TEAM | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 計 | |
関 大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
早 大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | × | 5 | |
○松木、吉田尚―沓澤 ◇(本塁打)大嶋、吉田享 ◇(二塁打)今村 |
TEAM | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 計 | |||
環太平洋大 | 0 | 1 | 3 | 2 | 0 | 6 | |||
早 大 | 3 | 3 | 1 | 6 | × | 13 | |||
(5回コールド) ○松木、吉田尚―沓澤 ◇(本塁打)大嶋2、金子2 |
全日本大学選手権(インカレ)最終日、ワセダはまず準決勝で関大と対戦。両チームとも無得点のまま迎えた5回、吉田享平主将(スポ4=群馬・中央中教校)と大嶋翼(スポ3=群馬・新島学園)の連続弾などで5点を奪う。投手陣がこれを守り切り、危なげなく決勝へと駒を進めた。学生日本一を決める戦いの相手は環太平洋大。先制を果たしたものの、7―6と追い上げられた4回。ワセダは一挙に6得点を挙げる。直後の5回を途中から登板した吉田尚央(スポ1=長崎・佐世保西)がしっかりと締め、コールド勝ち。インカレ3連覇の栄光を、鮮やかな勝利をもってつかんだ。
準決勝の関大戦、ワセダは相手投手の前になかなか得点を奪えない。3回には先頭の沓澤翔(スポ4=大阪・関西大倉)、続く兼子修治(スポ4=群馬・新島学園)の連打で無死一、二塁の好機を演出するものの、続く打者が3者連続で凡退しまさかの無得点。しかし5回、ついに試合の均衡が破れる。二死満塁の場面で、打席には今大会打撃好調の吉田主将。慎重に球を見定め、6球目を振り抜いた。打球は右翼手の頭上を大きく越え、フェンスの向こう側へ。吉田主将にとってはこれで今大会2本目となる満塁本塁打。すると続いて打席に立った大嶋も左中間へ本塁打を放ち、ワセダはこの回5点を獲得する。打線の援護を受けた先発の松木俊皓(スポ2=宮崎・日向)は6回も無失点に抑え先発の役割を完璧に遂行。最終回のマウンドを任された吉田尚が相手を三者凡退に打ち取り、完封勝利で決勝への切符を手に入れた。
打撃での活躍が光った大嶋
決勝にふさわしい、一瞬たりとも気の抜けない一戦だった。初回、ワセダは金子祐也(スポ2=長崎・佐世保西)の2点本塁打、2戦連続となる大嶋の本塁打で3点を先制。2回に先発の松木が本塁打を浴び1点を失う。直後に金子の2打席連続となる3点本塁打で環太平洋大を突き放したかに思えたが、相手は西日本王者。簡単には引き下がらない。3回、4回と得点を返され、ついにその差は1点に。しかしワセダは先頭の兼子が出塁すると、打線が繋がり、次々と追加点を奪っていく。打者11人の猛攻で一挙6得点。吉田尚が打たせて取る投球で5回を無失点に抑えると、グラウンドの中心に選手たちが駆け寄っていく。ワセダが頂点に立った瞬間だった。
優勝の瞬間、マウンドに駆け寄る選手たち
誠実でひたむきな強さが、ようやく結果となって表れた。吉田主将を中心にチームが始動してから、苦しみ続けた1年間。リーグ戦や全日本総合選手権東京都予選会など、出場した大会ではことごとく1位を逃してきた。今大会の直前に行われた東日本大学選手権では連覇の記録が途絶え、インカレ3連覇に大きな不安を抱えた日もある。それでもワセダを前へと進めさせたのは、強い信念だった。「早稲田たれ」――。チームのスローガンであるこの言葉を胸に、耐えて、耐え抜いて、ついに手にした栄冠。現チームで初めてタイトルをつかんだこの日、紺碧の空に、エンジ色の花火が上がった。
(記事 土屋佳織、写真 目良夕貴、加藤万理子、藤川友実子)
コメント
吉村正監督(昭44教卒=京都・平安)
――全日本大学選手権(インカレ)3連覇おめでとうございます
ありがとうございます。
――インカレでの男子部の戦いぶりはいかがでしたか
一致団結して良い戦いをしてくれました。特に(吉田)享平(スポ4=群馬・中央中教校)を軸にして非常に良い形でまとめてくれましたね。ちょうど10日前にアメリカから帰ってきたんですけども、ああいうスケールの大きいところで人間教育がしっかりできて、二回りも三回りもチームとして立派になったと思います。ご存知のように素晴らしいピッチャーがことし3月に卒業したんですよね。その後良いピッチャーである大嶋(翼、スポ3=群馬・新島学園)が骨折して(試合に)出られないというので本当に苦しかったんですよ。(残ったピッチャーが)2年生と1年生でしょ。2年生は本当によくやってくれて、点は取られるんだけどもそれ以上に(打撃陣の)4年生、3年生、2年生たちが勝たなければいけない、勝つんだという強い気持ちを持ってやってくれたのが結果的に良かったと思います。
――男子部のこれからについて
ピッチャーを育てます。きょねん、おととしとピッチャーを育てていたのでほとんど点を取られていないじゃないですか。それで10点、15点と取ってきたわけだから、結構楽勝だった。ことしは(ピッチャーの育成を)本当に急いだんですよ。よく松木(俊皓、スポ2=宮崎・日向)がここまで付いてきてくれたと思っていて。高杉(聡コーチ、平10人卒=群馬・前橋育英)が大会に来てくれるので、「1カ月か2カ月ぶりかに(松木の投球を)見ると、もう本当に雲泥の差」ということを言っていましたね。私もその通りだと思っているんです。よくやってくれた。それと何よりもね、沓澤(翔、スポ4=大阪・関西大倉)のリードが良かった、あれが良かった。(沓澤は)隠れた大功労者です。もっと言うなら、マネジメントで柏原(祐太、スポ4=大阪・清風南海)がアメリカの遠征を成功させるための大功労者であったんですね。それで(アメリカ遠征を通じて)チーム力がアップしていったわけだけれども。そういう享平、沓澤、柏原、柏原をサポートする花岡(宏規、スポ4=大阪・清風南海)など、4年生の力が大きかったと思いますね。
吉田享平主将(スポ4=群馬・中央中教校)
――インカレ優勝おめでとうございます
ありがとうございます!
――いまの率直な気持ちは
最高にうれしいです。目標を達成できたことが最高にうれしいです。
――このチームでつかんだ初めてのタイトルです
唯一後輩に残せた結果で、最後の最後の大会で笑って終われて、っていう意味で最高の1年だったのかなと思います。
――3連覇のプレッシャーにどう向き合ったのでしょうか
3連覇のプレッシャーは確かにすごくでかかったので、プレッシャーとどう向き合うかって言ったら、最善の準備をするしかないのかなと思いました。僕ら(の代)が始まった当初から「これとこれをやっていけば勝てる」っていう信念を僕は持ってみんなに提示していたので、それを最後の最後まで遂行することで、自分たちが準備できれば、あとは負けても悔いはないっていうぐらい準備したので。そういった意味では自分を律すること、プレッシャーに勝つ準備をしてきたのかなって思います。
――環太平洋大戦は乱打戦になり、一瞬たりとも気の抜けない試合でした
こっちが先に点を取ったときも、むこうも西のチャンピオンなので、「ピンチは来るから落ち着いていこう」ということはピッチャー陣には伝えて、攻撃陣にはポイント、ポイントで仕留めるときに仕留めないとああいう打撃の良いチームは追い付いてくるので一気に畳み掛けようっていうことはベンチでずっと声出していました。
――目指してきた試合の形はインカレで達成できましたか
もともとはインカレの決勝で日体大か国士舘大に8―3で勝つって目標を掲げていたんですけど。結果として(決勝戦の)相手も違いますし、得点も違ったんですけど、それ(目標)以上に成長してくれたチームなのかなと思います。
――大会中2本の満塁本塁打は新記録です
それについては本当にもう、みんなのおかげとしか言いようがないですね。みんなが僕の前に塁に出てくれて、「託したぞ」、「頼んだぞ」と言ってくれて、舞台を整えてくれたので。また応援団とか紺碧隊(ベンチ外の選手で結成された声援を送るチーム)とか、女子部の応援だったりとかの後押しがあって、打たなきゃっていう気持ちになって。ワセダ全体が打たせてくれたのかなと思います。
――2年生の秋からチームの四番バッターとして活躍されてきました
毎年成長していたのかなと思います。2年の秋に任されたときはたぶん四番に不十分というか、四番の器じゃなかったのかなって思うんですけれども、任せて起用してくれた先輩方に感謝して、それが自分の成長にも繋がって。それで結果として後輩に残せたのは良かったと思います。
――主将に就任されてからの1年間では、打撃に苦しんだ時期もあるかと思います
だいぶ苦しんだ1年だったのかなって思います。キャプテンはすごくやりがいのあるポジションだったんですけど、それプラス四番として、チームの主軸として、自分がいろいろなことを言っているからには結果を残さなければ(自分に)付いてこれないだろうし。僕が打たないとチームも勝てないっていういろいろな思いがあって、苦しんでいた部分もあったんですけど。最後の最後で、こういった良い舞台で良いかたちで活躍できたのはとても嬉しいです。
――主将として過ごしたこの1年間を振り返って
総じて楽しかったですね。苦しい思いをしたことも何回もあったんですけど、そのなかでも同期だったり後輩が支えてくれて、僕のやりたいようにやらせてくれて、それに付いてきてくれる仲間がいっぱいいたので、すごくやりやすかったし、楽しかったっていうのがいまの思いです。
――主将としてのやりがいは
やりがいしかないですね。2年と3年の時も(インカレ)優勝させていただいたんですけど、2年の時は初優勝でうれしかったし、3年の時も一番お世話になった近い先輩のために優勝したっていうのがすごくうれしかったし。今回は自分たちが1年間運営してきて、目標に掲げたものを達成したってことが何にも代え難いぐらいうれしいです。
――1年間つくり上げてきたこのチームはどのようなチームですか
伸びしろしかないチームですね。インカレ優勝するまで、トーナメントを勝ち上がっていくにつれて成長していってくれたし、アメリカ遠征で苦しんだ分だけ成長してくれたし東日本大学選手権で悔しい思いをした分だけ成長してくれて。その分結果が出なかったチームではあると思うんですけど、信じてやってきてくれたので。成長し続けた、伸びしろのあったチームだったのかなと思いました。
――4年間を振り返って
個人的にはすごく良い思いをたくさんさせてもらったのかなって思います。1年の秋から試合にも出させてもらって、日本一も3回経験させてもらって、キャプテンという肩書きももらって。初めはそんなに楽しくないな、大変だなと思っていることの方が多かったんですけど、吉村先生のもとでいろいろ学ばせてもらって、人間的にもすごく成長できたし、ソフトボールという競技にも出会えて、すごく良かったなと思える4年間です。
――今後ソフトボールを続けるご予定はないと仰っていましたが
そうですね。今のところ。
――大学から始められたソフトボールですが、その魅力は
一体感ですかね。野球とかだとスタンドもあって観客もいて、チームも9人いるんですけど、一人ひとりが戦っているという印象の方が個人的には強かったんですよ。たとえばマウンドに立っていても、(観客が)応援してくれるけどピッチャーはマウンドで一人で頑張るっていう。(ソフトボールは選手と観客の)距離感も近いしスタンドとかも無くて、ベンチとの距離感も近いので。チームが一丸となることで勝つという目標を達成することができるのがソフトボールの一番の魅力かなと思います。
――同期の皆さんへ伝えたいことは
わがまま言ってごめんなさい(笑)。これからも一生の友達でいてください、ってことですかね。
――連覇のたすきを受け継ぐ後輩へメッセージをお願いします
プレッシャーはでかいぞ、と(笑)。連覇のプレッシャーはでかいぞと、それを乗り越えた先にはすごいものがあるぞと。その喜びを目指して頑張ってほしいなと思います。
高橋希望(政経4=埼玉・早大本庄)
――3連覇おめでとうございます。いまのお気持ちはいかがですか
ありがとうございます。ことしは享平と共にチームを運営しての優勝なので、いままでの優勝とは違って、自分としては初優勝のような気持ちです。
――1年間副将を務めて、いかがでしたか
この代は(吉田)享平(スポ4=群馬・中央中教校)という柱になるキャプテンが居て、リーダーシップもあるし考えもしっかりしているということで、実際副将が居なくてもチームは成り立つと思うんですけど。ただその中で、享平も視点が一つのことに集中すると、それしか見れなくなってしまうところもあるので、そこを自分がカバーするというか。享平が見れないところを気づいて、例えば試合に出ない選手であったり応援団であったりというところに目を向けて、自分も貢献できたと思います。
――いま終わってみて、思い描いていたチームになりましたか
そうですね。もちろん試合に出ている選手もそうですけど、『早稲田たれ』という目標を掲げてやってきて。それを最後インカレでワセダらしいチームになったのかなと思います。特にいままでどの大会でも優勝できなくて、この最後の一番大きい大会で優勝できたのは本当にうれしいです。
――4年間はあっという間でしたか
本当にあっという間でしたね。縁があって先輩方に誘っていただいてソフトボール部に入部させていただいて、日本一に3回なることができて、本当に良い経験をさせていただいたなと思います。
――自分が成長したと思う部分は何ですか
いままでは自分が試合に出るとか活躍するとか、あとは組織として好きな人とだけ関わっていればいいかなという考えもあったんですけど、このチームに入って本当にいろんな地方から来ていたり浪人が居たりとかいままでにない環境で、そういう人たちとうまくやるためにはどうしたらいいかということを考えるようになりました。自分から分からないことを質問したりしてコミュニケーションを取っていくうちに、まとまりが生まれるというか、本当は違う考えだからこそ、それが一緒になった時に力になるんだなと思いました。
――高橋選手にとってソフトボール部とは
最高の仲間ができたかなと思います。みんながいろんな人と関わることによって、それぞれが成長できる場だったかなと思います。
――きょうの準決勝を振り返っていかがでしたか
西日本でベスト4に入っているチームで、強いチームに勝ってきて準決勝に進んできたということで、もちろん優勝するのは一番の目標ですがやっぱり一戦一戦戦おうと思っていました。
――決勝を振り返っていかがでしたか
もう全く1回戦のホームラン以外打てていなかったので、最後くらい1本ヒット打ちたいなと思って、なんとか個人的には出て良かったなと。あとは享平が打てない中で、下級生の大嶋とか(金子)祐也(スポ2=長崎・佐世保西)とか水本(将文、人2=長崎・佐世保西)とかが打ってくれて、これはらいねんにつながる意味でも良い決勝になったかなと思います。
――同期への思いを聞かせてください
自分は千葉に実家がありまして、ずっとグラウンドまで3時間かけて部活をやっていて。それができたのも、赤瀬(公平、スポ4=愛知啓成)であったり柏原(祐太、スポ4=大阪・清風南海)であったり沓澤(翔、スポ4=大阪・関西大倉)であったり今村(大樹、人4=大阪・早稲田摂陵)であったり、同期が泊めてくれたからというのがあったので、自分は部活を続けることができたのかなと思います。そういう意味でも同期にはすごく感謝しています。特に赤瀬には本当に感謝していて、試合に出ることが全てじゃないと思えたのも、あいつが応援団とかですごく頑張っている姿を見て、自分も試合に出る以外のことでもチームの勝ちに貢献できる場があるんだなということを学びました。そこから副将になりたいとも思ったので。本当に赤瀬には感謝しています。
――後輩への思いも聞かせてください
もともと自分は真面目なタイプで、正直いじられるとかも嫌なんですけど(笑)。それをうまくいじってくれたのは良かったかなと思っています。それが新たな副将のスタイルというか。享平がキャプテンだったからこそ副将はそういう立場だったのが良かったかなと思います。
――今後ソフトボールを続ける予定はありますか
いまのところソフトボールを続ける予定はなくて、高校の後輩がやっている硬式野球のクラブチームがあってそっちの方でまた野球をやるつもり、できれば都市対抗で野球をやってみたいなと思います。
――最後に卒業後の意気込みをお願いします
就職先が銀行に決まりまして、その場でもいままでいろんな人たちと関わってきた経験とかを生かしたいと思います。おまけでクラブチームで野球をやって、都市対抗で東京ドームで試合をやるという夢があるので、また頑張りたいと思います。
赤瀬公平(スポ4=愛知啓成)
――インカレを終えたいまの気持ちは
全てやり切って清々しく晴れやかな気持ちです。
――試合前のウォーミングアップ係を務められていました。何か意識していたことはありますか
試合のときは初回から点を入れるのが自分たちのインカレでのこれまでのスタイルだったので、インカレでは初回から楽しくゲームに入れるようにみんなを盛り上げるということをテーマにやってきました。
――4年間を振り返って
最終的にはすごく楽しかったです。ただ下級生の時はなかなか楽しめなくて。最後までレギュラーで試合に出るということはなくて、常に控えだったので悔しい気持ちはありました。正直おととし、きょねんのインカレで優勝したときも喜び半分と悔しさ半分という感じでした。でも最後のインカレの時は全てを出し切ろうということで、試合には出られない立場ですけど、ウォーミングアップ係として他の人にはできない日本一のウォーミングアップ係を目指してやってきました。その結果優勝できたので喜び100パーセントです。すごく満足しています。
――今後ソフトボールを続ける予定は
ありません。
――同期の4年生へ一言お願いします
恥ずかしいですね(笑)。一番は感謝の言葉でいっぱいです。自分が学ばせてもらうということが常にあって、4年間同期から学ぶことが一番多かったので。自分が人間的に成長できたのは同期がいたからだと思います。すごく感謝しています。インカレで6人出ている学年は自分が関わってきた学年のなかではなく、とても多いんです。同期がたくさん出ている分、自分が控え選手として試合に出ている同期、代打で出る同期を応援してあげることが、自分が学ばせてもらったことへの感謝の気持ちの表れかなと思います。
――後輩へのメッセージをお願いします
この先も4連覇、5連覇を目指してほしいです。自分はおととしときょねん紺碧隊長をやらせてもらってことしはウォーミングアップ係として、基本的にはチームの雰囲気を作って盛り上げるという役割をしてきました。ワセダのインカレでの勝ち方として楽しく勢い良く勝つというスタイルでやってきて、自分はそこの部分で携われて貢献できたと思います。後輩たちにも4連覇、5連覇するうえでワセダの一番良いところである勢い良く楽しく勝つということを継続して、この先も4連覇、5連覇ではなく10連覇くらい続いていけるチームになれるように見守りたいです。
池田康平(人4=長崎・佐世保西)
――インカレ3連覇おめでとうございます。いまのお気持ちは
気持ちいいですね。正直、部活を毎日やってしんどいなって思っていたし、みんなに迷惑をかけることも多かったんですけど、最後にこういうかたちでみんながハッピーに終わることができて、大満足な4年間を送ることができました。
――持ち味を生かした攻撃で活躍されました。ご自分の評価は
ことしのチームになってあまり活躍できていなかったんです。2年生の時から足を使った小技、攻撃しかしないように心掛けてきたんですけど、僕の主観的な考えで相手のプレッシャーに負けてバントをこんなにきっちりやることができなかったんです。でも最後の最後で、これで失敗しても誰かにレギュラーから落とされるわけでもないし、怖いものはないと思って、自分が思い切りやってだめなら仕方ないと思ってやって結果がついてきたので、この3年間、4年間は間違ってなかったんだなと思えました。
――インカレ初日に「たくさんガッツポーズをしたい」と仰っていましたが、目標は達成できましたか
9回もヒットを打つことができたので満足です!
――今後ソフトボールを続ける予定は
やりません。やり切りました。遊びでやりたいかなと思っています。
――4年間を振り返って
本当に部活をやってきて良かったなと思います。初めは周りの人たちもこんなに仲良くなかったし、僕がちょっとやんちゃで迷惑をかけていたんですけど、みんながすごくしっかりしていて僕の良いところを引き出してくれて。楽しく過ごさせてくれたなと本当に感謝しています。
――同期への思いは感謝の気持ちということですね
はい。ありがたいです。
――後輩へのメッセージをお願いします
僕たちが3連覇ということでこれからまたプレッシャーがかかると思うんですけど、ことしの一度も優勝していないチームでも最後にこういうかたちで終わることができたということはすごく励まし、勇気になると思うので、辛くても自分たちの信念を持って最後までやりきってほしいなと思います。
今村大樹(人4=大阪・早稲田摂陵)
――3連覇おめでとうございます。いまのお気持ちはいかがですか
ありがとうございます。ほっとしているというのが正直な気持ちで、3連覇できて良かったなと思います。
――やはりプレッシャーは大きかったのでしょうか
そうですね。先輩たちがつないでくれた2連覇、3連覇だったのですごく緊張していました。それをはねのけて優勝することができたので本当に良かったなと思います。
――4年間を振り返ってみていかがでしたか
4年間を振り返ると、非常に良いチームの中でプレーすることができたなと思います。決勝戦で打つことができなかったですけど、後輩たちが必死につないで点を取って優勝させてもらえたので、この4年間最高の時間だったなと思います。
――最上級生としての1年間はどういったものでしたか
ティーボール委員とか書記とかという役割を与えてもらって、いままでにない経験がこの4年生の1年間でできたかなと思います。大きく成長できたと思うので、非常に濃密な1年間でした。
――プレーの面ではいかがでしたか
守備が全くできないので迷惑をかけるということで、バッティングで貢献しようと思ったんですけど、思うように打てない中もチーム全体として使っていただいたのでそれに感謝しています。最後の中京大戦でホームランを打てて良かったと思います。
――きょうの準決勝を振り返っていかがでしたか
なんとしても1本を出してやろうということで2ベースを打つことができたので、それがいままでにない成長かなと思います。
――決勝では環太平洋大との試合でした
打てるかなという気持ちもあったんですけど、思うようにいかないのがバッティングなので、でも犠牲フライでもなんでも貢献できたのは良かったです。
――同期への思いを聞かせてください</p
ティーボール委員の委員長とか頼りなかったと思うんですけど、みんなが支えてくれて一緒になってやってもらえて最後に良い運営ができたのと、最後DPとしてこういった場に出場させていただいたのも同期のおかげだと思っています。こういった場でソフトボールができたことを同期に、非常に感謝したいなと思います。
――後輩への思いも聞かせてください
3連覇達成したということで、後輩には4連覇してもらいたいなというのが正直な気持ちです。自分みたいに守備ができなくてもDPというポジションで貢献ができるということを僕自身この4年間で証明できたかなと思うので、そういった貢献の仕方もあるということも頭に入れて頑張っていただけたらいいかなと思います。
――4年間で自分が一番成長したなと思う部分は何ですか
少しは大人になったかなと思います。1年生の時と比べたら、精神的にも肉体的にも両方強くなったと思います。両方鍛えられることができて良かったかなと思います。
――今村さんにとってソフトボールとは
これ根岸さん(祐太朗、平26人卒=群馬・中央中教校)なんて言ってたかなあ(笑)。一人が打てなくてもみんなで助け合うことができる、すばらしいスポーツだと思います。根岸さんと同じこと言おうと思ってたのに(笑)。
――今後ソフトボールを続ける予定はありますか
まだあんまり考えていないですね。やらないと思います。
――今後の抱負を教えてください
社会に貢献できる、立派な大人になれればいいかなと思います。
大塚俊(スポ4=愛媛・愛光学園)
――3連覇おめでとうございます。いまのお気持ちは
3連覇無事にできてよかったです。
――インカレでは代打での活躍が印象的でした。ご自分で振り返っていかがですか
毎年インカレではTAという(ソフトボールの)授業の補佐をする役割の人が活躍するという流れがあります。自分もTAをしていたので、活躍できて良かったです。またらいねんも次のTAに期待したいと思います。
――三塁コーチに入るときはどのようなことを意識されていましたか
積極的に(走者を)回してできるだけ点を取ろうと思っていました。
――4年間全体を振り返って
正直、やめたいときもあったんですけど、続けてきて本当に良かったなと思いました。
――今後ソフトボールを続ける予定は
ないです。これで終わります。
――同期の4年生に一言お願いします
愛してると(笑)。その一言です。
――後輩へのメッセージをお願いします
楽しみながら4連覇してほしいと思います。
柏原祐太(スポ4=大阪・清風南海)
――3連覇の感想をお願いします
やはり正直にうれしいというのが第一です。でも、主務になると決めてから優勝とは別に自分にとってやることは変わらないと思っていました。でも結果として優勝できて、享平が自分を日本一の主務にしてくれたと思っているので、それは個人としてすごく喜んでいます。選手としては一年間ワセダのソフトボールを享平中心に貫いてきて、また違う大学ソフトボール界の雰囲気の中、ワセダのソフトボールが正しいということを証明できたのが一番うれしいですね。
――主務としての役割を振り返ってみていかがですか
自分の中では及第点かなと思います。あのときこうすれば良かったというのは人生でいかなるときも思うので、やはり結果が全てだったと思います。チームが始動する時におれと花岡(宏規、スポ4=大阪・清風南海)で享平にマネジメント面での心配は掛けさせないでおこうというのは一番の目標で、享平にはグラウンド内のことだけに専念するように、という環境づくりができたので良かったです。
――アメリカ遠征など大変なこともあったと思います
初めて裏方というのをさせてもらって、本当に一生懸命やれたなと思います。その原動力とモチベーションはワセダが好きで、体育会や部が好きだということでした。自分は部員はもちろん、他の部の人たちにも支えられたので、本当にワセダという大きな存在に感謝したいと思います。
――入学以前から憧れていたワセダでの4年間は貴重なものだったのですね
最高ですし、一生の思い出になると思います。ワセダに体育会にいられたということは死ぬまで語り継げることだと思っています。ソフトボール部員や他の部の部員の仲間たちというのは宝物です。今度は卒業まで仲間の応援に力を入れたいと思います。
――選手面としてはいかがでしたか
試合にもでられず、正直モチベーションが上がらない時期が長くありました。でも2年生の時に(高校時代の)大阪の国体選抜の先輩が亡くなって、その人のためにもプレーをしっかりやらないといけないと思いました。あとは工藤さん(慎平、平24スポ卒=東京・立川)に言われて、主務でもしっかりプレーをしなければいけないという考えがあったので、プレーするモチベーションはいろいろな人から与えられたというかたちですね。決して一人ではここまでやって来れなかったですし、最後までプレーヤーとしてグラウンドに立ちつづけることができたので、いろいろな人に感謝したいです。
――小学生時代からの長いソフトボール人生もきょうで終わりですが
全国各地のいろいろなソフトボールの仲間に出会えたな、と思います。多くの人脈ができたし、うまい下手は関係なしに人間としての幅がこの4年間の特に最後の一年間で大きくなったと思います。
――その最後の日に優勝というのはやはり喜びも大きいのでは
本当に享平良かったなと思います。勝てなくて苦しんでいた時期もあったので、本当に良かったと思います。
――同期への思いは
1年生の時とかはずっと一緒にいたのですが、4年になってあまりみんなで何かをするというのはなくなって。それは各自がやるべきことをやっていてそれをみんなが一生懸命やっていたということだと思います。適材適所だったなと。同期は誇りに思いますし、それぞれの進路でまた一流になって高めあえる存在でありたいと思っています。楽しい学年だったなと思います。みんな腐らず、倒れないまま仕事をやり通したことはみんなすごいと思うし、自分も花岡も良くやれたなと思います。
兼子修治(スポ4=長崎・新島学園)
――3連覇おめでとうございます
ありがとうございます。
――いまの気持ちをお聞かせください
2年生から試合に出させていただいて、3つのメダルが取れて嬉しいです。自分はスポーツ推薦としてワセダに入ってきたのですが、最初は4年間試合に出ることができるか不安でした。結果的に2年生から出場できたのですが、僕が2年生の時の4年生の代が自分を引き立てるようなチームを作ってくださって、自分が輝けるような場所がこの場に生まれました。3、4年生の時もバンバスという打撃の班を作ってくれて、自分たちが輝けるような体勢を整えてくれました。その体勢を一番最初に整えてくれた2年前の先輩方に感謝したいです。
――先ほど不安があったと仰っていましたが
自分は背が小さいので、大学に入学して力の面で自分は敵わないのではないかと思っていました。でも、自分たちは脚が速かったので、引き立ててくれるような攻撃を作ってくれて、戦うことができました。それもすべて吉村先生に指導していただいたお陰です。吉村先生は僕にあまり怒らなくて良いところばかりを見ていただいて、褒めて伸ばしていただいたと思っています。
――3連覇のプレッシャーはありましたか
僕はあまりプレッシャーを感じる方ではなくて、自分のやりたいようにやってきたので、正直感じなかったです。逆に2年、3年の時の方が感じました。自分は伸び伸びとやらせていただいていたので、それが結果に繋がったのではないかと思います。
――アメリカ遠征から
アメリカ遠征では小技班を無くして、ピッチャー対バッターでも勝てるようなチームを作ろうとやってきました。アメリカで自分も打たせてもらったのですが、結果的にそこで自信をつけることができて、この日本に帰ってきてからもピッチャーに対して自分も打てるのではないかという自信がありました。それもあって、インカレでは思い切りプレーができたのではないかと思います。
――ずっと先頭バッターを任されていましたがどのような気持ちで打席に立っていましたか
2年生の時からずっと、先頭バッターが出れば点を取れると言われていたので、そこはプレッシャーを感じながらやっていました。僕が調子の悪いときも一番を任せていただいていたので、毎回「絶対に出るぞ」と思って打席に入っていました。3年間やらせていただいていたので、4年目は自信もありました。そこが4年目、緊張しないで伸び伸びできた理由かもしれないですね。
――準決勝、決勝と異なったチームでしたが
あのときも僕が出ることができなかったので。先頭が出ることができれば流れが続くと思っていました。環太平洋大の時は出ることができて、走ることができたので、流れを作ることができたのかなと思います。来年、僕に代わる先頭打者が出てきてくれて、4連覇してほしいですね。次の1番バッターを楽しみにしています。
――4年間を振り返っていかがですか
入る時に、絶対に親に優勝する姿を見せようと思って入りました。今まで見せることができなかったので4年生で優勝した姿を見せることができて、4年間ソフトボールを続けることができて良かったです。
――同期に一言
ありがとうございました。感謝しています。
――後輩に一言
4連覇を目指して頑張ってください。応援に行きます。
――今後の進路は
ソフトボールは続けない予定です。競技スポーツとしてのソフトボールはこれで引退します。吉田(享平主将)と話していたのですが、ワセダOBクラブというのがあって、いまあまり活動していないらしいので、そこをまた復活させて、4年やOBの方と一緒にソフトボールを楽しもうかなと思っています。
沓澤翔(スポ4=大阪・関西大倉)
――3連覇おめでとうございます
ありがとうございます。
――いまの気持ちをお聞かせください
率直に嬉しいです。ピッチャー3人、下級生1、2年生が、特にエースを任されている松木なのですが、良く頑張ってくれたなと。本当にありがとうという感謝の気持ちです。
――ピッチャーへどういった声掛けをされましたか
「思い切ってやれや、楽しめや」と。「変にビビったら悔いが残るで」と言いました。松木でしたら遅い球、チェンジアップだとかというのを本人の中で使いづらいと思っていたのがインカレ前にあったと思うんですけど、そこがいいボールだということをしっかりと伝えて、使っていこうと言いました。最後は納得してくれて、それがこの3連覇のキーになる球になったんじゃないかなと思います。吉田(尚央、スポ1=長崎・佐世保西)は高校のインターハイで優勝していたりですとか、世界選手権にも行っているような選手ですので、場慣れはしているので、「抑えるしかないでしょ。緊張はしないでしょう」と。「僕の方が球が速いし動くから緊張してるで」と言いました。本人はしっかりと集中してくれていたので、あまり言葉掛けということは意識せずに、僕も精一杯球を受けようと必死でした。豊田はなんだかんだ抑えるというのがウリなので、三人に共通することなんですけど、「1年生やけれども、周りのことを気にせずにいけ。せっかくこんな大舞台で投げることができるんやから楽しんでいけ」という言葉掛けくらいですかね。
――3連覇というプレッシャーもあったと思います
きょねんは4年生のピッチャーが3人いてくれていたので、僕はしっかりとそれについていくだけでした。僕はきょねんは思い切ってやれる立場だったのですが、今度は僕が4年生になって、ピッチャーは下級生の3人なので、今度は僕が「思い切ってやれや」という番だなと思っていました。
――準決勝は終盤まで0対0の試合でした
どちらが先に試合を動かすかという流れだったので、とりあえず松木に掛けた言葉は、初戦から京大戦からそういった展開だったので、「もう慣れっこやな。とりあえず我慢して投げようや」と言いました。あとはもうピッチャー陣が頑張ってくれていたらいつか点が入るということはわかっていたので、そのくらいです。
――決勝は逆に点の取り合いというような試合になりました
IPUの方もすごくバッティングが良いチームでしたし、疲労が溜まっているということも感じていました。その中で0で抑えきるというのは最大の目標としては達成できなかったのですが、1回も逆転をさせなかったというのは1年間やってきて3人が成長してくれた部分かなと思います。やはり逆転負けというのが1年間通して多かったので。ですが良い感じで準々決勝、準決勝と抑えてきてくれた中で、やはり最後に6点を取られたというのは来年に繋がる課題になると思います。今回軸として頑張ってくれた3人ですが、6点を取られたというのがあるので。本人たちは優勝した喜びのなかにも自分たちで課題を見つけて行ってらいねん、さらいねんと大きな存在になってくれると思っています。そこは6点取られたけども勝ち切ったということもありますし、逆に6点を取られたということも本人たちのなかには大きなものになると思います。
――ピッチャー3人の成長を感じたインカレでしたか
特に感じたのはアメリカの決勝で負けた時でした。こんなこと言っていいのかわからないですけど、決勝で負けた後、3人とも泣いていました。その中で自分の何が足りないのか、自分の何が強いのかを考えていたと思います。やはり松木も緩急のあるドロップを使わないといけないと感じた一番大きな要因が、アメリカでの決勝だったと思いますし、アメリカから帰ってきて優勝はできなかったのですがすごく3人のピッチャーの姿がより大きく感じました。
――ご自身の4年間を振り返っていかがでしたか
吉村先生から常に「人間力を鍛えろ」と言われてきました。他からの評価はわからないですけど、自分自身の成長を感じられた4年間だったかなと思います。自分にとってもいろいろなことがありましたし、チームでも色々なことがありました。やはり最後に思うのは同期、周りの友人やコーチの高杉さん、木村さん(秀雄コーチ、平8理工卒=山口・柳井)、吉村先生に感謝、ありがとうという気持ちだけです。4年間早かったです。ありがとうございました。
――同期に一言
みんながいなければ僕がここでインタビューを受けていることもなかったですし、ありがとうですね。
――後輩に一言
4連覇とかどうとか、プレッシャーは多くあると思いますけど、やれば必ず結果はついてくると思うので、1年間楽しく、厳しく、人としてもプレーヤーとしても実り多いものにしていってください。
――今後の進路
一般企業に就職させていただきます。旅行系の会社なのですが、ソフトボールはここで一旦区切りをつけて、この部で学んだことを今度は社会の方に還元していこうと思っています。また頑張らせていただきたいと思っています。
花岡宏規(スポ4=大阪・清風南海)
――優勝したいまの率直な感想をお願いします
最高です!
――決して今大会まで順調ではない中での優勝でしたが、1年間を振り返って
もう終わりよければ全て良しということで、他のことは忘れています。インカレ3連覇という目標へ向けて、享平を中心に信じてやってきて良かったなと思います。
――やはり達成感に満ちているようですね
やはりきょねんの投手陣とと比べれば、投手があんな感じなので…(笑)。でもらいねんも4連覇を目指してほしいですね。(この代は)享平さんばかり(活躍するの)では駄目で、やはり4年生10人がそれぞれの役割を果たした結果、つかんだ優勝だと思います。
――4年生中心にチーム一丸となって優勝をつかめたのですね
そう、それです!きょねんはずっと4年生に引っ張ってもらっての優勝で、ことしは自分たち4年生が引っ張っていけたということで最高に楽しい優勝です。
――副務としても1年間活躍されました
主務の柏原がかなりしんどい思いをして、自分はそれをサポートするというかたちだったのですが、いいコンビでやっていけてアメリカ遠征などいろいろなことをうまくできて良かったです。
――自身の役割への満足度は
本当に満足しています!でももういいですね(笑)。
――選手としては
レギュラーを取れそうで取れないということが多かったですね。でも最後、アメリカ遠征ではチームホワイトで主将を務めて、すごくいい経験ができました。上を目指すためにワセダに来たので、悔いはないという感じです。
――最後に、これまで共に戦ってきた同期への思いをお願いします
同期は最高です!