ソフトボール部は創部50周年を迎えるに当たって、アメリカ遠征やオープン大会の開催など多くの行事を計画し、いま新たに生まれ変わろうとしている。その挑戦を続けるチームをグラウンド外で支えるのが主務・柏原祐太(スポ3=大阪・清風南海)と副務・花岡宏規(スポ3=大阪・清風南海)。節目の一年を前に、挑戦を続けるチームに欠かせない二人の思いを語ってもらった。
※この取材は11月21日に行われたものです。
「リーダーの自覚を持たないといけない」(柏原)
――新チームになりそれぞれの役職についての感想はいかがですか
柏原 出だしに大きな目標を掲げたことで自分たちに負担を掛けてしまったというのは、吉田(享平主将、スポ3=群馬・中央中教校)、高橋(希望副将、政経3=埼玉・早大本庄)にしてもそうですし、自分たちの中でハードルを上げ過ぎてしまったところはありますね。
花岡 目標は高くした方がいいということで高くしました。(インカレで)2連覇して、その次は、と考えるとそれ以上を目指さないといけないし、容易なことではないですね。
柏原 チャレンジャーからチャンピオンへの転身というか、まずチャンピオンであることの自覚を持つように考えています。たとえばユニフォームを着ていないときでもチャンピオンの風格みたいなものを持っていないといけないですし、そのあたりを統制するのが僕たち二人の仕事かなと思っています。だからグラウンドの中でも外でも以前と比べればピリピリしているというのはあると思います。
――チャレンジしていく中で選手の中に迷いなどはありませんでしたか
柏原 プレー以外の、例えば身だしなみや言動という面でも統制し始めた結果、雰囲気も引き締まりました。慣れない感じではないよな?
花岡 そこは部としてあるべき姿なので。
柏原 みんなしっかりやってくれていると思います。
――体育会としての模範的な姿を追求したということですね
花岡 先生(吉村正監督、昭44教卒=京都・平安)もよく言うのですが、チャラチャラしていたら同好会と同じという一言があって、その点を気にかけています。
柏原 周りから見れば2連覇してるチームだし、自分たちも大学の男子ソフトボール界ではリーダーだという自覚を持たないといけないと考えていますね。
――ではそれぞれの役職に就いたきっかけを教えてください
柏原 選ばれたときは二人ともほぼ満票で、その自覚とか責任は重いですね。なりたいとは思ったことはないけど、やらないといけないとは思う。いざ(主務に)なったら、自分のカラーっていうものを出していかないといけないし、その点こいつ(花岡)はどう思ってるか分からないですが(笑)、主務副務で意思疎通を図っていてやりやすいですね。ここ二人で揉めていたらチームに(考えが)浸透しないですから。
花岡 キャプテンが享平(吉田)で副キャプテンがのんちゃん(高橋)というのはその二人がいるから、パズルみたいなものでうまくその役職にはまっていった結果、主務が柏原で副務が自分というのはこのかたちが一番きれいなかたちだと思う。
柏原 適材適所だと思う。享平が主務であってもおかしいし、俺がキャプテンでもおかしいし。
――仕事内容はどのようなものでしょうか
柏原 基本的には財務管理、日程調整、あとは競技スポーツセンターとのやりとり。これが大まかに主務副務の仕事なんですが、プラスアルファでことしからの試みであるワセダオープン大会や、まだ企画段階ではありますがボランティア活動。あとはあくまで吉村先生と考えていかないといけないのですが、みんながアメリカ遠征したいというのを強く思い始めたのでアメリカ遠征の行程をやっていく予定です。
花岡 副務ならではの仕事というのはないですが、年ごとで主務副務のあり方というのは違うと思います。ことしに関しては言えば(柏原は)やりたがりなので、大まかな仕事はどんどんやってもらってその調整をやっていくのが副務の仕事です。例えば日程調整であっても、つくる段階で僕がチェックしてちゃんとしたものにしていくといった感じです。
――理想像などはお持ちでしょうか
柏原 根底が吉田の目指している『格好よく勝つワセダ』なので、例えばノックが格好良くても10-0で勝っても金メダルを掛けてても正装しているときにネクタイが緩んでいたりはせず品格がないと。グラウンドの中でも外でも格好良くないと。あとビジョンとしては大学ナンバーワンチームがソフトボール以外のところで何ができるかというのは模索している段階です。地域貢献や社会貢献などいまの僕たちにはやれるバックグラウンドがあるんじゃないかと思いますね。
花岡 いま柏原が言ったことが大まかなことなんですが、自分が一つ思っていることはいままでソフトボールや野球をやってきた人はいるけど、ワセダで4年間(競技を)やるのだからこれが一生の思い出になるように、味のある人間になるというか社会人になってもずっと話ができるような経験を積めるようにしたい、ということですね。だからいま言ったような地域貢献とかアメリカ遠征に行けたら一生ものになるはずだし、人間として大きくなるチャンスだと思っています。
「根を深くしていきたい」(柏原)
主務としての意気込みを語る柏原
――お二人は同じ清風南海高出身ですが高校時代と現在での変化は
柏原 背負うものが大きくなりました。ワセダというものを背負っている自覚はすごくありますね。
花岡 一年の時はそんなことは思ってもなかったけど…。
――ワセダでは監督が男女兼任のため不在時も多く学生主体のかたちが取られることは多いですが
柏原 はたから見ると学生主体のように見えるし、1,2年生の時もそう感じていました。でも実はそうじゃなくて最上級生が一番吉村先生と関わることになっていて、僕たちが試行錯誤して方針や計画をつくって先生に渡した時に想定外の返答が来るときもあります。そこでまた再考して修正してよりいいものを構築していくので、学生主体ではなくその先生とのやりとりの中でいいものにしていく、それが『学び』です。なので先生抜きにしてはこの部活は成り立たないということに一番上(の学年)になってからやっと気付きましたね。
花岡 逆に先生が退任されたらどうなるのかと思いますね。
柏原 重大さにようやく俺らは気付けた。下級生はどう認識しているかはわからんけど。
――吉村監督は普段から選手には厳しく接しているように見られます
柏原 厳しいというか、先生からしたら当たり前なんだろうね。その当たり前がいままではできてなかったようにも思えるけど、それでも勝ててしまっていた。それではいけないと思ったのがことし。主将と主務の間でそこだけはチームが始まる前から考えが一致していたように感じる。
――規律を正してなおかつ勝つ、と
柏原 そうですね。
花岡 思うのは、ワセダと試合したチームは最近ちょっとずつ強くなってる気がする。強くなって、チームとしてのまとまりが出てきて、関カレ(関東大学選手権)では(旧チームでは公式戦で2度勝っている)東海大に負けたし。
――大学ソフトボールに影響を与えるような戦いをしてきたとも言える訳ですね
柏原 「大学ソフトボール界頑張ろうぜ」って言うのは無理だけど、王者が厳格たる態度であれば(他大学も)そうなっていくと思う。根本的に結構名門大学が多い中で大学への帰属意識というか、そういった面でも絶対負けないと思うところはあります。見えないところではあるけど。下級生たちが帰属意識を持つために稲穂祭やラグビー早明戦に行ったりだとか他の部とかを大切にしなさいと。いまも『早稲田を知る』という授業を取ってるんですけど、自分のいる組織を好きになって何も悪いことはないし、大事なことだと思う。
花岡 そういうのが普通じゃないのかなと思う。
――他の部から学ぶこともあるのですか
柏原 ソフトボール部より長いところからも短いところからも学ぶ点は多い。中でも応援部は縦も横もつながりが強い。イメージとしては大きい木だけど縦にも横にも大きくて、何より根が深い。根が深くないと上には伸びることはできない。いま言ったような規律の面や大学のことをよく知っているという面で根が深い。うちの部もこれから上にどんどん成長していくために根を深くしようというイメージはすごく強い。
――ワセダに入ったきっかけは
花岡 やめよやめよ…(笑)。柏原はいいけどさ…(笑)。
柏原 俺は高校一年の時に新井悠馬(平18人卒
=大阪・清風南海)さんに出会って、その人がワセダ出身で「ワセダって格好いいな」と思い始めました。東京に出たいという漠然とした思いもあって。実態をあまり知らないまま憧れだけが強くなっていって、勉強して。でも313人中306人目だったくらいなので一年の浪人期間を経てワセダに入りました。ワセダ以外は見えてなかった。
花岡 中高一貫校で、人に影響されながらも医者になると思って(中学に)入って。中学でソフトボール部に入って3年で辞めるつもりだった。でも高校の橋本正弘監督に誘われて高校でも続けて、医者も目指していましたがそれは落ちました(笑)。結果、競技歴利用でスポ科に受かっていて、柏原に声掛けられていたこともあってワセダに来ました。ソフトボールも人に導かれて、ワセダに来たのも人に導かれ、「そういう人生なんかなぁ」と思いつつ(笑)。よかったことに清風南海もワセダもいいところなので確実に人として成長しているかなと思います。
――ワセダの男子ソフトボール部には高校の先輩も多くいてプレーしやすかったのでは
柏原 太郎さん(柿本、平24スポ卒、大阪・清風南海)がいたのは大きかった。(ワセダに)入った時はいまの俺らのように固いところがあって、高校の時とは違っていて不思議に感じましたが、いまとなっては同じですね。(笑)。
花岡 同期にも清風南海(出身者)はいるし1つ上にも2人いたし、太郎さんもいたのでやりやすくてかわいがってもらえてよかったですね。
――お二人は元は先輩後輩の間柄でしたが同期となり違和感はありませんでしたか
花岡 それを言えばいま2つ下に(高校の同期の)林(友暉、スポ1=大阪・清風南海)がいるからなぁ…(笑)。
柏原 入った時に割とすんなり同期としてなじんだよな。まったく抵抗なかった。全然やりやすくて、弟みたいな感じで。
――これまでのワセダにいる3年間で印象に残ったことや得たものは
柏原 価値観はめっちゃ変わった。中高でキャプテンをやって自分なりの持論とか持ってたんですけど、ワセダに来たらそんな人はたくさんいて。個性が強い人とか、真逆のことを言ってるけどその点に関して極めている人とか。その中でもまれていって角があったのがどんどん転げ回って丸くなっていったというのが印象ですね。だからこそいろいろな人に触れられるようになって得ることも多くなって。概してこの大学が自分に対して与えてくれたことはかなり多いです。だからワセダが、体育各部が、ソフトボール部が大好きになれたので、残りの9ヶ月で俺がどこまでかたちにして恩返しができるか、と考えています。
花岡 ワセダという私学でもナンバーワンクラスのところに来て、いろいろな世界で一番の人がいっぱいいる訳で。吉村監督も(北米ファストピッチソフトボール協会の)殿堂入りするくらいの人で、ゼミの先生もその部門で一番の人で、他にもトップクラスの人から多くを学べる。それってワセダでしかないことかな、と思って。それが一番ここに来て良かったことかな。
「最高のマネジメントができるように」(花岡)
選手、副務の両面での活躍が期待される花岡
――選手としての面での目標をお願いします
柏原 主務なのでマネジメントに専念して、プレーしなくていいかなと思っていたけど、主務になった時に工藤さん(慎平、平24スポ卒=東京・立川)に「お前は絶対プレーもしろよ」と言われて。個人的に尊敬している先輩にそう言われて心に響きました。工藤さんが言うには主務が(プレーを続けたうえで)レギュラーでない代が続いていて、もし自分が(主務に専念して)完璧なマネジメントをしても、下級生は「柏原さんはプレーヤーを辞めたからできたんだ」と思うし、それは下級生も付いてこないので。プレーイングマネジャーというのはさせていただいてすごくありがたく感じることなので、正直きついですが(プレーは)辞めずに頑張っていこうと思います。選手という立場になれば3年生の一選手なのでこの冬場も頑張らないといけないし、試合に出てる者が意見すればもっとチームに浸透すると思うので、プレーでも主務としてもしっかりやっていきたいです!
花岡 プレーヤーとしてはチームの中で試合に出てる一人の選手なので、そこはそこで頑張っていかないとだめですね。それにプラスして、最後の一年だしちゃんとやらないと後輩に伝えないといけないし、下級生には「いまのチームを勝たせたい」とかそういった気持ちがまだ足りていないので、うまく気持ちを持っていかせるためにどう引っ張っていけるかが3年生の問題ですね。そこをおろそかにすると多分結果も思うように出ないと思うので。
――一塁手を争う吉野恵輔選手(スポ2=福岡・城南)は小技が売りですが花岡選手はどのような打撃を心掛けていますか
花岡 吉野はしっかり考えていると思うんですが、試合に出るために(打撃の)かたちを変えることは俺は美学的にできないですね。自分はそこまでできないので、溝口(聖、人2=長崎・佐世保西)や享平には及ばないかも知れないですが、そのレベルまで努力することが大切ですしそこまでやらないとチームは強くならない。享平だけ打ってても勝てないので、俺は下位打線で「花岡につなげば一本打ってくれる」くらいの選手にはなりたいな。そこまで信頼を得られるように練習しないと。
――理想の打者像は
花岡 頭で考えている像といざ勝負するときとは差があるから、本当は享平みたいにホームランを打って逆転みたいなのをイメージしてるけど、チームのために一本が打てる渋いバッターで行こうと思います(笑)。
――チームとしてこれから一年間どのような取り組みをしていきたいですか
花岡 いまやっていることはいままでにないことをやろうとしているわけで。
柏原 50周年という節目を迎える部として、(インカレ)2連覇した部としてやっていけるということは強く意識して、その中でソフトボール、ティーボールというものを通じて社会にどれだけ貢献できるのか楽しみですし、広報活動とかも一生懸命やってもらっているのでそういうところも踏まえて、一つ夢なのが「所沢には西武ライオンズとワセダのソフトボール部がある」という風に所沢の人に応援してもらえるように、ワセダのソフトボール部のファンを増やしたいと思っています。所沢キャンパスで試合するときに(グラウンド脇の)芝生に寝っ転がりながらでもいいので試合を見てくれたらなと。地域社会への貢献と、あと個人的にはソフトボール界への最後の恩返しをしたいです。チーム内では享平や高橋がマネジメントの面を気にせずグラウンド内のことに集中して勝てるチームを作っていけるようにやっていきたいと思います。
花岡 本当に。もう言った通りですね(笑)。あとはいろいろなことをやっていくために俺らのできる最高のかたちをつくれるように、地域貢献も、アメリカ遠征も、大会も。最高のマネジメントができるように二人でやっていって、その上で勝てれば一番楽しいなと。勝てないと面白くないので。
柏原 まあ、勝っても負けても自分たちのやるべきことは変わらないけど。主務と副務にとっての勝敗は必ずしもインカレの勝ち負けだけではないかなと。それこそさっき花岡が言ってた『思い出』じゃないかな。
花岡 この一年がみんなの記憶に残れば。
柏原 記録と記憶、これが一番!
――ありがとうございました!
(取材・編集 盛岡信太郎)
◆柏原祐太(かしはら・ゆうた)
1991年(平3)5月2日生まれ。171センチ72キロ。大阪・清風南海高出身。スポーツ科学部3年。捕手。中高で主将を務めるなどリーダーシップには定評がある柏原選手。グラウンドでは捕手として後輩の投手陣をけん引します!
◆花岡宏規(はなおか・ひろき)
1992年(平4)5月15日生まれ。167センチ67キロ。大阪・清風南海高出身。スポーツ科学部3年。内野手。高校時代は厳しい『柏原主将』に叱責されることもあった花岡選手。大学では同期として接することとなったが、いまや違和感はない様子清風南海コンビが陰でチームを支えます!