、申し訳ありません。

コメント

吉村正監督(昭44教卒=京都・平安)

――実際に戦って、園田女大の印象はいかがですか

完敗です。強かったですね、立派でした。しっかりといい練習をされていて、監督さんもしっかりご自分で鍛錬されていて向上心があって。彼の将来も非常に楽しみです。その人がきちんとした指導をされて、隙がなかったです。完敗です。

――女子部の選手たちの戦いぶりはいかがでしたか

一生懸命やってくれましたので、満足はしていませんが納得はしていますね。勝負っていうのは勝ったり負けたりですから。人によっては4年生の泉を先発させた方が良かったんじゃないかというような考えを持つ人もいますけども、泉というお姉ちゃんの存在がものすごく大きくて、それをまねして育っている下級生の素晴らしいピッチャーがいますから、うちのエースの泉はやっぱり出せなかった。それで東日本(東日本大学選手権)でもあれだけの好投をして、最近絶好調の宮川(眞子、スポ2=福島・帝京安積)を行かせた。2年生だけど一生懸命投げてたと思いますね。一言「フォアボールはあかんぞ」という話はしましたけども、泉の代役だから一番バッターにフォアボール出すのもやむを得ないと思いますね。常盤(紫文、スポ3=千葉・木更津総合)も、宮川と二人でこの試合は抑え切って、翌日の試合は絶対泉を先発させると必死だったんですけども、必死だからといって勝てる甘いもんでもないのでね。でもその必死さは間違いなく私の方に伝わってきたのでね。いまは爽やかですよ。もちろん負けた時は悔しかったけどもね。その日の夜のミーティングでも言いましたけども、「責任は全て私にある」とね。みんな一生懸命やってくれましたよ。120パーセントやってくれました。

――その中でも4年生の皆さんの存在はいかがでしたか

素晴らしいですよ。最後の日まで成長しようという気持ちを持ってくれていたんですね。それがうちの部の一番の特徴、長所かなと。高校の実績だけで1、2年は活躍するんだけども3年からはあまり活躍できない、というのもよく見掛けるんですが、うちはそういうのはあり得ない。早稲田大学という素晴らしい場所で、たくさんの恵まれた環境をいただけているおかげで最後の最後まで成長できてましたよね。これからはみんな思い通りの就職先に行きましたのでね。それはゲームの前に4年生がくれたビッグプレゼントでしたね。本当に最後の最後までよくやってくれました。

――これからの女子部についてはどういったお考えをお持ちでしょうか

ワセダというのは難しい受験、難しい大学なので、入ってくれないと分からないんですよね。だからどうなるかという見通しはなかなか立てられないんだけども、スポーツ推薦で一人、自己推薦で何人か、ソフトボール選手に入ってもらって、一般入試で入る子は早稲田大学の中で育ってもらってというようにやっていけば、強いチームとも互角に戦えるんじゃないかなと思いますね。

芹田泉紀女子主将(社4=千葉経大付)

――最後のインカレでしたが、主将として振り返っていかがでしたか

初戦の相手が園田と決まってからは園田に勝つことだけを考えて練習してきたので、率直に悔しいの一言に尽きますね。チームとしてベストを尽くして勝てなかったので、しょうがないとは言いたくないですが、一歩及ばなかったということはまだまだ足りない部分もあったのかなと思います。

――やはり園田女大は強かったですか

そうですね。

――どういった点が及ばなかったでしょうか

チームとしての総合力は負けていない自信があったので、そう考えるとやはり一人一人の能力の差はあったのかなと思います。

――芹田選手ご自身の結果は振り返っていかがですか

はい…(笑)。たくさんの方々に応援していただいて期待もしていただいていたんですけど…。やっぱり自分としてはいい結果を出すこともできなかったですし、チームに貢献することも最後はできなかったので。チームのために「勝ちたい」と思っていたんですけども、チームのために何かをすることができなかったので、やっぱりちょっと後悔は残っています。

――やり切ったという思いはありますか

そうですね、その思いはあります。ここまでやってきたし、全力でやってきたので。結果が出なかったというのは自分としてもいただけないんですけど、いま自分が尽くせる限りのベストは尽くしたつもりです。

――この4年間は芹田選手にとってどういったものでしたか

2年生のころからインカレにも出させていただいた中でやはり最後のインカレは思い入れもありましたし、自分自身でもソフトボールをするのは大学で最後と決めていたので、本当に最後は悔いのないようにやろうと思ってプレーしました。1、2年生のころは後輩だったので先輩についていくのもやっとでしたし、その時もあまり貢献はできなかったと思います。やはり後輩のころは先輩の「インカレ優勝するぞ」という思いにまたまだ及ばなかったと思いますし、逆にことしはその思いが少し空回りしてしまった部分もあったのかなと思います。

――4年生ではケガで出場できない時期もありましたが

正直、私たちの代のチームは誰が試合に出てもそんなに変わらないというような状況だったので、私がいなくてももちろんチームは勝てますし、でも自分が試合に出て勝つというのがベストなかたちだと思うんですけど。全体として一歩引いて見たときに、どんなかたちであれチームが勝つのが一番というのをチームから離れたときに思ったので、最後ももし自分が活躍できなかったとしても、チームが勝ってまた一戦このチームで試合ができたらそれでいいなと思っていました。でも結果としては負けてしまって…。

――主将としての最後の一年はいかがでしたか

いつかの取材で言ったかもしれないですけど、そういう主将という役割になることがいままでのソフトボール人生でなかったので、最初は本当にどうしたらいいか分からなくて。いろいろな人に聞いたり、先輩に聞いたり同期に助けを求めたりもしたんですけど、最終的にやってよかったなと思っていて。これだけたくさんの個性的なメンバーがそろっている中で、チームをまとめるのもそうですし、引っ張っていかなきゃいけないし、でも支えなきゃいけないし、っていうたくさんの責任と役割があるというのを経験させてもらえたというのは、本当に一人の人間として成長できたと思います。

――お話にも出ましたが、同期の存在は芹田選手にとってどのようなものでしたか

いまとなって言える話もたくさんあると思うんですけど、やっぱり一緒にいて楽しかったですし、それでいて頼もしい仲間たちだったなと思います。

――これからは後輩たちがチームを作っていきますが、後輩に向けてメッセージなどは

私たちはインカレ優勝できなかったので、本当に次こそ優勝してほしいというのが一つ。もう一つは、高みを求めるということはすごくいいことだと思うんですけど、自分にできる最大限のことを精いっぱい全力でやれば結果はついてくる、というふうに思っているので、後輩にもそういう思いでこれからプレーしてもらえたらありがたいなと思います。

――今後ソフトボールを続ける予定はもうないということでしょうか

はい、やらないです。大学でおしまいです。小学生のころは野球だったので中学からソフトボールだったんですけど、その球技人生15年間やってきた中で自分が生きている半分以上の時間、野球なりソフトボールなりをしてきたので、これからそれがなくなってどうしようかなと思っているところはありますね。でも心から「やって良かったな」って思える日がきっと来ると思うので、その日までひそかに暮らそうかなって思います(笑)。

――最後に、芹田選手にとって早大ソフトボール部とはどのような場所でしたか

やっぱり一番は、自分を大きく成長させてくれた場所かなと思います。高校生と違って大学生は自分で考えてプレーしなければいけないことも多いですし、それに加えて最後の年は主将もやらせていただいて、自分のことだけじゃなくて周りのことも見なければならないし、いままでは考えなかったことをたくさん考えるようになりました。いままでなかったことを新たにやるということはこれまでの経験上なかったことですし、これからもそうそうあり得ることではないかなと思うので、大学のこの四年間が一番自分が成長できた場所かなと思います。自分が後輩の時はたくさんの尊敬できる先輩方もいましたし、頼もしい仲間もいましたし、支えてくれる後輩もいて、さらに信頼できる吉村先生もいた中で、四年間この部でソフトボールを続けられたというのは本当に良かったなと、しみじみ思います。

斉藤みく乃女子副将(スポ4=埼玉・星野)

ーー最後のインカレはいかがでしたか

私自身としてはやりたいことができたので、納得のいく終わり方でした。

ーーそれはご自身のバットから犠飛で打点を挙げることができたということですか

そうですね。今までは特性や打法の関係上、走者を還すバッティングは出来なかったのですが、4年生になってから先生のご指導をいただいて、走者が出た際に代打を出されるのではなく打たせてもらえるように練習してきました。その成果が出たと思うので満足しています。あの打球がもっと伸びて適時打になれば最高だったのですが、それが今の実力なので今の実力は最大限に出せたと思います。

ーー敗れた園田女大についての印象はいかがでしたか

組み合わせが決まった1ヶ月前から映像でピッチャーの特徴を分析して対策してきたのですが、実際に打席に立って見た球はこちらのイメージ以上で驚きがありました。それと、打線が魅力のチームなので圧倒されてしまいました。

ーーこれまで1番打者として打線を牽引してきた斉藤選手ですが、何を意識して打席に立ってきましたか

1番にも様々なタイプがあると思います。ワセダは先攻を選ぶことが多く、初回の攻撃が大事です。そのため、最初に打席に立つ私が相手投手の球を皆に見せたり、球数を多く投げさせるいう役割はもちろん、初回に出塁することを目指してきました。また、私の場合は2番の角頼とのバランスを重視していて、私が球数を投げさせたら角頼は積極的に打ちにいく、私が出塁出来なかったから角頼が出塁するというように声を掛け合っていました。

ーー外野の要である中堅手として外野手をどのようにまとめてきましたか

外野手はポジショ二ングが大事なので、一球一球ポジショ二ングには気を配るようにしていました。左翼手と右翼手には頻繁に声を掛けていたと思います。

ーー今年からは副将という役割も加わりましたが、何を意識してチームを牽引してきましたか

チームの統率は主将の芹田に任せていたので、私は試合の中でリーダーとして引っ張ろうと意識してきました。

ーーこれまで一緒に汗を流してきた同期の仲間たちの存在についてはどのように考えていますか

それぞれ個性はありますが、同じスポーツで汗を流し同じ目標に向かって努力してきたからこそ、まとまることができたと考えています。

ーーこれから新チームとして新たにスタートを切る後輩たちに伝えたいことは

4年生にならないと最後のインカレにかける思いやそこから出る力の大きさは分からないと思いますが、最後だけではなく4年間通して悔いが残らないように頑張ってほしいです。

ーー大学卒業後もソフトボールを続けますか

いえ、ソフトボールをプレーすることはありません。

ーーでは、今後は競技から離れるわけですが、これまでの競技生活が今後の人生にどのように生きてくると考えていますか

ソフトボールを通してプレーだけではなく、人間関係など数え切れないたくさんのことを学びました。それらに加えて吉村先生の教えは今後も絶対に生きてくると思います。

ーー最後に、斉藤選手にとってソフトボール部はどんな場所か教えてください

高校までは打球を転がして脚力を生かすというプレースタイルだったのですが、大学からボールが皮のボールに変わったことで遠くに飛ばす楽しさを知ることができました。そういった意味で私の可能性を広げてくれた場所です。

石川沙恵(社4=静岡・常葉学園菊川)

――最後の全日本大学選手権(インカレ)を終えたいまの気持ちは

私個人としてはやり切ったという思いだけです。

――初戦から強豪・園田学園女大との対戦でした。戦ってみた印象は

やはり強かったですね。これまでも練習試合をしたりビデオを見たりしてなんとなくイメージはつかんでいたのですが、やはりいざ前にして戦ってみると強かったです。

――ソフトボール部での4年間を振り返って

私は初め大学でソフトボールをやる気はなくて、4月の間はいろいろなサークルを見たり、部活を見たりしていたのですが、やはりソフトボールをやりたいなと思って5月に入部をさせてもらいました。いま引退してみて、あの時ソフトボール部に入って本当に良かったなと思っています。

――主務と選手を兼ねて活躍された最後の1年間はいかがでしたか

最初に、秋の関東の大会から主務として時間配分のミスをしてしまって、ミスから始まった主務の1年だったのですが、実は最後のインカレの出発の時にも時間の調整のミスをしてしまって、最初から最後まで主務としてはミスばかりだったなと思うのですが、いろいろな人に支えられて主務も選手も兼任してやってこられたなと、感謝の気持ちでいっぱいです。

――選手と主務を兼ねる苦労はありましたか

やはり主務の仕事をしていると、全体の練習に参加できないことが多くて、自分がみんなから遅れてしまうのではないかと不安でした。3年生までレギュラーとして確実に試合に出ていたわけではないので、試合にも出たいけど主務の仕事もしっかりやらないとと自分の中で葛藤もあったのですが、やはり主務として選挙で選んでもらったからには主務の仕事もきちんとやらなければ選手としての道もないなと思いました。なので一生懸命に主務として取り組んでいました。

――今後ソフトボールを続ける予定は

いまのところはないです。

――同期の4年生はどのような存在ですか

先程も言った通り、私は1か月遅れでソフト部に入って、私は本当に人見知りで初めての環境に慣れるまでに本当に大変なのですが、同期のみんなが温かく迎えてくれたのがいまでも印象に残っています。本当に良い同期だなとその時思ったことをいまでもよく思い出します。

――後輩の皆さんへのメッセージをお願いします

勝ってほしいというのがいま一番の思いです。3年生はこれから最上級生になって役職も就いて、最初は戸惑うこともあると思うのですが、らいねんのインカレで勝つために全員でこれから頑張っていってほしいです。

――石川選手にとって早稲田大学ソフトボール部はどのような場所でしたか

常に挑戦の場所だったかなと思います。最初に高校までやって大学ではやめるつもりだったけどソフトボール部に入ろうと思ったことも挑戦でしたし、入った時にも半年以上のブランクがあったのでそこからもう一度挑戦でしたし、最初の試合に出られない頃は選手として試合に出させてもらうというところも挑戦で主務になってからも新しいことがたくさんあって、一瞬一瞬が挑戦の場でそのおかげ成長できたなと思える場所でした。

重松愛実(スポ4=東京・鷗友学園女子)

――最後のインカレはいかがでしたか

正直優勝というよりも、一回戦の園田戦にかけてやってきたので、なんとも言えないといいますか…。

――対戦してみて、園田の印象はいかがでしたか

一度、5月ぐらいに練習試合でやったんですけど、そのときも5-1かな?それぐらいの点数で負けて。そのときは点差は開いてたんですけど、そんなに実力の大きな差を感じたわけではなくて、やっぱり最後は気持ちといいますか、全体的なチームの団結力で差があると思って、そういう点で、やっぱり園田のほうが上だったのかなと思いました。

――ソフトボール部の4年間を振り返っていかがでしたか

私はこの学年でも唯一一般入試で入学してて、1年生のときに左膝を怪我して全治1年ぐらい、手術とかもして、1年くらいプレーできないときがあったので、あんまりプレーで自分がレベルアップできなかったなっていう気持ちもあって、自分のチームにおける存在価値っていうのをずっと探し続けてた4年間だったかなあって思います。

――それは、最後にはどのような結論などは

最後は、紺碧隊っていう応援の隊長として、みんなを応援して盛り上げていこうっていうふうにやっていました。

――学連としての最後の1年間はいかがでしたか

初めて運営側っていうふうに回って、今まで参加するチーム側としてしかリーグ戦などの大会とかは参加してなかったんですけど、運営側に初めて回ったことで、いろんな人に支えてもらって私たちがソフトボールできてるんだなっていうのをすごい実感しましたし、ただプレーするだけではなくて、「見せるソフトボール」っていうのを学んだというか、自分たちがするだけじゃなくて、他の人にも楽しんでもらうっていう視点が、新しく学べたかなって思います。

――捕手をされていましたが、今まで投手の球を受けていてどうでしたか

皆どんどん上手くなっていって、球種も増えていって、球速も速くなってるのがすごく実感できて、特に最後であれば宮川(眞子、スポ2=福島・帝京安積)とかもすごくスライダーも曲がるようになってましたし、常盤紫文(スポ3=千葉・木更津総合)も最初入学したときは、ほんとにストレートが速いピッチャーっていうのが、それだけだったんですけど、変化球とかもどんどん投げれるようになって、更に球速もどんどん上がってすばらしいピッチャーになったと思いますし、同期の泉(花穂、スポ4=香川・高松南)も、初めから自分の武器であったピールドロップとチェンジアップっていうのがどんどん磨きがかかって、いいピッチャーになっていってるのをすごい実感できて、すごくうれしかったです。

――同期の存在はどのようなものでしょうか

みんなすごい個性的で、まとまればすごい強いんですけど、まとまらないこともあったりとかもして、すごくいろいろあったんですけど、最後に園大と戦って、負けてはしまったけど、みんなで一緒に戦えたかなっていう気持ちはあります。

――後輩へのメッセージをお願いします

後輩たちはみんなほんとにいい子で、私たちのためにプレーしてくれて、すごい感謝してるので、私たちのこの学年の悔しさを武器に、どんどんもっと上を目指して、インカレ優勝を目指して頑張ってほしいなって思います。

――今後の進路はお決めになりましたか

(ソフトボールは)もう続けないです。

――最後に、ソフトボール部とは重松選手にとってどのような場所ですか

ソフトボールだけじゃなくて、人としてすごく成長できる場所だったかなって思います。

泉花穂(スポ4=香川・高松南)

――初戦敗退という形でインカレが幕を閉じました

後輩が先発だというのは前日に吉村先生と決めていたので、後輩を信じてチームを信じて最後まで試合をできたかなと思っています。

――6回にはリズムを少し崩されていたように見えましたが、緊張はされていたのでしょうか

いやあもう、めちゃくちゃ緊張してました、ずっと(笑)。試合が始まる前までは緊張しなかったんですけど、試合が始まって私がずっと一緒に練習してきた後輩が先発なのでそこから緊張して。私は吉村先生に「園田女大戦で登板するか分からないからあしたに備えておけ」と言われていたので投げることはないだろうと思っていて。いきなり吉村先生に「行くぞ」と言われて、もうすごく緊張して足がすくんで、でもそれを相手に見えないようにチームに見えないように投げた結果が、6回の暴投です(笑)。

――先発に宮川眞子(スポ2=福島・帝京安積)選手を起用した理由は

私の2歳上の姉が園田女大のソフトボール部にいた時にインカレ2連覇していて、姉と私のピッチングが投げ方もボールも似ているということで、園田女大は私のボールは慣れているんじゃないかと。なので吉村先生と関西にはいないようなドロップ系の宮川だったりライズ系の常盤(紫文、スポ3=千葉・木更津総合)だったりを使っていこうと決めました。

――宮川選手、常盤選手の投球を見ていていかがでしたか

宮川は2年生で常盤は3年生で、試合当日の朝に「お前らで行くぞ、頼むぞ」と言ったのでたぶんすごく緊張していただろうし、4年生の最後の大会で先発を任されてすごく不安だったと思うんですけど、私が2年生だったら手足が震えてストライクが入らないぐらい緊張すると思うので本当に良く投げてくれたなと思います。

――最後のインカレを振り返って

負けはしましたけど、後輩たちは大きい舞台を経験したのでらいねんは常盤のために宮川に投げてほしいし、次ワセダに入ってくる子たちにも先輩のために頑張ろうということを受け継いでいってほしいです。

――インカレという大会への思いは

私はずっとインカレでは負け投手というか、点が入る場面は私がマウンドに立っていたんですけど、今回も最後負けた時は私がマウンドに立っていて。私にとって一番悔しい思いができる場所です。

――一番近くで練習を続けてきたバッテリー陣の後輩の皆さんへ伝えたいことは

常盤はらいねんが最後の年なので悔しい思いはしてほしくないので、できることは何でもやって園田女大に勝ってねと言いたいです。宮川とかの後輩にはやっぱり先輩のために、爪がはがれて血が出ても(笑)、頑張って投げぬけよと言いたいですね。大内(佳那、スポ3=千葉・木更津総合)は、3人のピッチャーそれぞれ球種も違って交代するごとに組み立てを考えなきゃいけなくて大変だったと思うんですけど、このわがままなピッチャー陣を本当に良くまとめてくれたなと、ありがとうって言いたいです。

――同期の皆さんへ伝えたいことは

園田女大戦には4年生みんなで出場して試合したかったという思いがあります。いままで私が緊張しないように話しかけてくれたりだとか面白いことを一緒にやってくれて支えてくれたので一番同期に感謝しています。

――後輩の皆さんへ伝えたいことは

とにかく一戦一戦絶対に勝って、先輩のために後輩のためにチームのために頑張ってほしいです。

――4年間を振り返って

一言で言うと楽しかったなと思います。充実した4年間を過ごせて、こんなにソフトボールが楽しいなと思う部はワセダだけなので、吉村先生にもありがとうございましたと言いたいですし、本当に楽しい時間を過ごせたと思います。

――今後競技を続けられる予定は

日立製作所で続けます。日立ソフトボール部には姉がいるので、そこで姉と一緒に。

――泉選手にとってワセダのソフトボール部はどのような存在ですか

家族ですかね。本当に何でも見せあえるので、泣き顔とかすごくぐちゃぐちゃな顔とかも鼻水とかも全然みんなに見せられるので、家族みたいな感じですね。

鹿野亜矢(社4=岐阜・多治見西)

――最後のインカレはいかがでしたか

あっという間に終わってしまったな、という感じです。やっぱり、勝ちたかったというのが今一番の感想です。

――最後の試合で代打出場されましたが、どのような気持ちでしたか

何とかして出てチャンスを作りたいなと。最後の打席だと思っていたので、思いっ切り振れたらいいなと思って(打席に)入りました。

――鹿野さんにとってどんな4年間でしたか

今までずっとソフトボールをやってきましたが、一番楽しく、一番考えてソフトボールができた4年間だったと思います。

――芹田選手の離脱で代わりに出場していた時期は、どのような気持ちで試合に臨んでいましたか

やっぱり芹田の存在は大きかったので、それに負けないように頑張らないとなと思っていました。できたかどうかはわからないんですけど(笑)。

――鹿野さんにとって同期とは

個性が本当に強くて、色々なことを教えてくれた大切な仲間です。

――後輩に向けて一言お願いします

後輩には色々助けてもらったりして、もっと長くソフトボールをしていたかったんですけど…。早稲田でしかできないソフトボールがあると思うので、どんどんうまくなってもらって、次こそインカレ優勝してもらいたいです。あ、後輩大好きです(笑)。

――今後ソフトボールを続ける予定は

ありません。もう十分やり切ったので。

――最後に、鹿野さんにとってソフトボール部とはどんな場所だったのか教えてください

他の大学では絶対にできないことを経験させてくれた、人生に幅を持たせてくれた部活だと思っています。

養田麻里菜(スポ4=千葉・木更津総合)

――インカレお疲れさまでした。インカレを終えて、今の気持ちを教えていただけますか

この夏園田女大と戦うことだけを考えてきて練習を重ねてきたので、結果は負けてしまったのですが、全力は出せたのかなと思います。みんな緊張していたのと、時間が押していたのもあったなかでみんな全力は出せたのではないかと思いますが、力不足な部分もあったので、次の後輩はがんばってほしいと思います。

――養田選手がサードとして出場された園田女大との試合はどのような戦いでしたか

先発が後輩だったので後輩を助けることを考えてやったのですが、ミスもしてしまって、そこから流れも悪くなってしまった部分もありました。でも試合が終わるまでは絶対に負けない気持ちで前向きに強気に攻められたかなと思います。

――ソフトボール部として活動された4年間全体をふりかえってみてどのような気持ちですか

毎日充実した日が送れたと思います。吉村先生のもとでやったことによってソフトボールのことだけではなく、4年間を通じて人間としても大きく成長できたと思います。最後のインカレは負けてしまったのですが最後も得られるものがたくさんあったので、これから社会人になっていくにあたってこれまでの4年間を強みにこれからも頑張りたいです。

――養田選手はシーズン前半、芹田主将が離脱してしまったときも内野手のキャプテン的存在としてチームを引っ張られていましたが、4年生として過ごした最後の1年はどのような年でしたか

新チームになってから自分自身試合の軸になって引っ張っていくんだという強い意志があったので、最初の頃から芹田が怪我とかが続いて出られなくなったときは自分が引っ張っていこうというと。だから今年の1年は誰にも負けないで頑張ろうという強い意志を持っていました。

――養田選手がソフトボールをするにあたって何か心がけていたことはありますか

自分自身守備が得意なので、守備でチームを引っ張るという軸は4年間曲げずにやってきました。

――4年間ソフトボール部として活動されてきて、同期の4年生はどのような存在ですか

自分たちの代はすごく個性が強いと思います(笑)。その中でキャプテンを始めとしてたくさんの同期に助けられてきたので、本当にこの同期で良かったなと最後の最後まで思いました。

――ソフトボールは卒業後も続けられる予定ですか

土日にクラブチームでやろうかなと思っています。

――後輩に向けて何かメッセージがあれば教えてください

大きな目標を持って、目の前のことに頑張り続けてほしいです。あと自分の強みや軸をしっかり持って、これからも頑張ってほしいと思います。

――養田選手にとってソフトボールとはどのような競技でしたか

自分にとってソフトボールは生きがいでもあって、小学校1年生のときからやって16年目なので、パートナーのような、相棒のような感じでしたね。