【連載】『令和3年度卒業記念特集』第49回 澤優輝/男子ソフトボール

男子ソフトボール

出会い

 男子ソフトボール部主将の澤優輝(人=東京・國學院久我山)が早大での4年間でマスクを被った試合は公式戦だけで50試合に及ぶ。ソフトボールを始めたのは大学からだが、下級生時からレギュラーとして活躍し、最終学年では主将・四番・捕手と3つの重責を担った。扇の要としてチームを引っ張り続けた澤の4年間の歩みをそのルーツとなった野球人生と共に紐解く。

 小学1年生の時に友人の誘いで野球チームに加入し、澤の野球人生はスタートした。中学時代には硬式野球チームに所属し、3年時には主将を任された。この経験が男子ソフトボール部で主将を務めた際にも活きたという。高校時代は強肩を見込まれ、それまでの捕手から投手に転向。神宮のマウンドにも上がるなど、主戦投手を担いながら、登板がない時はソフトボールでも見せたパワフルな打棒を武器に外野手として出場することもあった。

 野球にまい進する傍ら、勉学も怠らなかった澤は一般入試で早大に入学。通学する所沢キャンパスを練習拠点とする男子ソフトボール部に出会う。野球の硬球に似た打感や野球以上のスピード感など初めて体験したソフトボールという競技に魅了された上に、入部当時3年生だった川上卓也(令2スポ卒=現・新見城山クラブ)が大学日本代表に選出されたことや、OBだけでなく現役部員からも多数の国体出場選手を輩出していることを知り、さらに上のレベルを目指すことができることから入部を決意した。

 入部後、捕手不足というチーム事情と野球での経験を買われ、捕手に挑戦。1年時の秋季リーグからレギュラーの座を掴み、上級生の投手陣に食らいつきながら経験を積んだ。そうして迎えた2年時に澤のソフトボール人生は大きなステップアップを遂げる。春季リーグでは前年の全日本総合選手権(全総)を制覇した日体大を完封するなどの活躍を見せると、続く全総予選でも攻守で輝きを放ち、14年ぶりの全総本戦出場に貢献した。また、この時のプレーが関係者の目に留まり、国体の東京選抜チームに選出される。学生最強チームである日体大の選手を始めとして、選抜チームは全国の舞台で活躍する精鋭で構成された。そういった今までとは異なった環境で澤はプレーの精度だけでなく、ソフトボールへの姿勢や考え方に大きな刺激を受けた。その後、秋季リーグでは初の個人タイトルとなる首位打者を獲得。個人として充実した1年を過ごした。その一方でチームとしては春秋のリーグ戦、東日本大学選手権、全日本大学選手権(インカレ)で日体大に優勝を阻まれ、日体大が大きな壁となった1年であった。澤自身も日体大への意識は4年間常にあったという。

 さらなる飛躍と打倒日体大を期した2020年。しかし、新型コロナウイルスの蔓延という未曾有の事態に見舞われる。多くの大会やリーグ戦が中止となり、実戦経験が積めないまま臨んだ全国大学選抜男子選手権(インカレ代替大会)ではまさかの初戦敗退を喫す。この大会で捕手、そして4番を務めながらなにもできなかったという後悔と現状の危機感を感じたことが大会の開催が不透明な中でもモチベーションになった。

試合中に笑顔を見せる澤

 インカレ代替大会終了後、澤は部員内の投票により新チームの主将に就任する。男子ソフトボール部は平日は選手のみで練習を運営するため、主将がチームの色を決めるといってもいいほど主将の担う役割は大きい。そして澤は前チームのレギュラーの大半が4年生であったことから、1からチームを作るということをテーマに冬の練習に臨んだ。コロナ禍で全体練習に制限がかかる中、それまで強制力のなかったウエイトトレーニングを曜日でメンバーを指定し、メニューも一新してフィジカルの強化に努めた。グラウンド外でも様々な世代のOBからオンラインで話を伺う機会を設けるなど、新たなチャレンジも行い、チーム力の向上を目指した。そうした取り組みに手応えを掴んで迎えた4年時の春季リーグではリーグ戦初登板の投手陣を引っ張り、チーム防御率はリーグ2位を記録。日体大と接戦を演じるなど、確かな自信を得ることができた。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により早大は春季リーグ後、複数の大会の出場を辞退することを決断する。選手の中でフラストレーションが溜まる中であくまで目標はインカレ優勝ということを選手たちに、そして自分自身に言い聞かせ、チームの団結を図った。この時期が澤が主将を務めた中で1番難しい時間だったと振り返る。打倒日体大の最後の機会となったインカレでは大学ナンバーワン左腕との呼び声の高い海邉和也を擁する福岡大に準々決勝で敗れ、日体大へのリベンジを果たすことはできなかった。しかし、そうした結果以上にこの1年間で得られたものはとても多かったという。目標が明確になりにくい中でチームとしてモチベーションを維持するという難しい経験をできたというのは自分にとって大きな財産になったと澤は語る。難しい問題に葛藤しながら対処する時間が自らの大きな成長につながった。

 「出会い」。澤は自身の4年間の大学ソフトボール生活をこの一言で表した。ソフトボールという競技との思いがけない出会いから始まった4年間は4人の同期や先輩、後輩といったチームメイト、指導者やOBとの出会いなしでは語れないという。人との繋がり、縁の大切さを学んだ4年間だった。

 澤は目標であった日本代表選出を目指し、今後も一般企業に勤務する傍ら実業団チームで競技を継続する予定である。男子ソフトボール部での4年間の出会いを糧に世界にはばたく澤の今後に期待せずにはいられない。

  1. (記事 星野有哉、写真 杉崎智哉)